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春の体育館で、わたしは言った。表と裏が成立するための犠牲について
二兎を追う者は一兎をも得ず、と何度も言われた。それが間違っているとは思わない。でも、ひとつだけ追うのはどうしても性に合わない。飽き性が顔を出して、集中して走れない。
高校に入った頃のわたしはちょうど、とても怖がりだったと思う。だれかのために、だれかのためにって思いが加速して結局、ひとが足りないと言われた生徒会室に足を踏み入れていた。
今でも、覚えている景色がある。体育館で1200人の生徒を前に壇上に立ち、震える声で原稿を読み上げた副会長選挙。わたしはあのとき悟ったのだ。ああ、自分は注目をうまく使いこなせない、と。
でも、同時に知ったのだ。わたしは、手でなら紡げる。手と一緒なら、言葉を生み出せる。手で書いたり打ち込んだり……考えをまず声で処理しようとするともうだめなのだ。あのときも、打ち込んだ文章を読み上げた。1枚の折り紙で折った2色の鶴を手に持って。
物事にはすべて、表と裏がある。両方を認めてもらうことも、認めることも難しい。この鶴を見て下さい。二色なんです。
これは、一枚の折り紙で折れます。そしてこれは、切り目を入れないと折れないもの。
犠牲にしないといけないこともある。でもこの鶴も、切り目を入れたことによって表と裏の両方で形になるように、それは必ず、自分のためになると信じています。わたしはこの一年間、生徒会活動により行事への参加は少なく、クラスの輪に入れなかったこともありました。でも、そうした犠牲よりも、達成感や友情、自分たちが運営した行事によって得られたみんなの心からの笑顔、そういったものの方がはるかに大きいものでした。
そんなことを話して。伝えたいことを書く癖が加速したのは、あの頃からだ。
部活もして、生徒会もして、だいすきな本のために図書委員もして、恋愛もして、おまけにボランティアもして……どうやって時間を飼いならしていたんだろうとさえ思う。
当時きっと、二兎どころじゃない。何兎追っていたのか……どれかをちゃんと手に入れたか、と言われるとわからない。分かりやすい賞を受賞したわけでもないし。
結果何も成さない、かもしれない。でも、ひとつを追ってもそれは自分の場合は変わらないと思った。どうせ目移りするなら、それを受け入れて好きなだけ追うべきだ。
相乗効果とは、きっとこのこと。ひとつ欠けては成り立たない。機械のパーツがかけてはならないように。
やりたいことがたくさんあって、それを実行している過程が好きなのだ。もう、それ以外に理由なんてない。好きになれない自分を突き通して出す結果なんて、想像もつかないし。
息を吸うと、もうすっかり春の味がする。あの壇上に立って、深呼吸したときの感覚に似ている。今年の春は、なにを知れるのだろう。
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