まだコロナ禍が続く、数年前のことであった。
沖縄返還の取材で知遇を得た、産経新聞社の那覇支局長さん(当時)からメールが届いた。
七尾さんに連絡したいという者がいると、そんなご連絡だった。
基本は、人間と出会いが嫌いでないボクは、どんなお相手であれ、まずはご連絡を差し上げてしまう。
今となっては、まずそのオメデタサが常々裏目に出る人生であることを毎度忘れてしまうのが、未熟さの至りなのだろう…
それにしても、コロナ禍で「初対面」なる機会から遠ざかっていたとはいえ、久しぶりに当初から「不愉快極まりない相手」であった。
すでに病気が発覚し、オペができる、いやできないだのと、諏訪の日赤病院と東大病院とを往来していたボクは、上京の折に、産経新聞の坂本慎平なる人物に会うために出向くことになったのだ。
産経新聞社の入るビルの前の路上や、2階にも喫茶店があるので、そこでお話でもできればいいと思ったのだが、指定されたのは、丸の内のオアゾなるビルの、丸善なる書店の前だった。
基本的にボクはもう10年近く書店に立ち寄ったことがない。
理由はただ一つ。
僕の自費出版本が置かれていたためしがなく(当たり前だろうが、このオバカサンめ)、書店と聞くと、自分の無能さを実感させられ、辛くなるからだ。
それゆえ、書店の前で待ち合わせるのさえ乗り気ではなかったが、指定されたので仕方がない。そこに現れた坂本慎平なる人物は会うなり、神保町に移動しましょうと言い出した。
朝から高速を飛ばして上京し、車は産経新聞そばの住友商事地下の駐車場に入庫してある。
そこから神保町に移動し、さらにまた神保町から戻ってこなければならないのだろうか。
その頃、背中の患部周辺の痛みがひどく、コルセットをしていたボクは、参ったなと思った。
しかし、ボクはまだこの坂本なる人物の、どこまでも底抜けに図太い性格と思惑を見抜けてはいなかったのだ。
ここも甘ちゃんなのだ。
なぜ、丸の内のオアゾで待ち合わせて、わざわざタクシーで神保町に移動しなければならないのか、また、初対面で挨拶さえまともに交わしていない相手をタクシーに乗せてなぜ神保町へと、なぜそのような無作法とも受け取られかねないことをやるのだろうかと、嫌な予感はあった。
着いたのは、神保町の路地裏の、小さなエスニック料理の小店だった。
正直、参ったなと思った。
そもそも、ボク自身、初対面の相手と待ち合わせる時は、待ち合わせる店が初めての場合は、ご案内する座席や店の雰囲気を含め、必ず下見をする。
立場のあるお相手であれば、個室であればヨシとするだけではなく、そこまでの動線や隣室からの声のもれ具合、お相手の好みに至るまでを自ら確認し、お店の方と打ち合わせておく。甘いもの、辛いもの、飲み物に至るまでメニューも事前に確認し、お相手のご体調やお好みに合わせて、会合の流れできちんと追加のメニューもご提案できるようにしておくのだ。
しかし、この坂本慎平なる人物は、丸の内から、自らが呼び出した初対面の相手をタクシーに乗せ、神保町の裏通りに降ろしたのである。
想像できない作法であった。
隣の座席との距離などあってないその狭い空間で、会話も筒抜けである。しかし、学生さんがランチで過ごすには人気の店であろうそこへ、連れ込まれたのであった。
なるほど、彼がボクを呼び出した思惑はなんとなく、うっすらとわかるような気がし始めた。
彼はタクシーの車中からもどこかへと電話をかけ、今から会えないか、というような言葉を交わしている。
そして、ボクを連れ込んだその路地裏の学生食堂のような、寄りかかるにも十分さのない強度の椅子に座って向かい合うと、こう切り出した。
「僕は産経新聞という看板を大いに利用して出版業界と付きおうとるんですわ。それで、業界ではけっこう有名なんですわ。そんで僕のところに原稿を送ってくる人がたくさんいてはるんですわ。(本人は関西人とのことで、関西弁が不正確であればごめんなさい)
いやー七尾さん、5年前だったらあなたを売り出せたなあ。今、有名になっている人たち、みんな、僕が売り込んで、賞も取らせたんですわ」
