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言葉足らずな夜の果て
「閉店の時間です」
遠慮がちな店員に言われて、急いでコーヒーを飲み干すひと。その姿に見とれてしまう癖は、いつからだろう。
もう冷めてしまったホットコーヒーも、氷で薄くなってしまったアイスコーヒーも、時間の経過が愛おしい。かけがえのない、この空間で時を溶かしたという証拠。
夏はいつも、なにかが始まりそうな予感ばかりが先走る。だから、彼女の口が「ごちそうさまでした」と動く瞬間ですら見逃してはいけないと、深夜のコーヒーショップで夜を精一杯、ゆっくりと歩く。
二杯目のホットコーヒーも、もう冷めてしまったけれど。まだすこしあたたかいをそれを手のひらに包んで息をする。
余熱を感じて、静かに熱く居られるのは最高潮を知ってこそ。ちょうどいいなんて言葉も同じで、なにがちょうどいいかなんて最高と最低を知ってはじめて分かること。
だって、余白を本当に大事にできるのは全力を知っているものだけ。
ほどほどに…なんて聞き慣れた言葉はときに正解で、時々まちがっている。ほどほどがあまりに手抜きだったらどうするのよ…とつっこみたくなるのは、わがままかしら。
いつだって言葉はどこか、足りてない。言葉はあまりにも無防備だ。でもだから好きなのだけれど…という曖昧さの中で息をしている。
夏はどこからくるの、と彼女は言う。春ののちの吹っ切れた明るさ、青の到来。大多数が思いっきり息をする瞬間、期間限定の言葉たち。そうね、いつだって突然現れて、気付いたころにはいないもの。でもそのわがままに、振り回されていたいと思ってしまうのもまた事実。
基本的になんでも好きだ。そんなことあるわけない…かしら。でも、「存在するものにはすべて、少なからず理由があって」という大前提を疑ったことはない。その定義があったからこそ、受け入れられたことがたくさんある。
おわらないでというように、次々と歴史に名を残しそうなことが起こっていくような夏。
どこへ行っても、目にして耳にする「平成最後の」というフレーズは、ミーハーか。いや、絶対に特別なのだ。きっと数十年後もまた年号は変わり、絶対に「そういえば平成は」なんて日が来る。
何かが始まる予感だけが先走る夜。手にしたコーヒーが、現実と理想をつなぐからだと言い訳をして。夜をゆっくり歩かせてしまうからと冗談を言ったりして。
出来事への感度を高くするか、低くするか。なにかあるかなんて、そんなことは、きっと自分次第なのだ。
ヘッダー写真:ゑびすひな
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