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きみの鳥はうたえる。彼女を救う不誠実
どこからか懐かしい香りがして、立ち止まると追い越していくひとのスピードは、他の季節よりすこしゆっくりで。道行くひとたちがどこか、ちいさなふれあいを求めて街へ繰り出すから。わたしは、秋が好きだ。
人混みをかき分けて迷い込む映画館は、控えめに言って最高だ。そう、わたしは、この映画を観に来たのだ……!という目的を絶対的に叶えられる。全力100%、まっすぐに。
地元にそういうものはなくて、このあそびを覚えたのは関西暮らしをはじめてから、だったけれど。エレベーターがあまりにも古くて、音が本当に頼りなくて、乗り合わせたおねえさんと目を合わせてクスクスわらったのが、わたしの映画物語のはじまりだった、と思う。
季節はあまりにも、節目をくれないから。今日この映画を観たら、わたしは秋に進むと決めていた。
映画:きみの鳥はうたえる
今回も、ネタバレをさけて、映画を観て感じたことを言葉としてつなげました。
「考えるのは好きですか。好きだけど、自分のことを考えるのは苦手です」
自分のために起きられない朝、自分のためには進められない仕事。自分について考えることから逃げると、誰かのことを考える。そればかりしていくと、わたしがこう動いたら、きっときみは喜ぶ……なんて思いが生まれはじめて、なれるとむしろ、それが本心と完全に同期する。
本当に楽しい瞬間も、最高に熱くなる瞬間も。いつもだれよりも、すぐにその場からその身をはがして俯瞰して、すうっとみんなの物語を進めていた。浸りきれないから、わたしはいつまでも大人数が苦手なんだと思う。ひとが大好きだからこそ、多分どこかで、他人の物語ばかりすすめてしまう自分に気付いて寂しいんだと思う。
すきなひとが、いたとする。
1. 幸せにする
2. 幸せを願う
どちらが正解だろうか。もちろん、どちらも正解だ。ただ、ひとのことばかり考えるひとは多分、恋がすぐに愛に変わってしまうのだ。
好き、いっしょにいたい、付き合いたい、恋。
自分という一人称が欠如したそれは、好き、幸せになってね、愛。
そんなふうに変化して、街をさまよっているのだと思う。
大事なひとは、存在するだけで幸せだ。それは、わたしが本当に心のそこから思っていることで、最高の受容だと褒められることもあるけれど。あまりにも独占欲のないそれは、多分ときに冷たい。だから胸を張って、わたしのフェイバリットだと言えずにいる。
誠実と不誠実の境目はなにか。ほとんどの言葉の意味は、自分の中の定義で語られるそれを、「きみの鳥はうたえる」では誰かの、誰かに対する態度で判断していた。
バイトをサボるのは一般的不誠実。でも、そのひとが救われる行為なら、誠実。
浮気をするのも一般的不誠実。でも、そのひとが生きていけるなら、誠実。
それを誰かに分かってもらえることの安心感ってすごいんだよね…と思う。言葉の定義は辞書に載っているし、多分それが広義であり事実だけど、ときに誰かにとっての真実ではない。
だから、考えるのも、生きるのも、息をするのも。不器用だっていいんだよ、大丈夫だよって。そんな映画だったから、好きだった。やっと向き合った登場人物たちを観て、胸が張り裂けそうだったけれど。
延々と音楽が耳元であそぶクラブで、体を預けて踊ることが、彼女が唯一時を止められる方法だったのだと思う。一番さみしくて、一番言葉がほしくて、一番若さを信じていたかったのは、彼女だ。
「きみは書いてしまうから、言わないままで永遠にする人生を選んでしまうのでしょう」
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