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【アニメ感想】ドキドキ!プリキュア

『デリシャスパーティ♡プリキュア』に続いて、こちらもTOKYO MXでの再放送が終了。
立て続けのプリキュアロス…。
『デパプリ』に勝るとも劣らないハマり具合でした。

とはいえ娘が観ていたのを途中から一緒に視聴し始めたので、ちゃんと観たのは20話から。
過去話は配信やピクシブ百科事典で補足。読んでるだけで泣ける。


愛がテーマなだけあって、家族愛や友情を始めとする様々な愛が感動的なストーリーで描かれている。
コンセプトが

「他人に対する『献身・博愛』の心が持つパワーを描いていく」
「今回描かれるのは4人のプリキュアの心の交流。感情の機微を丁寧に描いていく」

Wikipediaより

ということらしいけど、ホントこれ。
しっかりしたキャラ設定の上で、感情の機微が丁寧に描かれている。
プリキュアのみならずその家族や妖精達、レジーナやイーラのような敵役に至るまで、多くの登場人物がしっかり描かれているので、彼らの感情の動きにこちらの心も動かされる。
何気ないセリフからも人間性が滲み出ていてキュンとさせられることが多く、ほぼ毎話涙ぐんでた気がする。

相田マナ/キュアハート

『献身・博愛』というこの作品のコンセプトを体現する主人公。
躊躇せず人を助ける真っ直ぐな気持ちを幼少期から持ち続け、みなぎる愛を周りに振りまく。ちょっと暴走気味なところもあるけど、ついていきたくなるようなリーダーの素質の持ち主。見ていて清々しい。

ことあるごとに「アタシは大貝第一中学、生徒会長」と免罪符のように言ってるのが面白い。男塾塾長かよ。
「だからなんだよ」って突っ込みたくなるけど、だんだん「待ってました!」感が芽生えて心地良くなっていく。最終決戦で言い放った時はシビれた。

絶望的な状況でも不屈。
ただの楽観主義ではなく、自分と仲間を信じているんだろうな。
神器を守るドラゴンと再戦した際は、安易なパワーアップではなく既存の技と戦略で撃破してて感心した。
メンタルが強すぎて、プロトジコチューにプシュケー抜かれても自力で取り戻してたし。
彼女の不屈の精神に何度感動させられたか分からない。

菱川立花/キュアダイヤモンド

そんな暴走気味のマナを支える六花さん。
この子もめちゃくちゃ魅力的。
勉強も家事もできて完璧すぎる。

幼少期には、1度見ただけで四葉家のお屋敷の仕掛けを駆使して追っ手を遮る聡明さ。英知の光の片鱗がすでに。
星占いに対し「自分の誕生日と同じ人なんて大勢いるわけで、全員が同じ運命をたどるとは思えない」という論理的発言。マジ共感。

記憶喪失になったイーラを助けた際、記憶を取り戻したことを素直に喜ぶ優しい心の持ち主。
以降、ちょくちょくイーラと心を通わせるシーンがあって最高にエモい。

そしてマナへのとてつもない愛。
それゆえに葛藤することもあったようだけど、最後には「好きな人が好きな人を自分も好きになること」の良さに行き着くのも素敵。

四葉ありす/キュアロゼッタ

落ち着いた雰囲気、お嬢様ゆえの純粋さ(天然?)が良い。
意外と行動的でパワフルな面も持ち合わせている。
友達を侮辱されるとブチギレる設定も好きだし、それを克服した理由が友達のためというのもほんと素敵。

特に印象に残っているのが第41話。
五星麗奈とフリマで花屋をする回。
散々嫌がらせをされても動じず、むしろ彼女のために成層圏まで単身向かう。
そこでピンチに陥ったロゼッタを助けるために麗奈も動く、と。
このシナリオ、ベタかもしれないけどめちゃくちゃジーンときたわ。
この話の中でありすが言った「花が元気を与えてくれるのは、そこに命があるからです」という言葉。この作品で一番印象に残っている言葉と言っても過言ではない。
本作には他にも感動的なセリフがたくさんあるけど、なぜかこの言葉が一番印象深い。
自分が花を見て抱く感情の理由としてしっくりきたからかな。

剣崎真琴/キュアソード

クールな見た目に反して、意外とポンコツなところがかわいい。
歯医者を怖がって1人だけ変身できなかったのも面白かった。

当初は複雑な感情を抱いていたレジーナに対して、想いを届ける歌唱シーンは感涙もの。

トランプ王国の戦士という誇り、アン王女への想いに胸を打たれる。
両親がいないという生い立ちが明かされた時は衝撃だった。
祖国が滅び、王女も戻ることはない。
アイドルという明るい世界との対比もあって、陰の部分も濃かった。

