流れる月と君に。秋の夜長に「ことば」と向き合う手紙の展示
先日、表参道のNOSE art garageという場所で催されていた展示に訪れた。
@nose_tokyo
タイトルは、「流れる月と君に」。
作家の吉岡りんこさんの小説から始まる、15名のクリエイターによる手紙の展示、というコンセプトに惹かれて、はじめて見つけたときから気になっていた。
こういうイベントや個展は、いつも行こう行こうと思っているうちに終わってしまうことが多い。
けれど今回は、なんとなく行ってみようかな、とふと思い立って、最終日の前日に足を運んでみることにした。
表参道駅のA3出口を出てから左に曲がり、徒歩1分も歩かないうちに「NOSE」という看板が目に飛び込んでくる。
小さな白い階段は急で、「5階」という文字に一瞬尻込みしたものの、よし、と心の中でつぶやいて、思い切って上ってみることにする。
身体があたたまってきた頃、ようやく5階に到着した。
右手に見えるのは、橙色に照らされた丸い看板。
その横に、ガラス窓がはめ込まれた扉があった。
扉を静かにスライドしてみると、小さな音楽が流れてきた。美術部か何かの部室のような空間だなあと、急に懐かしくなる。
右手にあった受付の奥に座っていたショートヘアのお姉さんに声をかけ、飲み物を注文する。
暑かったのでレモネードを頼むと、取手付きのグラスにたっぷりと入ったレモネードを手渡された。早速一口飲んでみると、レモンの爽やかな酸味とはちみつの甘さがすーっと身体に染み渡った。
これだけでもう上機嫌になったわたしは、ゆっくり奥へと歩き出す。
展示スペースに進んでいくと、思ったよりもこじんまりとした空間に、天井から吊り下がっている糸に付けられた手紙や、プラスチックのような透明な素材の紙に映し出された手紙のワンフレーズなど、たくさんの言葉たちがそこにひしめきあっていた。
反時計回りに、その手紙たちをゆっくり、ひとつずつ眺めて回る。
これはどういう意味なんだろう。この言葉、好きだなあ。わたしだったら、どんな手紙を書くだろう。
そんなことを思い巡らせながら、一度読んだものをまた別の角度から読んでみたり、切り取られたワンフレーズのその先を想像してみたり、小さな展示スペースを行ったり来たりしていたら、あっという間に1時間が経っていた。
最後に、この展示に訪れた人たちの手紙を順に読みながら、「せっかくだから、わたしも書いてみよう」と思った。
ここへ来て、なんとなく最後まで心に残っていたのは、「みんなは愛って何か知ってるの?わたしはまだ、それを何か知らない」というようなフレーズだった。
愛や恋について。ここ最近ずっと、悩んだり考えたりしてきたこと。色々な人と出会って、恋をして、愛されて、それでもいまいち掴めなかったこと。
けれどこの言葉に出会って、わたしの中で縺れていた糸が、ふっとほどけてゆくのを感じた。
最近のわたしは、愛と恋に勝手に優劣をつけて、自分で自分の首を絞めていたのかもしれない。
恋は自然に発生する感情で、愛は意図的に行使する能力だから、わたしは愛する能力を、身につけなくちゃいけない。恋ばかりしていてはだめだ、と、どこかで思っていたのかもしれないなと思った。
けれど、そんなのどっちだっていいじゃないか。
どっちだって日々を輝かせるものであることに変わりはないんだし、そもそも、違いなんて、きっと誰にもわからないんだし。
愛と恋に優劣をつけるなんて、まったくわたしは馬鹿だったなあ、と、全身からゆるゆると力が抜けていった。
こうしてわたしは、手紙を書くことに決めた。
自分のために、そして、この手紙を目にするかもしれないどこかの誰かのために。
手紙の内容を残しておくかどうかは迷ったけれど、せっかくだから、ここに書き留めておこうと思う。
数年後の自分に、あるいはどこかの誰かの眠れない夜に、この手紙がそっと届くことを祈って。
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ねえ、わたしはこの恋が
いつか終わってしまうことを知っているけれど
それでも出逢えてよかったの
みんなは 愛 の話ばかりするけれど
恋 だってこんなにも心をあたためてくれると知ったから
ねえ、あなたはこの恋が
いつか終わってしまったら
どんなわたしを思い出す?
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