毒舌 「すっぽん三太夫」シリーズ 「令和版『黒部の太陽』と令和ニッポンの夜明け」
石原裕次郎が出演した『黒部の太陽』が公開されたのは一九六八年のこと。日本の土木史上、未曾有の難工事となった富山・部ダムのトンネル工事で、石原は相次ぐ出水と闘う現場の臨場感を好演する。この〝黒部の太陽〟をふいに思い出すことになった。
「どこっ、どこいくのっ」
人の影などありようもない、秘境とも呼びうる山中で、いささか怒気さえ含んだような声とともに車を制止されたのだ。南アルプスのふもと、奈良田という小さな集落にこの春、久しぶりに向かおうとしていたときのことだ。
山梨と静岡とを結ぶ富士川沿いの国道からさらに三十キロ近くを山に分け入る奈良田への道程は、車であっても難儀の一言に尽きる。路面は、まさに斜面にとりつくように巻いており、時速三十キロ以上を出そうものなら、対向車が来た時によけられないほど見通しが悪い道が続く。S字どころか、カギ型カーブとも呼ぶべき見通せないうねりが延々、南アルプスへと続くのだ。見上げれば、ほぼ垂直に切り立った山の地肌は、そこかしこに大きな崩落の爪痕をさらしている。
南アルプスへの登山口としても知られる奈良田周辺で「山の神」の痕跡を調べている小生は、数か月に一度はその道を通っていたのだが、冬が明けた今年に入ってからは初めての山中行路であった。
山の神は、古く、坑口のそばに奉られてきた「鉱山の神様」である。山の神の痕跡をたどることで、古の山師たちや、近世の鉱山労働者たちの生活痕跡の移動の流れを追っているわけだ。火山列島の日本では至る所で鉱物資源が採れたため、試掘を含めた坑口はあらゆる場所に埋もれている。その後、坑口が塞がれても山の神の祠だけは残っていると、そのような次第である。
思い返せば、富士川を逸れて奈良田への道に入ってから、いつもより頻繁に道路工事が行われている気配は感じていた。だが、もとより富士川へと注ぐ早川沿いは砕石工場も多い。山中にしてはダンプの往来も少なくはなかったため、気に留めてはいなかった。何やら道路を拡幅し、アスファルトの下に敷く下地の処理を、いつもより念入りにやっているなと、そう感じる程度だった。
奈良田に向かう途中には、有名なフォッサマグナの露頭箇所もある。日本列島を分断する、地学でお馴染みの巨大断層である。徐々に物々しさを増したのは、そのあたりに差し掛かった頃だった。
通常の道路工事とは異なる、制服の新しい交通整理員とも監視員ともつかない、するどい眼光とすれ違う頻度が増していく。なんだかまるで、沖縄の米軍基地みたいだな、とつまらない冗談を独りごちようとしたそのときであった。
「どこいくのっ」と、制服姿の男に止められたのである。
山の神の痕跡を求めて常々林道深くまで踏査し続けている小生には、実に不本意な、それこそ「オレのセリフ」であった。
「あんたらこそ、なんの権限でオレの車をとめるのよ」
〝監視員〟はそれには応えずに、トランシーバーでゴニョゴニョと呪文のようなやり取りをしている。
そして。「この先は何にもないよっ」。
「ええー何もないのぉ~」
そう無邪気に返すと、多少、警戒心が緩んだのか、相手の言葉も柔らかくなった。
「何もないない。ちょっと行ったら、もう行き止まりっ」
「そうなんだあー、じゃあ行っても仕方ないねえー」
無邪気を装う小生。
「うん、行き止まり」
「行き止まりじゃあ、仕方ないねえ~」
こちらの諦めたような声色に、警備員は、安堵ともつかない笑みを浮かべている。
さりとて、こちらはハンターである。その先は確かにどん詰まりだが、「何もない」のが、小さな〝ウソ〟なのは、すでに把握している。警備員らのトランシーバーの呪文が守る先にあるのは、あの「リニアの工事現場」なのだった。
今更ながら、リニア中央新幹線は、二〇四五年の開業を目指してJR東海が着工した、政権肝入りの国策プロジェクトである。二〇二〇年の東京オリンピックに間に合わせろ、間に合わないと、すったもんだがあったが、とにもかくにも、ついに着工したのだろう。
なによりも、「山の神」調査の現場が、リニアの現場になろうとは思いもよらなかった。二〇一七年、開いたのはリニアの坑口だったのだ。それにしても、そこはフォッサマグナの断層が地上にまでむき出しになった、日本列島を分断する断層のほぼ真下ではないか。