円亜久里/キュアエース

登場の仕方が劇的で正体不明なミステリアスさに惹かれる。
変身バンクもかっこいい。変身後の姿がちょっとケバく感じてたけどだんだん見慣れてくる。
限られた時間しか戦えない理由が自身を想いで成長させるという素敵な設定。

プリキュア達を覚醒させるためにあえて非情な役回りをするのが良い。
使命感や責任感が強く、"個"を重んじる印象。
仲間という存在の価値を知ることでそれも変わっていく。

おばあ様に正体がバレる回(第43話)では出生の秘密が明かされ、授業参観での感動的なシナリオも相まってボロボロ泣いた。

亜久里メインで特に印象的だったエピソードが第32話。
「幸せの王子」という物語を絡めた素敵な回。
過労で倒れたマナを物語に登場する献身的な王子と重ねて心配した亜久里が、マナを頼りっぱなしの文化祭実行委員に

物事を成し遂げようとするには相応の苦労と努力が必要なのです。
自分が努力せず問題が解決して、そこに価値などありますか?
いえ、ありません!!

ド正論で説教(笑)
"個"に重きをおく亜久里がこのような考えに傾くのは理解できる。相応の強さを手に入れるために、想いで自身を成長させるくらいだから。
マナに対しても「マナが甘やかしすぎるから良くない」と説教するも、マナは以下のように返す。

確かに亜久里ちゃんの言う通り、みんな強くなれたらそれが一番かもしれない。
でもね、アタシだって何でもできるわけじゃない。みんなそれぞれできることとできないことがあると思うの。
そんな時、誰かを手伝ったり助けてもらった時に胸がドキドキするというかキュンキュンするというか。そういう気持ちもすごく大事な気がするの。
それに学校のみんなだって人に頼ってばかりじゃないと思うよ、きっと。

相田マナの人間性が凝縮されているような言葉。
見返りを求めて助けるのではなく、助けること自体が彼女にとっての喜び。
"個"を高めるのにも限界があることを自覚しているからこそ、助け合うことの必要性を説く。

生徒達が壊れた櫓を協力して組み直し始め、説教を受けた実行委員達も自分達で問題解決した姿を見て亜久里の心境も変わり始める。

正しいのはマナの方でしたわ。
童話の中の人々は幸せの王子を鉛の心臓にしてしまったけど、この学校の皆さんは違った。マナからもらった愛を自分の心に芽生えさせている。
お互いに愛を与え合うことで感じるドキドキ、キュンキュン。
その胸の温かさを知っている。
そして、それは…私の心の中にも。
皆さんの大切な想い、私も守って見せましょう!!

愛を与え合う(=助け合う)ことで成し遂げられることもあることに気づく。

マナ「亜久里ちゃん、ありがとう。今日はアタシのことを心配して、あんなに頑張ってくれたんだよね」
亜久里「もしかしたら、童話の幸せの王子が与えた愛は街の人々に届いていたかもしれません。今日のように皆さんが王子に愛を返してくれる世の中になれば、あなたが犠牲になることも、人々がジコチューに屈することもないのかもしれません」
マナ「そういうふうになればいいね」(手を差し伸べて)「踊ろ」
亜久里(笑みを返し手をとり)「そんな未来を作るために…私はあなたと愛のために戦いますわ」

このラストシーンがたまらなく好き。
愛を与え合う世の中になることがジコチューへの対抗策であると認識を改め、マナの考えに賛同する。言葉だけじゃなく、手を取り合う描写があるのがいい。

マナの人柄と生徒会長である所以、亜久里の大人っぽいけど未熟な面が見え、相互に影響しあって良い方向に進んでいるのだなと感じられた。


感動的な話が多いけど、コメディ要素もしっかりあってそれがちゃんと面白い。

プリキュアらしい教育的要素も。
アイちゃんがイヤイヤ期に入った時は育児解説アニメのようだったし、六花の虫歯についての解説も専門的。
亜久里とアイちゃんのニンジン克服回では食育を描き、『デパプリ』を彷彿とさせる。こっちが元祖でしょうけど。


終盤は見応え充分の展開。
明かされたレジーナとキュアエースの因縁。
からのレジーナVSキュアエースの宿命の対決。時間無制限の白熱バトル。
キュアソードがつらい立場で可哀想…。
ピンチにヒーロー(キュアハート)がやってくるという熱い展開。魅せますね。

キングジコチューがトランプ王だったと判明し、レジーナの父親がキングジコチューであることにも納得。
世界よりも娘を選んだ究極の自己中がジャネジーに取り込まれてキングジコチューに…って悲しすぎる。究極の2択やん。
娘を持つ身なのもあって国王へ強く感情移入しちゃって辛い。
アン王女も同様に、身内であるキングジコチューにトドメを刺さなかったことでプシュケーが2つに別れ、どちらが正しいのかを未来に託す。

