心の栄養がほしい時、向かう先には食がある




美しいものが見たい。


できればそれは、食べられるものがいい。



心の栄養が枯渇してしまったとき、わたしは大抵そんな風に思う。


今日は、久しぶりにそんな休日だった。


どうやら最近、自分の心に栄養が行き渡っていないようだ。


心が喜ぶことをあまりしてあげられていなくて、自分の身体の「意識的に動かさないといけない部分」ばかり無理して使っていたから、栄養をすっかり使い果たしてしまったのだと思い当たる。


だから今日は、ぜんぶ家に置いていこうと決めた。






久しぶりに「今日やるべきこと」がない、休日の朝。


頭も心も空っぽにして向かった先は、少し前から気になっていた、3駅隣の町にある、小さなカフェだった。


地図を見ながらぐるぐるお店の周辺を歩き回っていると、ふとガラスの扉が目に入る。


扉の向こうには白く長い階段がある。
どうやらそこが、目的地のようだった。


扉を開けて白い階段をゆっくり上がると、笑い声が聞こえてくる。


「いらっしゃいませ!」


花が咲いたような笑顔の店員さんに出迎えられて、辺りを見回す。


お客さんはまだ一人もいなくて、お店は広く感じた。


メニューを眺めながら、ついつい優柔不断が発動する。


「あれもいいな、これもいいな…」と悩んでいると、


店員さんは「何か気になるものはありますか?」と言って、


わたしが「飲み物で迷っていて…」と相談すると、おすすめを教えてくれた。


杏とスパイスの自家製シロップを使った、あたたかい飲み物。そして、りんごのパフェ。


しばらく「ひとりカフェ」とは縁遠い生活をしていたから、外で甘いものを口にするのも久しぶりだった。


カウンターやテーブル、色々な席を眺めながら、この空間でいちばん居心地のいい席と、座る位置を考える。


「居心地がいいかどうか」という基準で物事を決めるのも久しぶりで、なんだか懐かしい気持ちになった。


キッチンの様子と、空間全体がなんとなく見渡せるテーブルに座ることを決めて、改めて店内を眺めてみる。


壁の色が一部だけわたしの好きな色をしていて、


「ああ、こういう家に住みたいなあ」


なんてことをぼんやり思う。






しばらくすると、丸みを帯びたマグカップに入った飲み物が運ばれてきた。


口に運ぶと、がつん!と甘酸っぱくて、みるみるうちに杏とスパイスが身体全体に染み渡っていく。




続いて到着したパフェは、見た目は控えめだけど、コロンとしたバニラアイスが愛らしくて、全体的に薄桃色をした姿に、なんとなく春の訪れを感じる。


パフェはやっぱり美しくて、ついつい見惚れてしまう。
いろんな角度から眺めては、その瞬間を焼き付けていたくて、その形を崩してしまうのに罪悪感すら覚える。


けれどわたしが好きな瞬間は、「どこから食べよう」と迷って、細くて長いスプーンを、謙虚にそのグラスに差し込む瞬間だ。


この瞬間の胸の高鳴りは、何度パフェを目の前にしても、少しも変わることがない。

シャクッとしたさっぱりバニラアイスにほろ苦いカラメルソース、シャキシャキの甘く煮詰めた薄切りりんご、ミントミルクティーのブランマンジェ、サクサクのパイ生地、すっきり爽やかなりんごのムース。


一口ひとくち口に入れるたびに、「!」が頭に浮かぶ。


万華鏡のように変わり続ける味と食感に、全神経が味覚に集中する。


たぶんわたしの顔にも、その驚きが表れている。


そしてしばらく食べ進めていると、思わずにんまりしている自分に気づく。


ああ、これこれ。これだよ…!と思う。
思い出す。


わたしにはこれが、足りなかったんだ。






パフェを堪能して、近くの本屋さんで買ったばかりの小説を取り出し、読み始める。


しばらくすると、店員さんたちの会話が耳に入ってくる。


「そういえば、このパン、この前〇〇さんからもらったの。」


「あっ、それ、おいしいやつだ!」


「見ただけでおいしさがわかるタイプのやつね。これでフルーツサンド作ったら、きっとおいしいだろうな〜。」


「ああ、それは間違いなくおいしい!今の時期、いちごとかいいよね。」


「このパンだったら、柑橘系も合いそうですね。」


そんな和やかな会話を聴いているうちに、なんだか急に心が揺れて、強い想いが込み上げてきた。





ああ、いいなあ。


すごくいいな。





唐突に、そう思った。


わたしには今、こういう時間が足りない。
こういう会話が足りない。空間が足りない。


みんなで一緒に「おいしいもの」を目の前にして、子供のようにはしゃぐこと。


「おいしい食べ方」を考えて、口々に提案し合うこと。


この瞬間だけを切り取って「日常のしあわせ」と言ってしまうのは、少々乱暴かもしれない。


店員さんたちだって、アイディアを考えてメニューを生み出すのがお仕事なわけだし、その行間や背景に隠れた想いまでは、はじめてお店に訪れたお客さんであるわたしが、読み取ることはできない。


だけど、わたしにはこのやり取りが、なんだかとても愛おしいものに思えてならなかった。


わたしはこんなにも、何気ない日常の会話に飢えていたのか、と驚いた。


少し前まではあったはずの、自分の中で大切にしてきた、自分の芯みたいなもの。それが、今はすっかり自分の身体から抜け落ちていて、自分の身体が自分のものではないみたいだった。


失くしていたものを、忘れてしまっていたものを、取り戻して、抱きしめたくなった。






目的や、根拠のある行動。
生産性や、意義のある会話。
長期的に、利益になるであろう時間や努力。




「今は、こういうものが大事な時期だから。」




もちろん大事なことに変わりはないのだけど、ここ最近のわたしは、とても極端だった。


自分を騙し騙し、そう言い聞かせて過ごしていたら、ぷつんと糸が切れてしまった。


自分の頭、心や身体を、そういったものたちで埋め尽くしていたら、自分が空っぽになってしまった。



理由なんてなくても、心が動いた方へ行く。


意味なんてなくても、たわいもない会話を愛おしむ。


遠い未来のために大切なものを我慢するよりも、いま目の前にいる人やものたちを、ちゃんと守り続ける。



わたしはここ最近、それができていなかったんだなあ、と思った。




苦しくなったとき。自分を見失ったとき。


わたしの身体は本能で、自分を取り戻せる場所に向かっていくようだ。


心の栄養を求めて向かう先には、心がほどける空間と、心が弾んで満たされる、美しくておいしいものがある。


そんな元気の源を取り入れることで、わたしの心と身体はゆるゆると満たされて、元気が湧いて、あるべきところに戻ってくるのだ。







心の栄養がなくなってしまったときは、またここへ来よう。


そんな風に思える場所がひとつ増えたから、わたしはまた、明日から前向きに生きられるのだろうな、と思った。





***



この物語の舞台になったカフェはこちら。

※文章中に出てくるお店のメニューや内装は、2022年1月時点の情報です。(それ以外の文章には、創作を含んでいます。)


心ほどける空間と、おいしいお料理に出会えるお店への愛を、つらつらと綴っています。よかったら、覗いてみてください。

Instagram:@nanami_gohan_



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