惹かれる本、難しい本、怖い本(宇治かばね『テツケン』を読んで)
このたび、『テツケン』(宇治かばね・作)という漫画を手に入れました。
作品の概要については、上記リンクや氏のTwitterアカウント(@sayutetsu)で直に触れていただくのが最善と思いますので、そちらをご覧ください。
私としては一介の読者としてこの場で感想を……と思ったのですが、書き始めてすぐに気づきました。私にとってこの本は難しい、と。
ご存知の方もいらっしゃるように、私は哲学科の出身です。しかし、遠回りの末にようやく卒業したような底辺学士です。
そんな人間が、哲学を題材にした漫画、それも大学院で研究されている方の作品についてとやかく言うのは愚行です。以前の記事で述べましたが、学部生と院生とでは全てにおいて格が違います。在学中や卒業後に院生さんとお話をする機会があり、そのたびに「そこまで考えている(知っている)のか……」と驚くばかりでした。
正直、これほど感想を書くのが怖い本はありません。下手なことを述べれば、「お前はその程度か」と見透かされるのは自明だからです。しかし、読むことで気づかされた点もあります。以下、底辺学士の告解にお付き合いいただければ幸いです。
恥ずかしながら、「解釈論文」という言葉を初めて知りました。
いつの頃からかは忘れましたが、「なぜ原典の研究が論文になりうるのか」という疑問が私の中にありました。まず疑問やテーマがあって、先行研究を読み解きながら自分の考えを展開してゆく──論文とはそういうものだと思っていた私にとって、この本で提示されたこの言葉は新鮮でした。
もし学部時代に『テツケン』があれば、もう少し自由に学べたのでは……と思わずにはいられません。
(卒論については良い思い出があまりなくて、後から思えば「何もわかっていない」どころか「何がわからないのかさえわからない」という状態のまま書き上げたように感じます。なんとかC評価で単位を取れたことに安堵した半面、「もしかして……」という疑念もありました。それゆえ主査だった教授に卒業後に会った時に「あれって”お情け”ですか?」という不躾な質問さえしてしまったほどです(教授の答えは「ノー」でした)。それほど自分の卒論に自信がなく、今なお読み返す勇気がないほどです。)
この『テツケン』の凄いところ(であり、難しいところ)は、複数の哲学者の考えを「自分の言葉で」「同時に」紹介しているところです。
人物や哲学を単体で取り上げ、原典や解説書から言葉を切り抜いて紹介するだけなら誰でもできます。しかし宇治かばねさんの場合、諸哲学者の考えを解釈したうえで自分なりの言葉で表現し、しかもそれを会話で並記するという大技をやってのけています(特に登場人物同士の論戦で顕著です)。
「○○を研究しているので、その人のことなら詳しいよ」ならば、話は簡単です。しかしこの本に出てくるのは、キルケゴールだけではありません。なかには私が大学の授業で学んだ(なんなら読書会で原典を少し読んだ)人物もいますが、「そんなこと言ってたんだ……」と気づかされるところがあります。漫画という形で平易に述べているように見えて、奥の深さがあります、『テツケン』は(それゆえ、この本をきちんと理解することは難しいですし、内容について素人があれこれ言うことも難しいです)。
『テツケン』が読者の皆さんにどう受け止められるかはわかりませんけど、私としては「哲学研究」を描いた漫画を世に送り出すこと自体に意義があるかなと思っているので、ひとまず役目は果たしたかなという気持ちでいます。哲学研究というか、解釈しながら古典を読み深めるという方法を知るひとつのきっかけとして、本書が役立っていけばよいなと思います。
(上記リンク先の記事「『テツケン』発売に寄せて:書籍版のコンセプトとか」から引用)
私にとって『テツケン』は文句なしに惹かれる本ですが、難しい本でもあり、怖い本でもあります。
「あなたは哲学科卒らしいけど、どこまで知ってるの?」
「いずれ学び直したいと言っているけど、本当にその覚悟はあるの?」
作品を通じて、登場人物からこう問いかけられているような気がしてなりません。ここのところ体調を崩したり私生活で色々あったりで哲学やフランス語の勉強がおろそかになっていましたが、この本を読んで身の引き締まる思いがしました。
『テツケン』で得た気づきを糧に、勉強し直します。