いつか、なんて言わない
ベッドから起き上がることもなくカーテンを開けて、光を部屋に入れる。おいで、こっちへ。今日も光に寄せて、宛名のない手紙を一枚。
運命なんてない、人生は選択の連続で、今はその結果だと友人は言った。否定する気はない。でもわたしは、すくなからず運命はあると思う、と言いたい。運命のひとの話をしているわけじゃない。ただ、そう言い聞かせないと乗り切れない出来事ってあるんだということ。
わたしが傷ついて立ち直れないとき、それでも責める気力のないわたしの代わりに、わたし以上に怒ってくれたひとがいる。日常に戻れなかった一週間ずっと、彼女はわたしのわけのわからない言葉をただ受け止め、ただ流し、そっと捨ててくれた。
誰かに甘えることがいけないことじゃないのは分かっているけれど、「〜しなきゃ」と育ったわたしたちにとって、何かをしないと自分の価値は見出だせないという価値観からはなかなか脱却できないものだ。だからうまくいかなくなると思ってしまう。
あれがいけなかったのか、あれをしなかったからいけなかったのか。
できることを増やしていくことこそ正義だとどこかで言い聞かせて、価値はそれに伴い上がっていくものだ、なんて幻想。
「いつも、なんだって早いんだから」
ずっとわたしを苦しめたその言葉の意味が、今ではわかる。何を生き急いできたんだろう。もっと見なければいけない世界が、たくさんある。
突然だがわたしは、「いつか」という言葉が苦手である。いろんなひとに言われ続けたこの数年、わたしに向けられた「いつか」はまだ訪れていない。本心で言ってくれていることはちゃんと分かっている。別にそれを疑いたいわけじゃない。でも、わたしが求める「いつか」が叶っているひとに言われても、悲しくなるだけなのだ。それが、努力でどうにかなるものではないから。
でも自分にだけは言い聞かせている。大丈夫いつか叶うよ、って。いまはがんばれ、って。苦しい時があるのはきっと、苦しんでいるひとを助けてあげられるからかもしれない。起こりうる出来事すべて、「この日のためだったのか」と思う日がくるよって。
彼女だけはわたしに、「いつか」と言わなかった。いつか大丈夫になるよ、と言わずに寄り添う方法なんていくらでもある。わたしも、身をもって知った。
だからわたしは、「いつか」だなんて言わない。いつかどうにかなる、なんてことは自分にしか分からない。多分どうにかなるんだろうけど、それを言ったりしない。そんな無責任なやさしさが欲しいわけじゃないということを、わたしはちゃんと知っている。不安定な言葉で慰めたりしない、根拠のない言葉で勇気づけたりもしない。だってあなたには、自分で自分を救う力がちゃんとあるってこともわたしは知っている。
p.s. 誕生日おめでとう。
読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。