シリーズ 「すっぽん三太夫」シリーズ 「お展墓道中顛末記 無縁墓急増 でも 明治人の個人情報保護ってナニ??」
実際に日本で起きた、ある〝事件〟の話でございます。
場所は東京・谷中霊園。上野公園からも至近のこの霊園は、春ともなれば、満開のソメイヨシノの並木道が往来の者の目を楽しませる都内有数の桜の名所としても知られているのでございます。
事件は、その谷中霊園の管理事務所で起きたのでございました。
霊園は雑司ヶ谷や青山と並ぶ、東京都が管理しているものゆえに、実際の現場業務は都の外郭団体である公園協会に任せられているのでございます。それゆえに、各霊園で働いている現場の方々は、東京都公園協会の職員さんというわけです。
このたび、私はこの谷中霊園に眠っているはずのあるかたを詣りたく、しかし、広大な霊園のどこに墓所があったかが記憶定かでないがゆえに、むろん、管理事務所を目指したのでございました。
しかし、職員の方のご回答は問い合わせる以前に決まっていた模様でございました。
墓所を探しているのですが…誰誰の…と、言い終わる間もなく、こちらの言葉を遮り、初老の男性はこう答えたのです。
お教えできない決まりになっております、と。
詳細を訊ねる以前の即答ぶりに唖然と立ち尽くす私にわき目も触れずに、何やらパソコンを叩くこの職員に、なおも私は食い下がったのでありました。
「いや、あの、お教えできないというのは?あなたは誰?何も聞く前からお教えできない決まりとは?その決まりとは何?」
パソコンに向かって何やら打ち込んでいた初老の男性はいかにもかったるそうにこちらに向き直り、こう告げました。
「個人情報保護なのでお教えできません」
逃げるものを追う血が、刹那、一気に沸点に達したのでございました。
「あなたは?あなたは公園協会の職員さん?」
柔らかな物腰一転、力の入ったダミ声にこちらの怒気を悟ったのでしょうか?初老の翁の背筋ににわかに戦慄が走ったようにも見受けました。
「職員ですが?」
「見受けるに、あなたは嘱託ではないのですか?私は遠路はるばる、こちらに埋葬されている親戚に花を手向けに訪れているのですよ。それをキーボードに手を置いたまま、事情も聴かずに教えられない、とは何事かしら」
故人の墓が〝個人〟情報保護とは、それこそタチの悪い洒落以外には思えませんでした。昨今はやりの、個人情報保護法を盾にした窓口での露払いとしか思えなかったのです。
翁は困ったような表情でカウンターに寄ってくると、今度はひたすらに謝り始めたのです。わずか十人に満たない職員らの視線はすでに、カウンター越しに仁王立ちするこちらに不安気に注がれておりました。
翁が、根拠は分からないのですが、とにかくそうとしか答えられないと繰り返すので、私は管理事務所の所長さんのご登壇を依頼いたしました。すると、待たされること小一時間、東京都公園協会の課長さんともども、中年の女性所長がどこからか駆けつけて参ったのでありました。
そして女性所長は課長さんと顔を見合わせながら、こう答えたのです。
「私どもはあくまでも東京都から管理を委託されていますので、東京都の指示があればお墓の有無はお教えできます。東京都と交渉していただけませんか」
なぜ教えられないのか、にも明白な答えを持ち合わせない公園協会としては精いっぱいの苦悩した末の、〝入れ知恵〟であったようです。その場をしのぐために、東京都に投げた、のでした。
私はご指示通りに東京都の担当部局を訪れ、課長席へと無言のまま歩み寄り、訊ねたのでありました。
「都立霊園では、故人の墓所を個人情報保護の名のもとに答えられないというのはどういうことか」と。
すると、課長さんはいかにも、懇切に相談に乗るかのように身を乗り出し、こう教えてくだすったのでした。
「情報開示請求をしてみてください。私どもも、情報開示請求であれば、対応せざるを得ませんので」
