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「じゃあ、またね」を もう一度

「最後にもう一度、会えませんか。」 


最後に、というのはわたしの心の中で呟いたこと
なのだけど、これでもう、本当に最後なんだよ、
と自分に言い聞かせながら、半年ぶりに、
彼に連絡を取った。

「もちろんいいよ、行こう行こう!」

軽やかな返事。たった数文字。
絵文字なんて一つもないのに、そこから人懐っこい
彼の人柄が滲み出てきて、思わず笑みが溢れる。

一瞬にして、心にぽっと明かりが灯る。
数秒遅れて、どく、どくと鼓動が鳴り始める。

ああ、また。
始まって、しまったんだ。


もうきっと、わたしが彼の心に触れることは
一生できない。そう確信したあの日から、
随分と時間が経っていた。

そして今は、ちゃんと、大切な人もいる。

それなりに、いや、それなり以上に、
ちゃんと、幸せだった。

理解はしていた。

何度繰り返しても答えはいつも同じだし、
彼と結ばれる未来は、きっとこの先もないのだと。

でも、心は、身体は、もう彼の声を、笑顔を、温もり
を、昨日のことのようにすっかり思い出していた。

そして、それらを、強く、求めていた。


「連れて行きたいところがあるんだよね。」

そう言われて待ち合わせ場所に指定されたのは、
あの日、最後にふたりで会ったあの駅だった。

なんでまた、こんなところに。

彼がこの駅を指定したのに、たぶん意味なんてない。
彼は何も考えていなくて、だから、またこの場所を
平気で選んできたのだ。

勝手に彼と自分の温度差を目の当たりにして、
内心少し腹を立てながら、それでも心のどこかでは
淡い期待を抱えながら、駅の改札をくぐる。

視界が開けて街のネオンが目に飛び込んできた瞬間、
わっと一気にあの日の記憶が蘇ってきた。

ああ、また、ここに戻ってきてしまったんだな。

コートのポケットのスマホがぶるっと振動し、
いつものように「ごめん、遅れる…!」という
メッセージが申し訳なさそうに表示される。

それを見てわたしもぶるっと身震いすると、
まるで見透かされているかのように、

「寒いから、改札の横のコンビニにいてね。」
と、続けてメッセージが届く。

…こういうところだ。

自由で、身勝手で、でも、絶対に相手を傷つけない
ところ。相手が一番欲しいタイミングで、
惜しみなく、優しさを出してくるところ。

この人は、優しさという武器の有効な使い方が、
わかっている。

一番有効で、それでいて、一番卑怯な使い方を。

その優しさの網に一度包囲されたら、もう、
わたしはここから一歩も動けなかった。


「ごめん、お待たせ!」

そう言って現れた彼の笑顔が眩しくて、あたたかく
て、油断していたわたしの心はきゅっと音を立てて
締め付けられる。

今日、この後の数時間だけ、この笑顔が自分だけに
向けられることを思ったら、急に頭が真っ白に
なって、結構派手に電柱にぶつかってしまった。

履き慣れないヒールのせい、という表情で横を見る
と、またにこにこと微笑む彼と目が合って、ああもう
だめだ、と暗闇の中で幸せを噛み締めた。

彼が連れて行きたいところ、と言ったお店は
こじんまりとした和食のお店で、店内はなかなかに
賑わっていた。

カウンターに並んで座り、メニューを開く。
メニューを指差しながら、これもいいね、あれも
おいしそう、と言い合う時間が、このまま永遠に
続けばいいのにと、何度も、何度も思った。


