『観る、物語』 書店には並ばない10行の物語 バナナの樹を見て、祖国を想う
わずか数坪の小さな庭が男を癒した
腰の高さほどまで伸びたバナナの樹が故郷を思うすべてだった
妻とともに、声がもれないように睡眠薬で眠らせた長女を抱え、東シナ海に漕ぎ出した日から2 0 年以上が過ぎた
日本には1億3千万の群衆に紛れて暮らす、1万のインドシナ難民がいる
かつて「ボート・ピープル」と呼ばれた彼らは今、小さく生きている
毎日、神奈川の端から都心まで満員列車に揺られながら
南政府軍の大統領親衛隊だった男は言うのだった
「バナナの樹を見るとね、思うんです。ああ、ベトナムに帰って来たなあって」
夏、男の体に癌が見つかった
末期だという
家族で最後の写真になるかもしれないと、男は笑顔に力をこめた
3ヶ月後、男は日本の土となった
再び祖国の土を踏むことはなかった