会う日取りが決まってから、坂本慎平なる人間を検索したことがあった。すると自身のSNSには、有名作家である石井光太先生や井上理津子先生といった方々との写真や、会ってこんな会話がなんだという話が散見された。つまり、そういう有名作家先生は俺が売り出したんだと、どうもそういうことを言いたげであった。
それにしても、まだ未知の、初対面の人間に対する彼のその自信たっぷりのフィクサーまがいの発言の数々に、甘ちゃんで“小心”のボクは容易におののいてしまったのだ。
つまり、このサカモト・シンペイなるセンセイは、お前の名前は知っている。よければ俺が売り出してやってもいいと、まがりなりにもこの自費出版業界の泥沼にすでに20年近くもハマりこんだボクに対して、おっしゃっておられるのだ。
きっと、ボクがギョーカイに疎かっただけで、眼前で俺はすごい、俺のところに皆、原稿を送ってくる、俺は産経新聞を“隠れ蓑”に出版業界に才能のあるやつを斡旋している旨を、言葉を換え、繰り返し繰り返し説くこのサカモト・シンペイなる人物は、芥川賞作家か直木賞作家のセンセイであられるのかもしれない。
いまだかつて遭遇したことのない出版フィクサーさまか、あるいは不勉強にして未知の大物作家さまが今まさに、まるでゴールデン街のバーの雰囲気をも彷彿とさせる場所にわざわざに呼び出し、そして天啓のごとく、不動産ディベロッパーの如く、地上げ屋の如くにボクに語りかけてくださっているのだ。
心底、震えた。
そして…。
すでに出向いたことに悔いていた。病気の身体をおして、なんとくだらない人物の誘いにのってしまったのだろうと。
坂本なる人物は、まるで勢いとツッパリ一本で生き抜く、流しの不動産ディベロッパーを前にしたかのような雰囲気を全身から発散させていた。
あれほどの見識豊かな那覇支局長さんからのご紹介だというから会ったのに、この男は開口一番、何を言い出すのだろう、と。
この坂本なる人物は、社内に対してさえ恐れを知らぬ発言を繰り出して見せた。
ところで七尾さん、那覇支局長の〇〇さんとはどういう関係で?と問う。
ああ…ええ…あの…なんでもボクの本を読んでくださったとかで、その内容について何度かやりとりをさせていただいたんですが…。
坂本はおそらく、社の大先輩であろう、当該支局長さんのことをあっけらかんと、こう評したのである。
あの人は難しい人ですよ。メールなんかにも返事はよこさない難しい人です。
だからなんだというのだろうか。メールにも電話にも応答しない人間など、業界を問わず、あたりに溢れている。強い者には弱く、弱い者には強くでる、むしろそんな人間しかギョーカイでは見たことがない。
それにしても、『正論』の編集長をも務めたほどの社内の先輩に対してまで、この中途入社の坂本なる人物は大いに“上から目線”とも取れる発言に躊躇しない。
確信していた。
ホンモノだ。ホンモノの底なし感覚だ…さすが、有名作家らを俺が賞を取らせた売り出したと「言い切る」だけの新聞社社員にして「出版フィクサー」さまだ…
初めて会うときには、いつも持参している「大人の紙芝居」と称する、無名の人々の写真と、その人々が歩んできた人生の足跡を記した“紙芝居セット”をお見せすることがある。
その日も、大きなビニール袋に入れ、それを持参していた。
いっぺん通り、坂本なる人物の、俺はすごい、こんなにすごい、みんな俺が売り出したといった、新聞社の名刺を利用して才能を発掘しているかの如き咆哮をひとしきり聞いた(聞かされた)後、どこまでも甘ちゃんのボクは、とはいえ、せっかく会ったんだから僕がお見せできる唯一の“芸”をと、その紙芝居のいくつかを、お決まりの口上とともに披露することにした。
と、そのネタのいくつかを披露し終わったところだっただろうか。
彼は再び、驚くことを口にした。
七尾さん、それ、週刊金曜日ならばすぐにできますよ。連絡してもいいですか、週刊金曜日に、と。
仰天した。
産経新聞の社員が週刊金曜日に連絡?
