響く言葉〜あの子に響く伝え方〜
響く言葉と響かない言葉があります。
言葉が異なる場合もありますし、そうでない場合もあります。
たとえば、「がんばれ」と「がんばってるね」。
この二つは、似ているようで全然違います。
どちらも応援する言葉に違いないですが、「がんばれ」は現在から未来にかけての応援です。
それに対し、「がんばってるね」は過去から現在にかけての承認です。
この絶妙な違いが決定的に受け取り手の印象を変えることがあります。
しばしば「『がんばれ』という言葉が嫌いだ」という人もいます。
それはきっと、現在から未来にかけての勝手な期待に嫌気がさすということもあるのかもしれません。
それに対して、「がんばってるね」は、過去から現在にかけて相手のことを知っていないと発せられない言葉です。
つまり、「がんばれ」と「がんばってるね」は似て非なるものです。
ここまで大きく意味が異なるわけですから、タイミングを間違えれば響き方も大きく変わるであろうことは容易に想像ができます。
また、同じ言葉だけど響き方が違う言葉というのもあります。
たとえばです。
「すごいね」という言葉一つをとっても、それをめちゃくちゃ好意的に受け取ってくれる場合もあれば、いらんいらんと受け流されてしまう場合もあります。
つまり、全く同じ言葉であるにもかかわらず響き方が違うということです。
ほめたけれど、あんまり響いている感じがしない。
何度も何度も同じ話をしなければならず、響いている感じがしない。
そんな経験は多くの人にあるのではないでしょうか。
ZAKさんのnoteおよび、ひろきさんのnoteは読まれましたか?
自分の教師としてのマインドをセットしてもらった感覚がありました。是非ご一読ください。心にエネルギーを宿してくれるnoteです。
この二つのnoteを受けて私の思うところを書きます。
言葉が響くか響かないかを決める大きな要因は以下の4点であると考えます。
①関係性
②具体性
③抽象性
④本音度
まず、この4点を出した理由として和久田学著「科学的に考える子育て」を参考にしました。同著では、以下の4点が効果的なほめ方として示されています。
ここでは「ほめ方」の観点として4つ挙げられています。
科学的に効果が証明されている観点ですから、この4つを意識して伝えることは響く言葉を考える上で重要になるでしょう。
その上で、私は4つ提案したい。もう一度書きます。
①関係性
②具体性
③抽象性
④本音度
①関係性
まず、相手との関係性が成り立っているかどうかは非常に重要な観点です。
関係性ができている、しかもその「できている」というのはどのくらいできているなのか。
・自分を完全に信頼してくれている
・自分を頼ってくれている
・信頼が崩れている(できていない)
・嫌われている
この中でどの段階の関係性なのか見極めないと、響く言葉も響かなくなります。
極端な話、一番上の「自分を完全に信頼してくれている」であれば、どんな言葉でも響くでしょう。逆に「嫌われている」であれば、どんな言葉も届きません。
②具体性
どれだけ相手に具体的なイメージを与えられるかという観点です。
その年齢にあった、または、発達段階にあった言葉選びや噛み砕き方が必要です。
たとえば、「仲良くしよう」という話をしたとします。
抽象的です。仲良くした方がいいことは1年生でも知っています。
しかし、仲良くの解像度はいかほどのものでしょうか。
友達と休み時間に一緒に遊べるのが仲良く?
授業中に隣の人とペアトークができるのが仲良く?
怪我をした友達を保健室に連れて行ってあげることが仲良く?
こうしたケースバイケースを子どもたちは実はあまり想定していないものです。
学校で、抽象的なそれっぽいことはよく言われます。
仲良くしよう、時間を守ろう、一生懸命頑張ろう、諦めないようにしよう
じゃあそれって具体的にどんな時にできるの?
そのイメージが湧くように伝える必要があります。
③抽象性
具体性を書いといて抽象性かよって感じですが、結局こっちも大事なのです。
具体というのはあくまでケースバイケースです。
「友達と休み時間に一緒に遊べる」という仲良くと
「授業中に隣の人とペアトークできる」という仲良く。
この2つの仲良くは少しニュアンスの違うものですが、どちらも「仲良く」という言葉で表現できます。
独立した二つのケースを繋ぐのが「仲良く」という言葉です。
つまり、抽象的な言葉で具体を繋ぐ必要があるのです。
多くの場合、この抽象的な言葉から入り、具体を示さず抽象的に指導し続けます。
それが子どもたちに響くはずがありません。
具体から入り、抽象で繋ぐ。
この二つを絶妙に往復させる必要があります。
④本音度
全く同じ言葉なのに響き方が違う。それは、関係性とともに、この本気度が関わっています。
本気度とは、どれだけ自分の腹の底から言葉を発しているかの度合いです。
技的に出る言葉というのは、どうも機械的な節があります。
先日、夜間中学に勤める先生のお話を聞いたことがありました。
相手が大人に近くなればなるほどにこの傾向は強いです。
小学生でも、中学年以上はこうしたほめ言葉が通用しない場面というのがあります。低学年であっても発達段階によっては、そう感じる児童もいるでしょう。
具体性という点でもそうですが、特に、上っ面の技的な言葉というのは相手の奥底までは刺さりにくいということです。
たとえ「すごい」という言葉だったとしても、言う側が本当に思っての「すごい」と気持ちのこもっていない「すごい」とでは全く意味が異なります。
何かを伝える時も同様です。
「仲良く」ということを伝える上で「仲良く」に対して伝える側が心の底から思っていることでなければ、相手に伝わるはずがありません。
自分の中でのその事象に対する熱量が直接的に響き方に関わってきます。
①関係性
②具体性
③抽象性
④本音度
学級通信の在り方
これらを網羅的に達成できるツールの一つとして学級通信があると私は思っています。
そして、学級通信が響くかどうかは、この4つの観点が全て達成された時です。
私は以下のように通信にまとめて発行しています。
これは、授業の記録を兼ねた学級通信です。
4年生3学期に実施しました。
教材の力ももちろんありますが、この授業の冒頭では、児童の日記から入りました。
「給食の時間にふらふら遊んでいる人たちがいるんだけど不思議だ。なんで手伝わないんだろう?」
という日記です。そこから「温度差」の話に入りました。
子どもたちの中でも具体的にイメージできる状況から入ったことで、納得感が増したのだと思います。
そして、最後に児童の日記で授業を締めました。
すると、行動の変容として体育の時間にこうした姿が見られました。
そしてそれを通信にまとめて、発行する。
【授業】【日常】【学級通信】が絶妙にマッチしたタイミングでした。
とはいえ、私も子どもたちにどうやったら伝えられるか、どう伝えたら響くのか、まだまだ勉強中です。
空振りも多いです。
なんでこれで響かんのだ、と憤りを覚える時もあります。
でも、挑戦することで、挑戦し続けることできっと少しずつ私も伝え方を身につけていくのでしょう。
そんな修行の場にも学級通信はなるのです。
本マガジン「紡ぐ学級通信」では、学級通信を元に教育サークルまほろばメンバーがnoteをアップしています。
学級通信の書き方から、学級通信での学級経営まで。
学級経営に関するこうしたアプローチがあるんだなということを知っていただければ幸いです。
学級通信を書こう、書いてみようなんて言う先生は熱量がどこかぶっ飛んでる先生です。
でも、まほろばメンバーはみなそういう先生が大好きです。ぜひそんな先生と繋がり、語り合いたいと思っています。そんな仲間が欲しいと思っています。
このnoteがそんな人のところに届くよう願っています。