毒舌 すっぽん三太夫「狩猟の冬、到来 ハンターだけが口にする 禁断の珍味」
山野の色づきは、ハンターたちにとってはいよいよ狩猟期の到来を意味する。晩秋から春先までが狩猟期間なのだ。鹿や猪、うさぎに熊といった新鮮なジビエ料理に舌鼓を打てるのは、まさに狩猟者の特権でもある。だからこそ、海でいう漁師飯同様に、猟師の間にのみ流通する禁断の珍味も存在するのだろう。
たとえば、鹿の肉でも、生の赤身をそのままサシで食べたりするのだ。もちろん法律上は、生食は肝炎感染や寄生虫予防の面から禁止されている。しかし、そこは何かと刺身を好む日本人らしい。
表向きは禁止されていても、生食を実践する者は必ず現れるのだ。ばらした(解体)直後の鹿の赤肉はとてつもなく美味だといい、年配の者ほど好んで食べたがる。
絶対に流通していないので、食べたければ自らで狩猟するか、親しい猟師からこっそりと分けてもらうしかない。衛生上いけないとわかっていても、時と場合には、これに勝る〝袖の下〟はないといわれるほどの贈り物にもされるらしい。
なんであれ、新鮮なものに勝るものはないということだろう。さらに、流通上は決して手に入らない珍味だからこそと思えば、極上感はさらに増し、満足感は満たされる。
そんな猟師の間に伝わる禁断の珍味のなかで、最高のものは何かと言われれば、実は、「幻」とまで囁かれるものがある。
サルである。しかし、サルは、法律上は狩猟対象ではない。駆除対象として指定された場合をのぞき、積極的に狩猟することはできない。しかも駆除とて容易ではない。サルとヒトとの闘いの歴史は、それこそ縄文や弥生の時代にまで遡るのではないだろうか。秋の収穫期に、実りの一切合切を集団で奪っていくサルは、知恵者ゆえに手に負えない。
あの手この手で追い払おうと爆竹を鳴らしたりロケット花火を打ち込んだりと、人間側もやっきだが、押しつ押されつの経験から、サルもこちらの手の内は百も承知だ。
自らにとっての安全な距離を測っては、退却と襲来を繰り返す。森を挟んで対峙する様は、まるでかつてのベトナム戦争をも思い起こさせよう。そんな終わりなき戦いの合間に、ハンターたちは駆除と称し、「幻の珍味」を食す隙を狙う。
すなわち、サルの脳みそである。これを果たして珍味と呼ぶにふさわしいのかには是非があろう。
サルを捕らえた者とて、決して公衆の面前では、この話題を出すことはない。禁断の人肉ではないにしても、サルもまたヒトの近親種であり、同じ霊長類であるところが、口に出すのをためらわせる。
初めてこのサル食の話を耳にしたときは、なんとも表現できない、どこか居詰まりな心地を覚えた。話を聞くことさえためらわせるような、そんな感じである。
そのうえ、脳みそ、である。
一部狩猟者の間でのみ伝わるこのサル食を実際に行ったことがある人間に出会ったのは、ある山深い集落でのことだった。
あらぬ誤解と迷惑がかかることを恐れ、さすがにここでその集落の名前を出すのは遠慮するが、その地はなるほど、田畑を耕作しても限りがあり、歴史的には食生活が極めて厳しい場所であったろうことがうかがえた。
南北アルプスに連なる某所、という程度でご勘弁願いたい。
もちろん、狩猟者の間であっても、軽々に口端にのぼることはない。幻の珍味とされているそれは、耳にすることさえも幻、である。
訪れた集落の者の、その話しぶりからは、決して偶然の食材ではないといった雰囲気がうかがえた。さらに、教える者のほうにも多少、デリケートな話題に触れているかのような警戒心が漂っていた。それゆえに、決してダメ押しはしなかったのだが、どうにも一度、二度ではなく、サル食の歴史はかなり古く、習慣性の食文化であったようにもうかがえた。
駆除の一環の末に偶然に食する以外にも、おそらくサル食の習慣があったのかもしれない。それを確信させるほど、山の深い場所である。
もちろん、南米アマゾンでは、いまだにサルは貴重なたんぱく源であり、それで命をつないでいる部族が存在するのだから、サル食そのものにあらぬ偏見を持っても始まらないだろう。人と場所と時代によって食文化が異なるのは当然なのだ。
赤毛の犬ほどうまい、などと言いながら、戦後のある時期まで犬を食べていたのは当の日本である。現在では軽蔑されかねない習慣や文化も、受け入れられていた時代がある。
日本においても、かつてはサルが貴重なたんぱく源であったとしても不思議ではない。それでも、である。どこか苦笑せざるをえないのは、その食する部位が、脳みそであるがゆえ。
実際に食べたことがあるという者によれば、その味はいわく「アンコウの肝っぽい」
「ウニよりも濃厚」
「フォアグラみたい」
狩猟者の間でさえ、幻の珍味と呼ばれるだけあって、この味を表現するわかりやすい言葉は定着していないようである。しかし、共通するのは「とにかく、うまい」ということのようだ。
そもそも、フォアグラを食べたことがないので、アンコウ、ウニと聞けば、脳みそと色味も似ているからか、としか想像ができないのが悲しい。表現できる者さえ数少ないがゆえの、幻でもあるのだろう。
「たぶん、自分では一生、お目にかかることはできないでしょうね」
そう言って、返ってきた言葉は衝撃だった。
「いや、中国に行けば食えるよ。えんのう(猿脳)といって今でも高級食材だよ。なかでも、生きたままの猿の脳が一番うまいんだと」
絶句…。