まあ、狭いメディア業界である。たいていのキッタハッタ・ジャーナリストなど、情報ゴロ、情報転がしと同義に等しい。
それにしても、週刊金曜日など呼んでもらってはこちらが困るのである。週刊金曜日がどうのこうの以前に、徹底した自費出版マニアを自称している僕は、媒体にネタを売り込むことなど、とうの昔に関心を失っている(とは表向きで、実際には能力を喪失している)のだ。
そもそも、そんなことを欲して出向いているわけではない。
不思議であった。
この坂本というのは、いったいなぜボクに会いたいと、わざわざ那覇支局長を介してまで連絡してきたのであろうか、と。
何よりも、この人物の一言一句からは、思慮の浅さ、軽薄さこそ見とれども、思考の深さというものを感じとることはできなかった。(もちろん、それはボクがアホであり、バカだからである)
その理由は、こちらが話したことに対する「自身の考え」の欠如である。
まるで、週刊誌の記者を前にしているようだな、と思えた。
目の前を通ったものにはなんでも食いつくブラックバスのような…(いや、バスアングラーを自認するボクがそんなことをいってはいけない。相模湖のバスのみならず、今や日本各地のスレバスとの戦いはそんな単純なものではないのだ。ガンクラフトを装着してただ巻けば、というイージーなものではない。水面を挟んで互いに見えぬ眼を見つめ、心の波動を探り合うかの如き…失礼)。
産経新聞が週刊金曜日を呼んでいいかとは、それにしても、産経新聞にも若い頃から友人は多かったが、初めて聞く驚愕の言葉であった。
しかし、この人物が“出版フィクサー”まがいの大物発言を僕に繰り返す意味は、そのつまらない会合の後に明らかになった。
坂本は、写真を撮らせてくれという。
自分のfacebookに写真をアップしていいか?と。
いいよ、と答えた。
やはり、とことん、甘ちゃんでオバカサンなボクであった。
ただ、と言った。坂本さん、あなたボクのことを知らないと思うけれども、ボクはあなたが新聞社の肩書きを大いに利用して食い込んでいるという出版業界では、とりわけ評判が悪いんですよ、と。誰も相手にしていないどころか、ボクを知らない人物こそがボクを悪様に語り、嫌っている。ボクはそういう人間ですけど…と。
坂本がその言葉をどう受け止めたのかはわからない。
しかし、もとよりやり手のディベロッパーや駆け出しの営業マンにありがち?な、相手の話に心を傾けるよりも、自分の喋りたいことだけをとにかく相手に吹き込むが如きその姿態に、おそらく向き合う相手の言葉の真意や“深意”を汲み取るといったことはできない人物であるやに、ボクは眼前の人物のナリを解釈したのであった。
そして次の日、笑顔で撮った写真を自身のfacebookにアップしたというその画像のキャプションは、想像を超えていた🤣
七尾さんと久しぶりの再会、と。
無論、笑いを通り越して絶句した。
再会?いや、初対面だよね、と。
そして不謹慎ながら、こう感じてしまった…。
辟易するな、外道が、と。
久しぶりのくだらない出会いだったな、と。
初対面の人間を自身のSNSで紹介する時に、「久しぶりの再会」とは、これはいかような心理と思惑が坂本なる人物の胸中にあったとしても、それは、相手に、つまりさすがにボクをおちょくっているのだろうか…と。そして、そう取られるとさえ感じないほどの感性の鈍感さであるのか、と。
よもや、あの学識豊かな那覇支局長の人脈で、こんなハッタリ野郎が現れるとは想像できなかったと、ボクは自分自身の無能さを一層、恥じたのであった。
初対面を再会と称するからには、彼には彼の“思惑”があったのだろう。
しかし、その思惑もまた見事に外れた。いや、あちらにしても、想像を超えて外れたようだった。