私はこのとき、すでに茶番に気づくべきでした。自らの未熟さを悔やみました。
意気揚々と情報公開のカウンターへと寄り、さっそく、お訪ねしたい墓所の名前を書き、お墓があるかないかまで、表現上、きわめて広範囲を網羅できるように配慮して書き添えたのでした。
むろん、一抹の不安はありました。課長は情報開示請求しろと言ったが、当該部局の情報開示請求はさっきの課長のところに上がっていくのではないか、と。
ほどなく、都庁からの連絡で請求に対する回答を取りに参上いたしました。
結果は、案の定でした。
存否応答拒否―。これが回答だったのです。
東京都では国が定めた個人情報保護法に準拠した運用準則によって、故人の墓が霊園にあるかどうかさえ、回答しない、ということなのです。
もっとわかりやすくいえば、ないかどうかさえ答えませんよ、というわけでした。
けだし、逃げるものは果てまででも追わなければなりません。
ことをただしに、再び課長席に歩み寄り、こう告げました。
「私が訊ねたのは、谷中霊園ができた直後の明治時代のお墓ですよ。すでに亡くなって百年以上が経っているかたの墓があるかないかが個人情報保護とはどういう了見ですか」
課長以下、グーの音も出ません。参っているのではなく、考えたこともなかったからでした。前例がなかったと繰り返すのです。
では、都立霊園をはじめとする公営霊園では誰にならば、墓のありかを教えるのか。不思議ではないでしょうか。墓の管理者として登録された、ただ一人なのです。初老の翁が打ち込んでいた端末には各墓所の管理者、つまり、管理費を納入する代表者の名前が登録されています。公営霊園では、指定され、登録されたたったひとりの管理者以外には「存否応答拒否」せざるをえないということになるのです。
都立霊園をはじめ公営霊園では現在、管理者と連絡が取れなくなった墓の整理を事業として急いで進めているといいます。第一次ベビーブーム世代が急速に高齢化し、墓地の供給がとても間に合わないことも背景にはあるようです。
しかし、その一方で、仮に墓所に縁のある遠くの親戚やあるいは子がきたとしても、当初、墓の管理者に名前が登録されていなければ「存否応答拒否」なのです。
これでは、本来は無縁ではない墓所でさえ、無縁墓所と化していくのは当然の流れとなってしまいます。
ちなみに、私が探していた墓は、谷中霊園ではなく、谷中霊園と隣接するあるお寺の墓所で見つかりました。こちらは私営ゆえ、訊ねると、お弟子さんはやはりコンピューターに入力された台帳を開き、すぐに場所を教えてくださいました。
私営と公営、これはどちらに入るか考えものだと思ったのでした。私営では子々孫々が仮に思い立って訪ねてきても、すぐに教えてもらえる。一方、なにかと安心な公立では、「存否応答拒否」で無縁塚に帰してしまう。
死後の来客を考えたとき、私はいささか悩むのでありました。
ちなみに、都立霊園の管理事務所は「存否応答拒否」を貫く一方で、必ず、霊園に眠る著名人の墓所一覧を用意しております。
「個人情報保護を盾にする一方で、この著名人名簿は個人情報保護法成立以前からそのままあるが、そもそも「故人」に掲載許諾を生前に得ているのかえ」
都庁の課長は詰め寄る私にこう答えました。
「ご遺族からはもらっているはず、ですが…」
「ならば、承諾書そのものの有無だけを情報開示請求してみるかえ?あると言い張るのならば」
…沈黙が支配したのでありました。私は最後にこうも告げました。
「ほれ、谷中霊園の著名人一覧には、ここに、当時世相をにぎわせたある殺人事件の犯人の墓もあるわな。これ、こんな殺人事件の犯人の遺族からも承諾書を取っているはず、ということになりますかな」
沈黙が支配し、その後、ついに端末は開かれたのでした。
私はそうして、訊ねている墓所が谷中霊園にはなかったことを確かめることができたと、そんな次第でございます。