JR東海がそこ、山梨県早川町で開催した工事説明会の資料によれば、フォッサマグナを通貫させる「南アルプストンネル」は、山梨側と長野側をつなぐおよそ二十五キロの計画だ。南アルプスの真下をフォッサマグナをぶち抜き、直径約十三メートルの半円状のトンネルを通すのだ。この山中の工事は、工程表通りに進めば、向こう八年間に亘り、続くことになる。準備期間を含めれば、十年間に及ぶ一大事業である。人口およそ一千百人の早川町にとっても、史上最大の町内プロジェクトということになろう。
さらに、町内の山中地下を掘り抜くだけではない。この地下トンネルを時速五百キロで駆け抜けるリニアに不測の事態が起きたときのために設けられる地上非常口二か所が、やはり町内に設けられるのだ。小生の車が検問よろしく止められたのは、その非常口建設予定地へと向かう道であったのだ。
すでに集落の一角には、おそらく作業員たちの宿舎もかねているのであろう、プレハブ施設にしても異様な規模に映る、工事用宿舎と思しき〝飯場〟が出来上がっている。その室外に取り付けられたエアコンの数の多さが目を引く。計画ではピーク時で最大二百人を収容するという。
住民登録はしないまでも、人口わずか一千人の町が工事期間中、二割近くの〝人口増〟となるのだ。通いの工事関係者を含めた昼間人口となれば、さらに増えるだろう。向こう八年間に亘る集落の活況ぶりさえ目に浮かぶようではないか。
都会暮らしの者々にとっては、リニアと言われてもまだまだピンとこないが、山中の限界集落ではリニアは目に見える現実のものとしてすでに立ち現れていたのだった。
それでありながら、町民たちの反応は微妙なものだった。
新幹線が開通するとなれば、地元自治体をあげてのPR合戦が行われる昨今の風潮とはうってかわって、リニアの工事現場のことを訊ねると、むしろ水を打ったように、静寂と沈黙が支配するのはどういうことか。長野新幹線、北陸新幹線、北海道新幹線ときて、いよいよリニア中央新幹線の時代じゃあないの、と軽口を叩く隙もない。町民は「リ・ニ・ア」の三文字に、なにやら渋面を見せるではないか。
「まだ、何かと反対のひとも多いから…。反対派がやってくるから…」と。
日本全国、新幹線と聞けば沸き立った笑顔しか見たことのない小生を一気に委縮させる苦悩の表情を、老人たちは一様に浮かべるのだった。
「まだ反対の声が強いから、だから、大きな声では言えんのよ」と。
「でも、いよいよ始まったんですねえ、二十一世紀ニッポンの最大の事業がっ」
などと、元気づけようと景気のいい声をあげてみても、反応は徹底して鈍い。
とにかく、これまでの日本の「新幹線がやってくる」うきうき感とは無縁の、ともすれば、触れてくれるなその話には、といった空気が支配しているのだ。
計画では、山間の道を、工事のピーク時で一日四百六十五台のダンプが行き交うらしい。作業時間は朝の七時半から夕方五時であるため、ざっと割り算すれば、約一分二十秒ごとにダンプが一台通っていく計算になる。だが、間違えてはいけない。左右に分散されない一本道をわずか一分おきにダンプが排出されれば、それは数珠繋ぎに近い状況だ。なにしろ、一分二十秒ごとにダンプとすれ違い続けるのだから。
JR東海や町では、ダンプ往来による町内通行の不便を解消するために、ダンプ往来の方向を分散させるなど対策を講じているようだが、目論み通りにいくだろうか。富士川沿いの国道近くでは、東名と信越道を結ぶ、中部横断自動車道の工事も急ピッチで進行中である(現在、静岡ルートは開通済み)。こちらのダンプも、川沿いに一本しかない国道を、現在でも血栓さながらに延々、詰まらせているのだ。山梨から東京方面、静岡方面へと抜ける国道は、高速ダンプに、リニアダンプと、早晩〝動脈硬化〟は必至だな、と今から天を仰がざるをえない。
これでは、リニアが開通するまで、奈良田への道はとんでもないことになるぞと思うわけだが、実はどん詰まりの奈良田の集落を甲府方面とつなぐ隠されたバイパスがあるのだ。こちらは拡幅困難な細い林道ゆえ、ダンプは通行することができない。櫛形山を越えて甲府盆地へと降りる「リニア工事の間は丸山林道があるっ」と町民ともども一瞬、沸いた。
だが、丸山林道は法面崩落のため、昨年から通行止めが続いている。さすがに一年近くが経ち、復旧工事が終わっているだろうと思いきや、さにあらず。
当の早川町の担当者は「管理する県の林務事務所からは詳細は聞いておりません。まだ閉まってます」の一点張り。いつもの調子でどぎつく問い詰めれば、現状の復旧具合さえ、知らないどころか、訊いてさえいなかった状況が判明。