その坂本のもとには、あんな野郎(七尾)と知り合いなのか、という坂本が期待したものとは真逆の“評価”と大いなる“警告”が各方面から寄せられたのであった。
そして、それを受けた坂本からは、次のようなメールが届き、ボクはブチギレた。
笑いながらブチギレた。
こちらである。
慎んで、本人の許諾なく公開したい。あまりに長いので、あらかじめ、週刊誌記事の識者コメントのように、こちら側の文脈に都合よく、おもろいところだけ、であることをあらかじめお断りしたい。(ごめんなさい)
坂本慎平です。
出版界は狭いのか、私がFacebookでお会いしたことを書くと、あっという間に噂が広がっているようです。私も、ゲスなところがあるので、少しだけ情報を集めてみました。それは警戒というより、人間的な好奇心からです。
七尾さん、清泉さんのことを悪くいう人も多いことは分かりましたが、それは、この仕事をしていたら、いろいろ出版社や関係者との衝突が多いことは
当たり前で、驚くほどのことではありません。
また、性格面に言及する声もありましたが、偏執狂的な執着心、小心ともいえる猜疑心、トラブルをやらかす大胆さ、私は驚きません。良い取材や作品には不可欠なものであり、どう世間と折り合いをつけるかが重要であって、出版社の人間はそれを分かったうえでフォローしなければなりません。
七尾和晃死亡説。実に愉快じゃないですか。その工作があまりうまくないから、世間ではその生死が不明なまま。それは、七尾時代の自分を完全に過去の亡き者として殺すことができない未練があるからだと思います。
当然でしょう。自分が心血注いでやってきた仕事の名前。簡単に殺せるわけがない。そこに清泉なる名前での新たな仕事が広まるから、業界内ではさらに謎が深まる。
七尾としての自分を殺したくなった理由。そこに、いろいろ出版社の人たちと確執や衝突があり、自業自得の部分があるかもしれませんが、そうとわかっているならば、もう過ぎてしまった時間はやり直せません。これから未来に向かって生きていくだけですよ。
七尾を許さないという人がいれば、それはそれで仕方ない。
ならば、これから新たな人とあらたな関係をつくっていくしかない、私とのように。それだけのことです。
およそ公私を問わず、恐れを知らぬと思われて生きてきたボクでさえ、初対面直後の、一度だけ、それもわずか1時間ほど会った人間に書き送るにはたいそう大胆な文面ではないかと笑った。
そして、つぶやいた。
アホか。
コネと情熱を駆使して産経新聞に入ったと彼は言っていた。
ならばこそ、自身を出版フィクサーと称してうそぶく前に、給料をもらっている本業に励むべきではなかったか。
あるいは産経新聞よりも週刊金曜日が好きならば、そちらに転籍すればよろしいのではないか。
後日、この男には当日の飲食代として5千円を社宛に送り返したが、もちろん、返礼の一言さえ届かない。
それはまさしく、若い頃からその看板だけを自身の実力と勘違いし、持ち上げられることにダレた、謙虚な自省なき出版人そのもののような、オオモノの振る舞いであった。
産経新聞(旧日本工業新聞)に中途入社して何年か知らないが、それほど、産経、サンケイ、サンケーの看板で、と繰り返しながら、しかし彼はその看板が入った名刺だけは僕には出さなかった。
それもそうだろう。彼は本業では自身が「すごいジャーナリストである」と誇らしげに語る、その語りを担保するだけの肩書きではないはずだから。そんなことは、会うまでにすべからく内偵済みである。
向き合う相手が笑顔を絶やさないとき、その笑顔ほど怖いものはない。
それを知らずして、“戦場ジャーナリスト”は務まらないのではないだろうか。
なお、最後に一つだけ。
情報というのはたいがい、同じレベルの者同士で循環するもの。
あなたが僕に書き送ってきたメールで、僕もあなたをじっと観ているのですよ。
