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関西シロップ

新しい土地で1人になって自分だけの部屋で大の字になった時、初めてちゃんと深呼吸ができた気がした。ようやく手に入れた自分だけの場所。

そしてこの新しい土地での生活もいつか終わりを迎えることは分かっていたし、きっとそれは必然で、あまりにもあっさりと地元を離れられてしまったように、いやそれ以上に淡白なものになってしまうと思い込んでいた。

カメラと写真などというものにハマり出会った彼らは、そんな私の感情をガラリと変えてしまったのだ。

何をするでもなく集まっていつまでもしゃべる女子高生のような。
なにかひとつのことをするだけなのに、文化祭準備のワクワクを毎回持っているような。

信じられる?飲みに行ってもたらたらと愚痴をこぼす人たちをまだまだ身近に確認できてしまうのに、彼らは水を片手に2時間は平気で1つの話題で語り合う。

そもそも集合するのは大体梅田だし、片道1時間近くかかるそこに「今から来いよ」と呼ばれて行くことなんてなかった。1時間なんて距離は、恋人に会いに行くのでも「遠いなあ」なんて思っていた私が、である。今では1時間なんて距離、どうでもいいね。

好きな音楽、好きな写真、好きな人、今のお気に入り。好きを紐解いていくことを主食にして、いつだってプラスエネルギーを生み出す時間を彼らは手にして生きている。

彼らと過ごす思い出は、いつだってプラス2度。冷え性の私にはちょうどいい。最高に、心地が良いのだ。

昔親にこんなことを言われたのを思い出す。
『嘘でしょ?というのをやめなさい』
でも “嘘でしょ?” を “本当?” なんて言い換えることなんてできなかった。
関西に来て数年、気が付けば「ほんま?」が口癖だった。
それに、“ありえへん” を使うのは、大体笑いながら。彼らは私のことをあまりにも肯定的だと言ったけど、私は言いたい。
「君たちほど肯定的な言動と行動ができる人おらへんで」って。

いつもどこかを去る時には、去りたい理由があって、だから未練なくさっぱりと次の場所に身を置けた。ここにだって、そうやって来たはず。流されるように、運命の赴くままに。

だからなんとなく、今回だってそうかもしれないと最初から覚悟をしていた。でも、そんな理由なんて見つからなくて、ただただ笑顔で「さみしいなあ」と言うしかなかった。

というか、関西の料理って美味しすぎる。なんで家で出てくるお好み焼きのクオリティがこんなに高いのか。ありえへんぐらい出汁がきいている。たこ焼きはどこで食べたって美味しいし、好きなラーメン店なんて順番はつけられない。そもそも、彼らと食べたご飯はいつだって美味しかった。味と思い出で、2度も3度も。

だから私はこの日々と彼らを関西シロップと名付けることにした。出汁のきいた、いや、ききすぎた愛おしさをそう呼ぶことにした。

いつまでも振り回されていたかった。彼らは言うならば、どれだけイコライザーをいじっても消えない音のように世界を目の前で進めて行く、青春の音楽。同じ方向を目指してもお互い全く足なんてひっぱらず、いつまでも一緒に肩を組んで、一方向に行くかと思えばそのまま広いところを目指しちゃう、そんな全肯定がここにあったんだ。

このシロップを私の中で抽出しながら、私はこれからを生きていくんだろうな。ああ、世界はこんな色をしてたのか。
関西シロップのすごいところは、あまりにもいろんな味がしてクセがつよいのに、目の前に一滴垂らせば、世界の要らないフィルターをクリアにしてくれるところ。ああ、クセになるなあ、この味。大好きやで、関西シロップ。

#日記 #エッセイ #コラム #青春 #関西

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Nana
読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。