そこで担当の峡南林務事務所に問い合わせれば、訊いていることにはなぜか正面から答えない。〝風林火山〟の地だけあってか、「動かざること山のごとし」を地でいく対応である。丁々発止の末に「来年中の復興を目指したスケジュールになっております」との言葉。
林務事務所にヒアリングした結果を早川町の役場にフィードバックすれば…。
「これからはしっかりと把握に努めたいと思いますので」と、恐縮そうな声を出すが、林道の復旧ひとつとってもその程度の認識力、ヒアリング力である。この〝行政対応〟じゃあ、リニアダンプや工事の進捗などをJR東海ほどの精鋭企業の担当者とやり取りすることなど不可能でしょ、絶対、と言って、町民との笑い話と相成った。
町民はしかし、こんな失笑話程度でも、ことリニアが絡むとなれば、やはり周囲の目を気にせざるを得ない事情があるようだ。
「実は用地の買収をめぐって、右翼の街宣車が来たりして、もうこわくてこわくて」
そんなことを教える者の自宅周囲には、確かに風光明媚な山中には似つかわしい、まるで刑務所さながらの監視設備が自宅を囲っているではないか。
山中に見慣れぬ街宣車が押し掛ければ、それは恐怖に違いない。だが町民を沈黙に陥れるのは、リニアの賛成派、反対派、それぞれへの忖度からではないという。
彼らの沈黙は、「賛成か反対か」以前のものなのだ。争いの種に触れることは、人口一千人の集落では何よりもタブーなのかもしれない。
もはや山の神どころではなくなった小生は、再び、工事現場へのアプローチを試みた。町の老いた〝青年〟のひとりがそっと耳元でささやいてくれた場所に立つと、なるほど、眼下には、大きな囲い鋼板がめぐらされた、現場らしき場所が見える。周囲はいつ崩落があってもおかしくないほぼ垂直に切り立った絶壁が取り囲んでいる。不意に、よもやの光景が頭をよぎる。
現代技術の粋を集めたリニアが地下トンネルで不測の事態に見舞われるとすれば、直下型の巨大地震などだろうか。地下空間が大打撃を受けるほどの大地震であれば、この辺りの道路も含めて…いや道路よりも先に周囲の絶壁が崩れるに違いない。山が崩落してしまえば、非常口そのものが機能しないという笑えない事態はないのだろうか、と。
非常口の予定地を見下ろしながら、そんな「もしも」を考えると、生きた心地がしなかった。
町民の間では、とりたてて大きな反対運動は起きていないようである。
その空気は、群馬県上野村に通じるようにも思われた。日航機の御巣鷹山墜落事故から三十年以上が経ち、上野村にとっては、日本航空は年間、大きな寄付金を落としてくれる〝クライアント〟同然となり、御巣鷹山は村最大の〝集客地〟となってしまった。最初は迷惑な存在であったはずの日本航空に、いつしか村人は頭が上がらなくなっていった。村の道がきれいになり、村の温泉にお客が来て、道の駅でお土産が売れるのも、「日本航空の関係者や安全研修と称した各企業による御巣鷹山の慰霊登山」があるお陰となったからだ。御巣鷹山がなくなってしまえば、「第三セクターで造った赤字のキノコ加工場」しかないのだ。
フォッサマグナを通貫する南アルプストンネルが、リニア中央新幹線最大の「プロジェクトX」となることは間違いない。リニア開通の暁には、民放キー局からNHKまでが、密着ドキュメントを制作するだろう。人間に密着、技術に密着、現場に密着と、ネタは尽きない。そのとき、上野村と並び、早川町の名前が全国区となるのだ。
その瞬間まで、早川町の町民たちは、沈黙を守るのだろう。
再びリニアの現場に立ち返れば、あれだけ警戒厳重であるにもかかわらず、眼下に見下ろしたそこが〝現場〟であることは一瞬にして悟ることができる。
秘匿の現場にしてはあまりに無邪気な、某ゼネコンのよく知られた大きなPR標語が掲げられていたからである。
「地図に残る仕事」―。なるほど、まちがいないっ、あそこだっ。
なお、映画「黒部の太陽」の舞台となった黒部ダムには、堤の上、見学コースの脇に、この難工事で犠牲になった作業員たちの慰霊碑が建っている。そこに刻まれた名前は百七十一人にも上る。フォッサマグナの真下で行われるトンネル工事の安全を、何よりも願わずにはいられない。
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