前髪
帰り道、コンビニのアイスを片手に歩く夜ほど最高なものはない。賑やかな東京の夜、わたしたちが平成だと思っていた風景はただの解像度だったねと笑い、この時代にハンディカムをまわしたりデジカメで撮ったりしてあそんでいる。いまだに、ずっとそういうあそびをしている。はしゃいでアイスが溶けて、ハンディカムにかかりそうでもっと笑ってしまった。
もう何年まえのことだろう、
猿楽町下り、夕日が眩しい店の店内。コーヒーを片手に「きみはなんにでもなれるよ」と言った。本当に何気なく、多分何の意図もなく言い放ったそれだけが、ずっと触媒であり、正義だった。
わずかな寂しさだけがつなぎとめていただけの、名前も思い出せないような居酒屋。何度も呼びかけたことだけは覚えている。あのね、あのね、と何度も転換する話を繰り広げている。その姿ほど美しいものはなくて、好奇心の尊さとはこのことだ、と思った。
「今はなにと戦っているの?」
言葉で我に返る。ああ、ごめん。かつて青かった彼らの姿がないことを、嘆いていてもしょうがない。少しずつ好奇心は薄れ、死んだ魚のような目で吊り革に捕まって、パズルゲームをする姿。ビジネス書を読み漁り形だけの理解で満足する姿。そうして居酒屋から消えていった名前のつけられない余韻が消えていく。大人になるとは、生活を守ること、なのも分かっている。
あのね、
きみの壁は高い。だから、心を開いてくれたと思う瞬間があるだけで、自分は特別だと思える。そういうことで肯定感を満たすぐらいには、本当はしたたかなやつなんだ。でも、ずっと大事にしていることがある。
もういつだったか、きみは言った。人間としてかっこいいと思えることをやりなさい。それは、勝ち続けることでも、格好つけることでもない。目の前の相手に誠実か、誰かを理不尽に傷つけていないか。かっこいいかそうじゃないか、そんなこと考えなくてもわかる大人になりたいと。きみは、ずっとそのままだ。
「いまのぼくたちには、過去の自分が託した未来に対する責任がある。だから、まだ戦う」
ああ、とりあえずアイス買おっか、と足早にコンビニへ連れ出す後ろ姿ほど、かっこいいものはないんだけどな。
綻びきった布の隙間から見える、そのうざったい前髪に甘えているのは、わたしだ。