そこに気づけないあなたは、もっとしっかりと自分の足元を見つめて、そして、さっさと僕のように無能さを悟って引退したら?どうでせうか。
ようこそ、リタイヤ・ランドへ
ああ悲しきかな。僕という無能の道化師。
初対面の人間にさえ、まるですべてを分かったかのように、見切ったかのように不躾に書き送られる、僕という人生はそれほどまでに浅いものだったのです。
カモン!リタイヤ・ランドへ
この顛末を読まれた皆さまはぜひ、元気を出されてください。チッ、取引先のあいつ、本当にこっちをみくびりやがって、なめやがって…。日々、お怒りはたくさんおありかと存じます。
でも、いかがでしょうか。
初対面のご自身に対して、ここまで勘違いした言葉をぶつけられ、態度で示されるご体験、そこまで頻繁にございますものでしょうか。
どの世界、どの社会も狭いギルドで生きて(のさばって)いると、どうしても、その世界のジョーシキで他の世界をも評価してしまうようになってしまうのでしょうか。
それはきっと、「正義」を語るメディアも同じなのかもしれません。
謙虚に生きたい。謙虚に死にたい。小さく生きて、小さく死にたい。
だから僕は、メディアの人とのお付き合いはやめました。
サカモトさん、最後にあなたのメールに対する返答をここで。
あなたの思い込み?取材?それすべて当たってないよ。
なんでか?
あなたにボクについて吹き込んだその面々はすべからく、あなたと同じ発想と思考に“同期”している人々に違いないから。
毎晩、毎晩、彼らが酒場に入り浸ってきた何十年もの間、ボクはただひたすらに自分の勉強と研究に勤しんでいるのですよ。
ボクよりも不勉強な人間たちがボクをどう評価して見せようが、そんな与太話を初対面のあなたにしたり顔(メールだからどういうお顔で書き送ってきたのか分かりませんが)で送りつけられるとは、ボクはまだまだ未熟者でしたね。
ああ悲しいかな。ボクも一度でいいから、自分に酔って生きてみたかった…。自分という人間に酔えないボクが恥ずかしいです。
なんたる無能なのかな、ボク…
➖耳にした話を鵜呑みにする…
➖聞かされた話を疑わない…
➖酒を呑んで管を巻く… ➖仲間との会話に生きる…
世界はそんな、自身にとって心地良く、耳触りがいい“お仲間”という世界の外にこそ、より広く、深く、ひろがっているのではないのでしょうか。
ボクは常に、昨日までの自分と日々、訣別して生きてきたのですよ。
ボクは常に、名刺と肩書きを捨てて生きてきたのですよ。
そんなボクと向き合ってくださる方だけを、ボクは大切にして生きてきたのですよ。
“出版フィクサー”のサカモトさん、あなたとあなたのお仲間に、ボクはそんな生き方を、酔いどれた赤ら顔で揶揄されるとは…
ああ、悲しきかな。自費出版マニアのボク…😭自業自得か…撃沈
ここ、noteで書かれている皆さんに心からエールを!!
書くこと、書き残すことの楽しさは、知名度や看板とは違うところにあると思うのです。
有名になりたい、売れるものを書きたい、それも正しい動機であるのかもしれません。
でも、自分自身に妥協しない仕事、自分自身の納得のいく仕事、最後はそこにこそ、書く喜び、記す意味があるというのも、やはり間違ってはいないのでは、とも思えるのです。
きっと見つかります。
あなただけの「一身専属の魅力」を理解してくれる読者さんや編集者さんが。
そういうかたを大切に。素晴らしいモノを表現されてください。
ボクもまた、次の、本当の出会いを楽しみに、これからもどんどん、無能の宴を展開していきたいと思います。
そんなボクの気持ちを支えてくださるのは、わずか数人の理解者がいらっしゃってくださるから。
万人受けもいいけれど、一点突破もいいじゃない。
突破できなかったボクだけど…撃沈