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懲りずにまた、ラオスでバスの旅

何のために長い時間をかけ、しかもつづら折りの悪路を行くバスで、ファイサーイ、ルアンナムター、ウドムサイに寄ったのか。初めは、北部の村や民族の暮らしを見に行こうとしたのだが、お腹の調子が悪かったり旅行代理店のツアー料金が高すぎたり、同行者が少なそうだったりで、それらの街では結局特に何もすることはなく滞在を終えた。

いや、何も、というのは違うな。街を歩くのは楽しかった。そういう、そもそも多くの観光客が避けるような、辺鄙な場所というのは、どこに行っても地元の人しかいない。ゆえに彼らがどういうものを買って、どういう時間を過ごしているのか、という彼らの日常を間近で観察できるので、面白いことだった。

しかしバスの旅、運転手が爆音でラオス音楽流すし、めっちゃ悪路で酔いやすいし、道端で停止したと思えば運転手やジモティが草むらで用を足すし、あらゆるものが不慣れだ。だからだろう、地元の人の暮らしと、一瞬だけ、交わったような気分が味わえる。そしてこれはツアーじゃ得られない感覚だなと思った。

3回目のバス、ウドムサイからノーンキャウまでの道のりは本当に外国人が私だけだった。周りは地元のファミリー、子連ればかり。しかし私の顔はラオス人と似ているのか、なんの前触れもなくジモティーにラオス語で話しかけられるので、他の乗客は知らなかったかもしれない。例えば、いきなり窓の外から、乗客らしき人に「ごめん、このかご後ろの席に置いてくれる?」(←ただし一言もわからない、表情と状況で読み取っただけ 笑)などと言われたりした。その後何も言われなかったから多分合ってたんだと思う。

ノーンキャウまでの直通バスはなかった。パークモンというところで乗り換えたのだが、チケットカウンターのおじさんに「ノーンキャウ?お金は直接運転手に払って。そこで待ってて。」と言われてから30分、1時間と経過。さすがに忘れられているんじゃないかと声をかけに行こうとしたら、ノーンキャウ、と、バスから降りたおばさんを指さして言った。そのおばさんが乗るバスのチケット担当係らしく、料金を支払った。

周りに英語が通じる人がいると安心するが、そうじゃないところでしか得られないドキドキ感も楽しくなってきた。次はネパールとか、もっと山奥に行ってみるのもいいかも。こんな感じのおんぼろバスで。


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