連載小説「オボステルラ」 【第二章】57話「その旅路の向こうには」(4)
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それぞれの準備を整えつつ、夜。
リカルドは自室のデスクで何らかのレポートをまとめている。ゴナンの体調が治まったこの数日でようやく学者らしい姿を見せていた。ゴナンは邪魔しないようにと、1階へと降りていく。
今日も女装バー『フローラ』は暗い。
ゴナンは無人のラウンジのど真ん中にあるソファに座って、なんとなくぼんやりと暗い天井を眺めていた。
「あら、ゴナン?」
と、店に人の気配を感じたナイフが、裏口から現れた。もう寝間着姿だ。
「どうしたの?」
「リカルドが学者のお仕事中だから、邪魔しないようにって思って」
「ああ、そう…。あの人、ここを研究拠点だとかいいながら、研究している姿全く見なかったものね」
そうくすりと笑うナイフ。
「ああ、そうだわ、いいのがあった。ゴナン、少し待ってて」
そう言ってカウンターの奥へと行くと、少ししてマグカップを持ってきた。
「これ飲んで。きっと気持ちが落ち着くわよ」
そういって渡されたのは、温かな白い飲み物。ゴナンはごくりと飲むと、少し顔を輝かせた。
「…美味しい。これ、ヤギの乳? でも、ちょっと味が違うような…」
「これは牛の乳よ。少しハチミツを混ぜて甘くしてあるけど」
「牛の乳、これが…。話は聞いたことあるけど、初めて飲んだ…」
「これは栄養にもなるし、たくさん飲めば背が伸びるらしいわよ」
そう言うナイフに、ゴナンの目はさらに輝く。そして、熱いのも構わずゴクッと飲み干してしまい、ナイフを見つめた。
「ふふっ、おかわりね。まだあるわよ」
ナイフは奥からもう1杯、牛の乳を持ってきた。そして、ナイフも横のソファに座り、牛の乳をゴクゴクと急いで飲むゴナンを優しい眼差しで見る。
「リカルドに、ユーの民のこと、聞いたんですってね」
「あ、ああ、うん…」
ゴナンは目を伏せ、そう小さく返事をして目を伏せる。ナイフだけは、リカルドのこの話を全部知っていると言っていた。
「…彼がユーの民だと知って、彼が死ぬ日にそばにいて幸福のおこぼれをもらおうとつきまとう輩が多かったらしくてね。それにうんざりして村も出たそうなのよ。それもあってか、リカルドは必要以上に人と深く関わらないし、子どもを持ちたくないから恋人も作らないし、異性への感情も捨て去って娼館でいつも適当に済ませてるし…」
「適当に済ませる?」
「…っと」
少し口が滑ったナイフ。
「それはともかく、生に執着したくなってしまうのがイヤだからって、あまり感情を動かすようなこともしない。そういう感じで、あのイヤな微笑みを浮かべながら、フラフラとうすーく生きてきたのよ。ほんと、つまんない人生よね」
「……」
「でもね。どういうわけか、あなたと出会って何かが変わったみたい。ここに戻ってきてからのリカルドは、今まで見たことない表情ばかり見せるのよ」
「そう、なんだ…」
ゴナンはうつむきがちなまま、言葉少なだ。彼の中では、まだリカルドのことは何も整理できていないのかもしれない。
「ゴナン。リカルドがあなたに自分のことを話したのは、自分を追ってきてくれたあなたへの誠意だと思うの。彼が、こんなに他人に対して深入りするのは、恐らく生まれて初めてだから」
「うん…」
「でもね、だからといって、自分の人生のことでゴナンに何か荷物を背負わせたいわけではないのよ。あなたはあなたの、より良い人生を選び取って欲しい。彼はただ、そのための選択肢と可能性をあなたに与えたいだけだから。リカルドの呪いにとらわれすぎないで、自分のしたいことを一番にね」
「……」
ゴナンは、飲み干し空になったマグカップをテーブルに置き、そのままうつむいた。
「俺の人生とか、よく分からないよ。俺、なんにもできないし、今一番したいことっていったら、リカルドと一緒に旅をしたいってことだけ、だから…」
「……そうね。それでいいわよ。2人旅のはずだったのに、オマケがぞろぞろと着いてきて申し訳ないわね」
そうふふっと笑ったナイフ。と、階段の方に目を遣る。
「あら、ミリア。あなたまでどうしたの?」
階段からミリアが降りてきていた。服装はいつものジャケットとスカートに戻している。
「ええ、少し落ち着かなくて。誰かとお話ししたいと思ったら、下から声が聞こえてきたから…」
そう口にするミリアの表情は冴えない。旅が楽しみでソワソワしている、という風ではなさそうだ。その様子を見て、ゴナンはハッと立ち上がった。
「…ミリア。昨日、リカルドにいい場所を教えてもらったんだ。行こう」
「いい場所?」
「ナイフちゃん、昨日のあのライト、貸してくれる?」
珍しく勢いのあるゴナンの言葉に押されて、ナイフは昨日貸したものと同じライトを手渡した。ゴナンはバタバタと部屋に戻り、布を持ってまた降りてくる。
「さ、行こう」
そう言ってゴナンはミリアに手を差し出す。その手を取るミリア。2人は駆け出す勢いで、店の入口から出ていって。
「……え、ちょっと…! こんな夜に2人だけで、危ないわよ……!」
と、ナイフが止めに追いかけようとしたとき、その脇からエレーネが出てきた。まだ外着のままで、レイピアも身につけている。
「…私が着いて行くから、安心して。2人の邪魔はしないように、こっそり行くから」
「邪魔って…」
苦笑いするナイフにエレーネも少し微笑んで、すぐに店を出て2人の後を追った。なんとも頼りになる女性である。
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