サワーを頼んで乾杯すると、早々に彼が口を開いた。

「恋人、できた?」

「…えっ。」

傾けていたサワーを思わず元の角度に戻し、
軽く咳き込むわたしを目を細めて眺めながら、

「その反応は、できたんだ。」

そう言った時の笑顔がいつもと何ひとつ変わらない
ように見えて、むしろこっちが動揺してしまう。

「どんな人なの?きっかけは?何してる人?」

矢継ぎ早にくる質問に、焦りを悟られないよう彼と
反対の方に視線をやりながら、至って冷静なふりを
して、ひとつひとつ、答える。

なんで。

どうして、こんなこと、聞くの。
というか、この答えは、正解だったんだろうか。

わたしの回答に対して、にこにこと楽しそうに頷く
彼を横目で見て、なんだかこっちが負けたような
気持ちになる。

「よかったね、良い人そうで。」

そう言って微笑む彼の顔は、いつもと同じ優しく相手
を包み込む笑顔で、わたしは今までそれを強く求めて
いたはずなのに、今は、その笑顔が苦しかった。

こんなに近くにいるのに、彼との距離が急に遠く
なったような気がして、一気に目の前のサワーを
飲み干す。

カラン、と氷がグラスの底に当たって音を立てる。
本当はもう、とっくに気づいていた。

彼との距離は、初めて会ったあの日から、
たぶん、1ミリも、縮まることはなかった。

そして、それは、これからも変わらない事実だった。


「すみません、閉店のお時間なので…」

申し訳なさそうに横から顔を覗かせる店員さんの
声を聞いて、

「そろそろ、行こっか。」

彼が立ち上がり、コートに手を伸ばす。

強制終了されてしまったから、結局、最後まで
彼の心はわからないままだった。

でも、彼のグラスにまだ半分以上お酒が残っているの
を見て、この期に及んで、少しだけ期待した。

もし、恋人がいる、なんて言わなかったら。
彼は、なんて言ったんだろう。
どんな顔をしたんだろう。

変わっていたかもしれない未来を思いながら、
結局頭に浮かぶのは、さっき見せた表情と何ひとつ
変わらない、あの優しい瞳だった。

わたしたちがこの先もこのまま変わらず平行線である
ことは、たぶん、自分たちが一番よくわかっていた。


お店の外に出ると、今にも雪が降りそうな、
ぴんと張り詰めた空気が肌を覆った。

しんと冷えた空気に身体が驚いて、
「寒い、寒い」と興奮気味に言い合う。

それは今まで歩いたどんな冬の夜道よりもあたたかく
て、心がふわふわと舞い上がるような道だった。

「雪降りそうだねえ。降ったら、雪合戦したいね。」

叶わないことはわかっていても、そう言ってふたりで
する軽い約束が、わたしは何よりも、好きだった。

だけど、そう約束した後、一面の雪景色ではしゃいで
いるふたりを想像しようとしたのに上手くできなく
て、そういう時、いつも少しだけ寂しくなった。


「じゃあ、またね。」

「また」がいつくるのか、そもそもくるのか、
それすらもわからない不安を頭から消し去りながら、
精一杯の笑顔で、また、と言い返す。

今度は、いつ会えるんだろう。

終わらせるつもりだった。
今日、会うまでは。

でも、本当は、心のどこかでわかっていた。
この恋を終わらせることなんて、
わたしには一生できないということを。

結ばれるか、諦めるか。
恋は、そのどちらかだと思っていた。
けれど、実際は、そのどちらでもなかった。

わたしはきっと、永遠に、これで最後、なんて自分に
言い聞かせて、最後を迎えることが、できないんだ。

そして、何度も何度も、同じことを、繰り返す。

距離が縮まらなくても、約束が果たされなくても。
それでもよかった。

このままずっと、結ばれることなんてなくていい
から、ずっと、また、を繰り返していたい。

そんなことがいつまで続くかはわからないけれど、
続く限りは、そう願っていようと、強く、思った。


「今日は、ありがとう。次は、あの店に行こうね。」

ベッドに潜ってスマホを開くと、そこにはさっきまで
隣にいた彼からのメッセージが表示されている。

思わず緩む頬を片方だけ枕につけて、

「また会えるの、楽しみにしてます。」

と返事を打つ。

このやり取りすら、いつまで続くか、わからない。

きっとまた、彼からの連絡は、何の前触れもなく、
ぱったり途絶えてしまうんだろう。

そんなことはわかっていたけど、今は、今だけは、
夢を見ていようと思った。

だって、きっとまたすぐに、この夢は消えて
なくなってしまうのだから。

そしてまた、忘れた頃に、思い出したように
戻ってくるのだろう。

もう一度そのメッセージを眺めてから、この気持ちが
溢れないよう自分の身体に留めておくかのように、
頭から布団を被り、ゆっくりと、目を閉じた。

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