冬の嵐を見に行かなくちゃ
放浪の末にオレゴン州ポートランドにたどり着き、住み始めて3年目に突入。映画AKIRAのように荒れるアメリカの情勢の中、日々生きる希望をポートランドでコツコツ集めている。住む街のいいところを見つけることは、わたしの人生のいいところを見つけること。1988年生まれ、鎌倉育ち。
2021年の初秋、わたしがポートランドに住み始めてからまだ2,3か月しか経ってないころ。パートナーが用事で数日家を空けているタイミングで、たまたまわたしの病院のアポイントメントが入っている日があった。その病院は大きい総合病院で、わたしが住んでいる場所からは車で片道40分くらいかかる。バスは片道2時間。
わたしは運転ができないので、往復のタクシーを予約することにした。ネットで評判のいいところを調べたかいがあり、約束時間の10分前には迎えに来てくれた。「ダッド(父親、のくだけた言い方)」ということばがぴったりの、キャップ帽をかぶって、半そでの清潔なポロシャツを着た、ちょっとかっぷくのよい白人のおじさんがやってきた。休日には家族のためにバーベキューをしてくれそうなかんじのひと。
「病院に行くということだけど、全身麻酔がかかっている人をはこぶことは違法なんで、それだけはよろしく」へえ、そうなんだ、とおもった。「今日は手術とかではないのでだいじょうぶです」。
わたしは後ろの座席に座ったから、彼の話はちょっと聞き取りにくかったのだが、そんなことはおかまいなくどんどん話しかけてくる。
「へえ、君は最近こっちにひっこしてきたの?」
わたしは、そうだ。と答える。
「じゃあ、まだ、ポートランドの冬を経験したことがないんだね?」
経験したことはないが、雨が多いとは聞いている。
「ポートランドの冬はね、やっぱりなかなかきついもんなんだよ。
本当にずっと雨さ。そうじゃなければ曇り。太陽を何か月も見ることなく過ごす。これはやっぱり人間の精神にはこたえる。」
そう言われても、そのきつさをうまく想像することができなかった。だってこの街には65万人もの人が生活している。何十万人もの人が生活することをえらんだ街の天候が、それほどにきついってことはあり得るのだろうか。
「もうだめだ、ってときには、砂漠のほうに行くんだな。オレゴンの東側と南側は乾燥していて冬も晴れているからね。まあ、ドライブで4,5時間はかかるから、そこが難点だな。」
「で、そこまで時間がない、ってときには、海のほうに行くんだよ。」
オレゴン州の西側は太平洋に面していて、ポートランドからはだいたい1時間半ほど運転すれば海に出られる。
「海もな、ポートランドと同じような天候なんだよ。冬は雨で曇ってて陰気。でもな、ときどき、海側には冬の嵐がおとずれるんだ。だから天気予報をチェックしておいて、嵐がくるぞってときはわざわざ海までドライブする。それからビーチに行って、暴風で荒れ狂う灰色の海を眺めるんだ。」
「ひとしきり海を見て、冷たくつよい雨風ですっかり体が冷えたら、とっておいたホテルにチェック・インしてさ、熱いコーヒーを飲むわけさ。ま、ビールでもいいな。部屋に暖炉がついてたら最高。ま、そうしたら、ポートランドの長い冬でよどんだ心身に、生きた心地がかえってくるわけだ。」
おじさんが、タイトなニット帽をかぶり、キャンバス地のジャケットにジーンズをはいて、海を見下ろせる場所でたたずむ姿がありありと想像できる。帽子が飛んでいかないように、ときどき手でおさえないといけない。つよい波が崖に打ちつけて砕ける。海沿いに生える松の木々がしなり、カモメやペリカンは強風をものともせずに飛び回る。車に戻ってホテルにむかう。暖房であたためられたホテルの心やすさ。背骨をつたう熱いシャワー。外はまだ嵐だ。けれど心も体もここに来る前よりはちょっぴりすっと軽くなっている。
「おぼえておきます。ありがとう。」
冬になったら海岸まで嵐を見に行こう。
きっとわたしにもそれが必要になるだろう。
ポートランド人とのハートフルな会話があるから生きていける度
★★★★★(☆5つ中5つ)