キュアダイヤモンドの「ダイヤモンドは傷つかないのよ」や、キュアソードの「断ち切るのは弱さ、切り開くは未来」とかシビれるセリフがポンポン出てくる。
ジコチュー細胞へのトドメを王国戦士の生き残りキュアソードが刺すという展開が素晴らしい。「愛に罪はない。悪いのは人を愛する心を利用したあなたたちよ」というセリフもたまらん。
レジーナ、キュアエース、アイちゃんでトランプ国王に呼びかけて愛を取り戻す。愛をテーマに描いてきた総決算って感じ。

最終回までもプロトジコチューとの死闘を繰り広げる。大団円の平和回じゃないのね。
戦闘シーンの作画に圧倒された。
プロトジコチューがキュアハートから「誰もいない世界ではそもそも自己中という概念が存在しない」という論理的な説教を受けてたのが笑えた。さすが大貝第一中学生徒会長。賢い。

パルテノンモードのキュアハートに圧倒されたプロトジコチューが放った「お前達に邪な心がある限り、私は何度でも蘇る」という言葉に対して、キュアハートは

私の中にもわがままな心はあるもの。
誰かを妬んだり、何もかも嫌になって投げ出したくなったりすることもある。
けれど、そうやって悩むから苦しむから人は強くなれるんだと思う。
それに、たとえ私が愛を見失ったとしても私には仲間がいる。支えてくれる仲間がいるから、私は絶対に何度でも立ち向かってみせる。

と返す。

トランプ国王を悩ませた究極の二択。そしてアン王女が命運を託した光と影のプシュケー。
「王国への愛」と「家族への愛」。
どちらを選択しても苦しむ人間がいるからこそ悩み、そしてジャネジーに取り込まれた。
「愛と自己中は表裏一体」というアン王女の言葉が沁みる。
ジコチューを愛で浄化し続けてきた本作品だが、
自己愛も愛の1つだから、自己中も1つの愛のカタチ。見方によっては博愛すらも自己中と捉えられることも。
どちらの愛を選択するか人は悩み続ける。

悩み苦しむことで得た強さは誰かを助ける力にもなる。そうやって助けたこと(愛を与えたこと)がいつか自分の支えにもなる。
個の強さを過信すると自己中に陥りかねないが、個の限界を知り、得た力を仲間のために使うことで個では成し得なかったことが可能になる。

ただ単純に自己中(ワガママ)はダメという教えではなく、誰しもが自然に持つものだからそれとどう付き合うかということを考えさせる。


ピクシブ百科事典読んでたらキュアエース誕生の制作裏話も載ってて、キュアエース、レジーナ、アイちゃんの設定が決まるまでの顛末がわかる。
玩具ありきでシナリオを作る制作現場の大変さ、それをここまでまとめあげた制作陣には感嘆と感謝。


マナはμ'sの高坂穂乃果を見ているようだった。
細かいところはもちろん違うんだけど、ざっくりとした印象が。どっちも闇堕ちするし。誕生日が1日違いなのにはビックリ。
とすれば六花は園田海未、ありすはことりちゃんか。
幼馴染み3人組というのが奇しくも同時期に放映されていたというのが面白い。
そういうのが求められてた時代だったのかな(どういう時代?)。

今作は『デパプリ』のキュアフィナーレのような推しを選ぶのが難しい。
どのプリキュアも魅力的で、5人とも偏差値65くらいの高得点。
かろうじてキュアダイヤモンドが僅差で上回るか…。イーラとの終盤でのやり取りがエモすぎた。

自分は今作の視聴時期が『響け!ユーフォニアム』にハマってた時期とかぶるので、あすか先輩への好意をキュアダイヤモンドに重ねちゃったのは多少なりともある。そういや久美子はOP主題歌を歌ってますね(笑)
亜久里と『とらドラ!』の逢坂大河が重なることもあったけど、自分は櫛枝実乃梨推しなのでそこまでの加点にはならず。

推しはまぁ置いといて、とにかく作品全体としてプリキュアシリーズではかなり好みの作品だった。まだ4作品しか視聴していないけど(笑)
『デパプリ』を超えたかもしれない。
そんな大好きな作品の未視聴の映画、そして最近発売された小説があるというのが嬉しい。

ちなみに、間髪入れずにTOKYO MXで始まった『ハピネスチャージプリキュア!』も一年かけて視聴予定。
キャラデザの違和感にまだ慣れない(現在第2話)…。

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