毒舌 「すっぽん三太夫」シリーズ 「震災と移住 仮設から公営住宅へ、の死角」
東日本大震災から8年―世界にコロナ禍が発生しようとする前夜―。2019年3月末で仮設住宅の多くが入居期限を迎えた。仮設住宅を出た被災者は「避難者」としての扱いを終え、「災害公営住宅」に移り住むことになる。それは同時に、新しい地域に移住し、そして定住へと向かう過程でもある。「新しい住民」として、それぞれの土地に新たに根を下ろすことになるが、そこにも、新旧住民の齟齬と、その間に立つ自治体という三者の構図が発生する。仮設住宅から公営住宅へと向かうもうひとつの“移住”に死角はないのか。
宮城県気仙沼市は、東日本大震災で最も被害が大きかった地域の一つ。現在では災害公営住宅と呼ばれるマンション並みの設備が整った集合住宅も建ち、かつて仮設住宅に住んでいた者の多くは、こうした公営住宅に入居している。同時に、この公営住宅での生活では、トラブルが発生するケースが増えている。なかでも、次のような地元住民との軋轢は解決の見通しが立ちにくい。
「居住者らのためのカラオケの設備やリクリエーションの什器備品を、もともとからの自治会長さんらが持ち出していってしまって、戻ってこない」(82歳の女性入居者)
災害公営住宅が新たに建設されたのは、津波の被害などに見舞われなかったか、見舞われても比較的被害の少なかった、海岸から離れた地域が多い。そうした地域では、街区や集落がそのまま残っているので、公営住宅に入居してきた被災者らは、いわば旧地区にとっての「新住民」という扱いになる。
もちろん、こうした公営住宅は旧地区との受け入れ折衝を重ねて建設され、受け入れられている。気仙沼市によれば、自治会組織への対応はほぼ二分される。新たに公営住宅だけで自治会を設立するところがある一方で、旧来からの自治会に組み込まれる形である。旧自治会に参入する場合は、新住民は当然、自治会費を払い、正規に加入を果たすことになる。行政側の努力もあり、旧自治会に公営住宅が加入できない事例そのものはないようだ。ところが、である。
「同じ自治会の物だからといって、公営住宅の集会所にあるレクリエーション用の什器備品を、旧地区に運び出されてしまって、新住民が使うことができない事態が発生している」
こうした状況に直面した住民らは気仙沼市の担当者らに訴えるも、「なんとか話し合いで解決して欲しい」と言われるばかりでと、天を仰ぐ。
被災者らが不満を募らせるのは、さらに次のような状況があるからだともいう。
「同じ自治会だからという理屈で、新しい設備や什器を旧集会所に持ち出してしまう一方で、道路や公営住宅周辺の清掃は、それはそっちでやってくれだから」(79歳の女性住人)
つまり、被災者らが入居する公営住宅を受け入れた旧来からの住民にとっては、復興関連の補助金によって新調され、整備された公営住宅の設備は真新しく、また関連の補助金も潤沢に映るため、魅力なのだ。それを「同じ自治会だから」という名目で持ち出しておきながら、清掃や整備など、自治会が地域活動として行っている日常の役務だけは「そっちでやってくれ」ということらしい。
公営住宅の入居者は、仮に同じ宮城県出身であっても、移住者であり、新住民となってしまったことで、ストレスを増加させている。
半永久に存続することはありえない仮設住宅はいずれ解消させざるをえず、街区の復興や整備に伴い“復興住宅”へと移り住むことになる。つまり、移住と定住への過程が必然的に生じてくる。この過程に放り込まれた被災者は、はからずも、移住意思のないまま、移住者という立場におかれることになる。
もちろん、彼らを受け入れる側の旧住民らもまた被災者である。しかし、被災者のなかにも待遇格差に対する不満は当然に生じる。
「新しい住居をもらって、新しい設備に対する不満が新旧住民というわだかまりに加えて、待遇格差というもうひとつの軋轢を生む」(現地を取材した記者)のも事実だ。
そうした背景が、震災住宅からの、恵まれた什器備品の持ち出しと、一方での「そっちのことは自分達でやれ」という扱いにつながってくるのだろうか。しかし、自治体としても強制力の伴う対応策や改善策に乏しいのが実状だ。気仙沼市地域づくり推進課の担当者の一人は、把握しているのはあくまでも介護予防の高齢者交流サロンのケースだが、と前置きしたうえでこう話す。
「テレビやカラオケといった娯楽性の高いものは公費では購入できないので、様々な補助金を分配し、その範囲内で購入してもらっている。その物品の管理については、市として自治会との話し合いの場は設定することはできるが、市として介入することはできない。多くの不満の声は、声に出してもらわなければ相手も知ることができないので、互いに議論を交してもらいたい」
だが、そもそも「不満の声を積極的にあげて住民同士で解決を」という正論が実行しにくいところに、不満が募っている点に行政は目配りする必要もある。
復興住宅の被災者たちは県内各地から抽選によって入居してきているため、統一意思の形成に困難がある。さらに、新住民としての気後れがあり、その後の地域での生活を考えたとき、自治会を運営する旧住民に、面と向かって率直な思いをぶつけることに躊躇する傾向が強い。激しい議論に慣れていない高齢者同士ならばなおさらだ。
震災前の人間関係は、災害発生による生存存否によってまず一度切れている。次いで仮設住宅への入居で二度切れ、仮設から復興住宅への入居で三度目を経験する。高齢者らはそのたびに、新しい環境と人間関係の構築というストレスに曝されてきている。つまり、復興の過程とは、短期間での移住と定住の繰り返しであるともいえよう。
被災者は移住者であり、定住する努力を自身の意思とは別に強いられざるを得ない者であるという意識から復興過程に携わる視点が、行政や自治体には大切になろう。
さらに、住環境の変化、地域(人間関係)環境の変化に起因するストレス把握を主眼とした調査は、現在までにまだ目ぼしいものがない。
宮城県では、健康推進課が主体となり、「災害公営住宅入居者健康調査報告書」がまとめられているが、調査項目はあくまでも入居者の生活状況に絞られている。被災「移住」に伴う新しい住環境や地域環境がどこまでストレスの原因となっているのかは、県や県下自治体でも把握できてないのが現状だ。現状では、都市計画や住宅整備の部局と、精神保健部局とがほとんどの自治体で連携されていない。住宅整備にメドがついた次の段階として、被災者を「移住者」として見た場合のケアも必要かもしれない。
移住機運とは、決して本人の意思と選択によってのみ訪れるわけではない。災害大国日本では、自身もまたいつ移住者となりうるかわからないのだ。