青春は美しいという幻想。【浅野いにお「うみべの女の子」】
「装丁がきれいな本だな」
そう思って手に取った浅野いにおさんの「うみべの女の子」。
長期にわたって連載が続く漫画が苦手な私にとって、二巻完結であるところも惹かれた理由の一つだった。
海の近くの小さな田舎町に暮らす、中学生の小梅と磯部。恋と呼んでいいのかもわからない、ぎこちない、二人の交わりを描いたお話。
人生って、自分をどう象っていきたいか、という問いの連続なんだなあと感じる。例えば、友達に対してこう振舞う自分は居心地がいいなとか、生物の勉強をしている時は楽しいなとか。そういうことを積み重ねて、自分の輪郭をはっきりさせていく。そこには、次第に何々大を卒業しただとか、どこどこに勤めているだとか、私はこれまでにこんなことを成してきましたよだとかそんなことも加わってくる。そうなってくると、いちいちこちらが問うまでもなく、世界が勝手に私を象ってくれるようになる。なんとなくでも日々を送ることができるようになる。
小梅や磯部の頃、中学生や高校生の頃ってどうだっただろう。
自分を象るものはこのバンドが好きだとか、せいぜいそれくらい。クラスメイトに嫌われないような自分をその都度探ることにいっぱいいっぱいだったし、勉強もとりあえずクラスで上位に入るようには頑張りたいとか、それくらいのモチベーションでしかなかった。自分の輪郭は曖昧だ。
ありあまる時間は、その輪郭の曖昧さをさらに加速させる。気怠い橙色の昼下がり、先週も同じだった気がするし、来週もきっと同じだろうし、ずっとずっとこんなものの繰り返しなんだろうなって。お父さんは「こんな時間を持て余せる時はもうこないんだよ」って教えてくれるけど、そんなこと言われたってどうしようもないさと一杯牛乳を飲んで。このまま世界との輪郭が溶けだして、私が消えてしまってもこの世界は何も変わらないんだろうなとか考えたりして。
溶けだしてしまわないように、必死に自分を象るために、私は貴方を使った。目の前の貴方に触れて、その貴方が私を見て笑って、悲しんで、怒って、喜んで、家族にも友達にも見せられない、むき出しの欲望をぶつけあって。ありあまる時間を全部貴方で埋めていった。そうすると自分が象られていく気がした。世界に少し触れられた気がした。「恋」という名のついたなにか。でもきっとそれはお互い様。
いつからか、青春は美しいものということにしていた。この漫画の装丁のように。
でも、真っ只中にいた私は、自分本位でぐちゃぐちゃで、傷だらけで、大人になればすべて解決するんじゃないかって、早くあっちに行きたいと焦って仕方なかった。不可逆なのも知らずに。
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