私が「好き」を思い出すまでのお話
ひとの好きなものの話って、正直興味そそらないと思うけど、これはわたしの中で革命的な一連の出来事だったので、残しておきたい。
「好き」がわからなかったあの頃のわたしに、
「好き」がなくてつまらないと嘆くあなたに。
「好き」がないと生きていけない?
私は、長い間自分自身の「好き」が分からず、「好き」を持っている人を横目で見ながら「いいなあ」と何度溜息を洩らしたか数えきれないほど。
隣の芝は青く見えるどころか、虹色に輝いて、同じ世界のものとは思えないほど「好き」という感情に飢えていた。
よく、幼い時の経験から自分の「好き」や価値観はつくられると言われるけど、私はそんな幼少期に「好き」を見つけられなかった人の一人。
幼少期につくられなかったが故に、一生私は「好き」と出会えずに、独り生きていくのか。
いつになったら「好き」が目の前に現れてくれるのか。
そんなことが、よく頭をよぎった。
「好き」探しの旅【2021春夏秋冬】
ここからのお話は、時系列に沿って書き記します。
いつか読みかえした時に、あの時の感情や記憶を、鮮明に思い出せるように。
2021年3月末日
私は親に黙って、新卒入社するはずだった会社を辞め、職がないまま東京へ出てきた。
4月1日には、愛娘の晴れ姿(真っ黒なスーツ姿!)を見れると、疑う余地もなかったはずのその日に。
私は入社式に出席しなかった、どころか、実は東京へ行く1か月前には内定を取り消ししていたと。
後日、ひょんなことからそれを打ち明けることとなり、私の「墓場まで作戦」は一瞬で消え去った。(もちろん、墓場まで持っていくつもりはさらさらないけど、打ち明けるのはもう少し先だと見込んでいたから...)
あの時の、画面越しの母の顔と声色は、心底あきれ切っているのが伝わってきて、そして、悲しんでいるのが伝わって、とてもとても、私は大きな過ちを冒してしまったと気づいた。
せめて、直接伝えられたら、と思った。
でも、時は戻せないし戻ってもくれないし、記憶を書き換えることもできない。
健全に育ってきたと思っていた、たった一人の娘から、とんだ仕打ちを受けたと思ったに違いない。
もう、私に残された道は、きちんと働いて手に職つけて、親を安心させること。だけど、そう簡単に行く話じゃない。
私のこころは、苦しさと申し訳なさと、皮肉にも未来への好奇心でいっぱいだった。
2021年4月10日
幸いにも、東京にはリスペクトするお兄さんお姉さんがいたため、すぐさま連絡し、会って話をすることに。
渋谷のざわつきから離れた、静かな路地にあるおっしゃれなホテルラウンジで話をした。
東京へ来たときに、はじめて連れてきてもらったその場所は、今では誰かを連れていきたい場所になった。
その後は、少しざわつきを取り戻した渋谷のあるシーシャバーへ。
シーシャを吸う大人を見る、シーシャを吸ったことのないひとの、なんとも言えない落ち着かなさは、私が一番知っているのかもしれない。
カオスな脳内に、そこにいるのが精いっぱいで、それはまるで初めて一人で入った居酒屋に、手際が分からず落ち着きないようすだった。
この日、紹介していただいた女性の一声で、私はまず、ウェディングの現場で働くことに。
その前に連絡して、頂いた仕事も始めることに。
2021年5月
「やってけない!!!」
入ってくるお金と、出ていくお金。
圧倒的に、出ていくお金の方が多くて、困った困った。
その時、私は就職活動を諦め、既に「新卒正社員」の切符を手放していた。高校・大学の友人が、地元の福岡でバリバリ頑張る中、私は東京に来て、目の前の生活を何とかすることに追われていた。
日雇いのバイトと週末の華やかなウェディングのお仕事。
働く環境は、周りはいつも男性ばかり。
「好き」とは程遠い環境に、東京にいる意味なんて、意地でしかなかった。
ある結婚式の現場で、大きな出来事があった。
なんともないかもしれないけど、なんともなかった。
私が私を許せない悔しい出来事が。
その現場は、「花」を装飾だけでなく、コンテンツに取り入れていて。
「新郎新婦のお二人をイメージして、自由に花束をつくってください」
そんな内容だった。
その時、ゲストの方が私に尋ねて下さいました。
「この花は何ですか?」
「えっと、、、少々お待ちください、、、!」
花に詳しい人に聞きたかったけど、それができず、その瞬間をなんとなくでやりすごしてしまった。
もし、私が花のことを答えられたら、
もしかしたら、よりお二人にぴったりなお花を彼は選べていたかもしれない。
