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ヒーローは傷だらけ

どうしようもないことに、いつまでも浸っていたってなにも生まれない。声をあげて上を向いた瞬間、霧の中に光が差した日。ふと、そんなことを思った。

昨日R-1ぐらんぷりで優勝した濱田祐太郎さんは盲目の漫談家。ネタの中には目が見えないことにまつわるエピソードが連ねられて、それがおもしろおかしく語られる。

賞金を意味のないことに使いたいんですよね、例えば3Dテレビとか買って、だまされへんぞ!とか言いたい。メガネ買ったりしたい。運転できひんのにプリウス買ったりしたいんですよね。

そんなことを彼は明るく言った。テレビを見ながらわたしは、なんて強いひとなんだろうと泣いてしまった。

わたしは彼について、何も知らない。どんな背景があるかも、どんな人生をおくってきて、何を感じているかも。でも、笑い飛ばせる強さを、自虐と呼びたい。そんなことを思った。

わたしの想像を軽く越えてしまうほどの苦労が、彼にもあったと思うのだ。悔しくて泣いた日も、誰も責めることができないやるせなさも。それでも彼は、起こりうるすべての捉え方を明るく変えて漫才とした。そして彼が誰よりもおもしろそうに語ってしまうから、わたしたちもつられて笑った。

どうしようもないことにいつまでも浸っていると、さらに傷ついてしまうことがある。どこかで止めてしまわないとその負の連鎖は続いて、暗闇はどんどん深くなる。

だから、誰かに笑われたりばかにされたりする前に、自分で笑ってやればいい。自分の傷は、たとえ誰かにつけられたものであったとしても、自分のものでしかない。どうあがいても他人に渡せるものではない。だから、誰かに更に傷を深くされてしまう前に、自分で見せてやればいい。

どうだ、これがわたし。傷なんて、さらせばなおる。えぐれるものなら、えぐってみなさい。わたしはなにも隠さない。

大丈夫、劣等感はバネになる。傷だって、かっこいい。だって、傷だらけになってヒロインを助けてしまうヒーローに、誰しも一度は憧れた。無傷がかっこいいなんて、誰が言った。傷だらけでも立ち上がって、それでも笑い飛ばして立ち向かうことこそ、わたしたちは強さと呼びたいはずなのだ。

どうしても涙があふれた。せつなくてくるしくて、笑い泣いた。乗り越えないといけないことから、ひとは笑って卒業してしまうのか。いや、卒業したから笑えるのだろうか。「ねえ、おかしいでしょ」ってわたしがわたしを笑うとき、それは新しいしあわせのはじまりだと決まっている。


読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。