見出し画像

春と、ごまかしの言い訳

緩やかに刺された刃に、わたしたちは気付けない。いや、歳を重ねるほど、気付かないふりをすることが得意になるだけなのかもしれない。


どう生きても、言葉とは向き合わなくてはいけない。耐えて、頑張って、我慢して、戦って……奮い立たせようと向けた言葉も、向けられた言葉も。状況次第で最悪だ。一応の気遣いによるスローペースになった刃が、静かに身体に刺さっている。

集団の不機嫌に、何度も流されそうになる毎日。わたしの機嫌は、わたしだけのものだと思っていたはずなのに。心の平和を守るには、相手の機嫌を取るか、それに耐えうる強靭な精神を身につけるか。二択ではないかもしれないけど、そう思ってしまう日もある。

「理不尽なことを言われて」
「ゆとり、ゆとりと口にされる」
「休みがない」

同年代の友人たちが、次々とダウンしていく。立ち向かうひともいれば、でもまだ頑張れるとごまかしながら戦うひともいる。


ひとそれぞれ戦い方も、向き合い方もあって。でも、わたしはいつも、ふとした瞬間に気付いてしまうのだ。


必要以上に向けられる否定的な言葉は、少しずつ蓄積して、溢れた瞬間にはもう戻らないということ。

---


一度刺さったナイフは多分、抜かない方が楽だ。出血もないし、傷にもならないかもしれない。でも、いざというときに走れない。邪魔になって、走れない。


まっすぐな道を走るために。刺さった刃と向き合って、自力で抜いて、出血も止めて。不要な重さを、振り払わなければならない。

痛みを跳ね飛ばすことが、強さではない。受け入れることが、強さだ。

すべてを愛する…なんて難しい。でも、もう春だから。新しい自分になろうと決意するには十分すぎる理由がある。春だから。春の匂いは本当に切なくて、最高に気持ちいい。


読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。