もし、その瞬間に私が気持ちよくお応えできたら、
もしかしたら、彼はもっと気持ちよく残りの時間を過ごせていたかもしれない。
もしかしたら、彼のこれからの人生に、より記憶に残る一日になったかもしれない。
そんなことを考えて、深く深く反省して、悔しくて苦しくて、申し訳なさすぎる気持ちになった、この出来事が私の一つの種。
そんな種は、その時は種だと思っていなかった。
ただただ悔しくて「花のことが知りたい!」という、私を突き動かすエネルギーとなってくれ、「花」という世界へ一歩踏み出し始めた。
始めは、勝手がわからず、分からないなら聞く!スタンスで、ウェディングでつながりのあるひとや、インスタグラムで見つけた魅力的なひと、紹介頂いたひとに、とにかくメッセージを送り「会って話を聞かせてください」と頼み込んだ。
社会人には「肩書き」が大事だと、それが当たり前だと思っていたころだったけれど、私には肩書きもなければ名刺すらなかった。
プライドなんてあるわけもなく、守ってくれる盾も就活で磨きをかけるはずの矛もない。
守ってくれる何かは存在せず、ただ「私」があるだけ。
でも、飛び込んでみた。
その中からひとり、「お手伝いしますか」。
そう言ってくださる方が現れた。
2021年6月
彼女の下でお手伝いをしながら、少しずつ花屋の世界を知っていった。
私のこころには「花のことを知りたい」気持ちが膨らんでいった。
その時の私が見ていた花の世界は、今よりも小さく、華やかなところしか見えていなかった。
花屋を営む、花業界に携わる、全てのひとに感謝とリスペクトを贈りたい。
2021年7月~現在
昨年の7月から、私は花き市場内にある、仲卸でしごとをさせてもらっている。
花屋でも、花農家でもなく、仲卸を選んだ。
体力と精神をこき使う、だけど、この業界の架け橋となる大切なしごとの話を、少しだけしたい。
酸いも甘いも、必ずある。
この地球上には、仕事がしこたまある。
調べるのも嫌になるくらいにたくさんある。
でも、希望通りの仕事にありつけるのは、きっとそう簡単にいくものじゃないし、そうならなかったときに、自分の仕事に誇りを持てないかもしれない。
何のための仕事か、その意義を見失い、いつしか月に一度の給料日を楽しみにそれまでの1か月を耐え忍ぶようになる。
仕事は、人生の大半を占めるものだし、つらくてもしんどいことがあっても、最後には笑いあえる瞬間がある、それが仕事であってほしいと願うし、そんな仕事をしていたいと思う。
でも、私の現実はそうではない瞬間が多い。
「寒い」「重い」「眠い」「お腹空いた」
そんな、3大欲求の2つがバグってしまう仕事だ。
それらを吹き飛ばしてくれる何かがないと、投げ出したくなるのは間違いない。それほどしんどい仕事なのは、仕事をやっている本人にしか分かりえないことだと思う。
正直言って、かなりグレーだと思う。
でも、私はこの仕事に就けてとても感謝している、から続けられているのかもしれない。
花の美しさに気づき
植物が与えてくれる癒しのパワーを感じた。
この社会は、機械に代替されない限り、人がつくっているのだと身をもって感じた。
つくる人がいて、届けてくれる人がいて、売ってくれる人がいて、はじめてものは消費者の元へ届く。
初めから、花が店前に生えているわけではない。
仲卸という職業を選んだことで、物流の世界に、その環境・ひとの心まで知ってしまったように思える。
この社会の当たり前が、日常の当たり前が、仕事によって覆された。
もちろん、いい意味で。
このことに気が付けるまでは、とても時間がかかった。
それまでは、しんどいしんどいしんどい。ああ、しんどかった。
慣れるまで、時間がかかってしまうタイプだし、よく遅刻もした。
信頼を得るまで、失敗ばかりだった。
今も、正直、信頼されているかは分からない。
でも、楽しい瞬間も、嬉しい出来事も増えた。
お客さんの顔と名前を覚えて、少しの合間をぬってお話できる瞬間が好きだし、自分のタイプのお花と出会って「これかわいいですね」と隣のスタッフに共有できる瞬間も好き。
私がいる仲卸は、大きなお客さんが多い分、出逢いも多い。
去年の夏前にある花屋さんの面接を受けて、その場で雇ってもらうことができず、掛けられた言葉が悔しすぎて大泣きした出来事がある。
でも、いいこともあった。
その花屋さんから、声をかけてもらって、花屋の仕事を頂いた。
技術はないけど、それも花屋の仕事。
見ている世界は、ひどく一部で、その一部が美しい世界を創っているんだと、私は気づいた。
だから、やっていることが、泥臭くて日の目を浴びないことで、しんどくても「私はこの世界を創っている一員なんだ」と強く感じられたから、自分を誇りに思えた。
光の当たらない場所で、すくすくと背丈を伸ばした。
しごとのしんどさ
しごとのすばらしさ
しごとの幸せ、ありがたさ。
これらに気づいたのは、紛れもなく今の仕事のおかげ。
でも、もうそろそろ、私は次のステージへ行く時だと感じている。
好きなことも、やりたいことも、たくさんある。
ときめく瞬間に、心が動くものも知った。
そろそろ、明るい場所へ顔を出してみようと思う。
手放して気づいた「好き」
2022年3月
みなさんご存じの「こんまり」。
今から3か月ほど前に、彼女流の片づけをした。
片付け直後にはなかった変化を、現在までで少しずつ、時間を掛けて感じてきたように思う。
ざっくりと上記が変化した。
買い物癖があった私に、待ったをかけてくれたのは、彼女の言葉だった。
私自身を取り巻く、仕事に人間関係に生活。
もっとたくさんあると思うけれど、ときめくものだけを選ぼうとしていくと、気づけば私の身体はときめかないものに過剰に反応するようになっていった。
そんな彼女の言葉通り、ときめかないと感じたものは手放した。
物だけでなく、非物理的な仕事に対しても同じ。
こんまりさんに出逢って、私の見ている世界は、シンプルに、より愛するものになった。
あとは、自分の心の声を聴いてあげるだけなので、本当にシンプル。
迷いや不安、焦りが、すうっと消えていく。
手放したことで、私の元へやってきてくれたものは、私の人生にとって大きなものばかり。彼女には感謝してもし切れない!
そして、私の選択を応援してくれる方たちの存在には、いつまでも頭が上がりません。
「好き」が分からず、自分にひどい言葉を掛けてしまっているすべてのひとに、こんまりさんの片づけをしてほしいものだ。
「好き」はきっと、見つけるものじゃなくて、体の内から思い出されるものなんだと、私は思う。
人生n章
私の人生は、まだ本格的に始まってないようにも思える。
でも、日々選択しながらつくっている感覚は確かにある。
私の人生n章が、また始まろうとしているのを感じながら、その時が来るのを楽しみにしている。
昨年2021年の私と、今の私。
確かに変わったと感じるのは、焦りと不安が薄れたこと。
私はやっぱり愛したいんだ。
私自身、私の人生、選ぶもの全てに、関わる人々。
トップトピックで言えば、仕事。
全てを愛していたい。
愛を選んでいきたい。
私は思う。しあわせは、足元に転がっているんだと。
しあわせに気づくこと、ときめく好きなものに気づくことは、まずは目いっぱい自分を愛してから。
死ぬまで連れ添う、わたしという人間を一番に理解し、一番にお世話し、一番に愛してあげたい。
こんなことがあった。
たしか、中学生くらいまでは必ずある「歯科検診」。
そのそれぶり、つまりは5年と言わない振りにひとりで歯医者に行った。
そしたら、「虫歯はないけど歯周病が進行する恐れがあります」
と言われた。
説明を受けたけど、歯周病は歯や歯茎に汚れがたまって、その汚れが顎をめためたにしていく病気なんだそう。
こうは言われなかったけど、「歯医者に行かない人がかかる病気」と、私には聞こえた気がした。
5年以上、歯医者に行かなかったツケだ。
私はそこで少し恐怖を感じた。
もし、このままずっと歯医者に行かなかったらー。
きっと、気づかないうちに歯がボロボロになって、治らないまでになっていたかもしれないと思うと、怖くて仕方がなかった。
と同時に、今、歯医者へ行ってよかったと、胸をなでおろした。
確かにその歯医者へ行く前日、歯が気になって仕方なかったのだ。
それはもしかしたら「歯医者へ行け」という、体からのサインだったのかもしれない。
自分の身体や心には、目に見えないし聞こえないけど、必ず声がある。
不調や求めているものは、私の頭ではなく、彼らが知っている。
だから、無視は絶対にしない。ちゃんと聴いてあげて、時々構ってあげる。
自分のお世話だけでも、こんなに大変なんだから、人間みんなが「生きる」って、それだけでとっても尊くて美しいなと、命の神秘に脱帽する。
いのちが今あることに感謝しながら、今の私ができる選択を今日も明日も明後日もできたらな、と願う。
やりたいことがたくさんできた今、あとはやってくだけ!と自分の背中を押してあげる。
体中の流れる、音に、耳を傾けながら、今日も生きる。