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ドイツ滞在記~【紛失データ哀悼記②】ドクメンタとカッセル~


 思えば、そもそもこのカッセルの旅、幸先からして非常に悪かったのである。到着して最初の会場で交通機関の2日券切符(15ユーロ)を紛失したことに気づく。購入した窓口で担当してくれた人にもう一度もらえないかと交渉するも「もうない」と言われてしまい、結局買い直すはめになる。
 そもそもこの2日券切符というのがくせ者で、15ユーロで二日間、2人まで一緒に使えるという代物である。ドイツにはこうしたグループ優待チケットが非常に多い。ベルリン周辺で利用可能でポーランドまで行くことのできる「ベルリンーブランデンブルクチケット」は29ユーロで5人まで利用可能だし、ハイデルベルクやシュトゥットゥガルト、黒い森などで利用可能な「バーデン=ヴュルデンブルクチケット」は一人24ユーロだが、プラス5ユーロで1人追加可能で、計5人まで利用できるという代物である。(昨年の12月はプラス5ユーロだったが、今現在はプラス6ユーロになっている。ドイツに限らないのかもしれないが、交通費や城、美術館などの入場料は毎年値上がりしており、古いガイドブックやブログの情報と実際の値段が大きく隔たっていることがままある)ドイツ全土で利用可能な「ジャーマンレイルパス」も、一人券と二人券では、二人券の方がはるかにお得である。週末、ドイツ全土の鈍行列車のみ利用可能になる「シューネスヴォッヘンエンデチケット」も同様だ。グループや家族連れに優しい一方で、独り身一人旅泣かせな制度である。「連れがいたら電車を使うのに・・・」と思いながら格安の高速バスを利用したのは一度や二度ではない。ドイツに限らず欧州は、高速バスの路線網が非常に発展しており、値段も非常に安い。もちろんこちらは、グループ割のようなものはない。
 カッセルには金・土の一泊2日で行ったのだが、実はカッセルには金曜の昼過ぎから日曜日まで使える週末切符がある。こちらは8ユーロである。そのため、買い直す際には最初に買った乗り放題チケットではなくこちらの週末チケットを購入した。根がみみっちい貧乏性の私は「最初からこちらを買って、午前中は普通切符で回った方が安上がりだったのでは・・・?」などと考え、さらに傷を深める。ドイツではグループ割も多いが、週末割の切符も非常に多い。「人と一緒にたくさん旅行したまえ」というのは、ドイツ政府の考えなのかドイツの国民性なのか。いずれにせよ、曜日を問わずに一人旅をしていた私にはなんとなく損をしたような気分になることの多い仕組みであった。
 
 ドイツの交通機関事情から、ドクメンタの話に戻ろう。
 ドクメンタ(Documenta)とは、5年に一度行われる、ヨーロッパ最大規模の現代アートの祭典で、ギリシャのアテネとドイツのカッセルで開催される。先にアテネで展示が行われ、その後、場所を移してカッセルでほぼ同じものが展示されるのだ。ちょうど今年は、2年に一度のベネチアビエンナーレ、10年に一度のミュンスター彫刻プロジェクトとも重なり、「芸術祭のあたり年」と言われていた。芸術祭のサイクルが今後も変わらなければ、ミュンスターの彫刻プロジェクトの行われる年は毎回「当たり年」になる。

 ドクメンタで画像を検索すると真っ先に出てくるのが「禁書のパルテノン」だと思う。パルテノン神殿を模した巨大な鉄の骨組みの表面に、ビニールでパッキングされた大量の本が巻き付けられている。「禁書のパルテノン」という名前から私は、大量の本が隙間なく積み上げられた、重厚な「本による建築物」を想像していた。そのため、正直に言ってしまうとビニール袋に入れられて骨組みに張り付けたという構造は、近くで見ると若干滑稽に感じられてしまったのだが、それでも遠方から眺めればその迫力はなかなかのもので、ライトアップされて夜闇の中に浮き上がる白っぽいパルテノン神殿は、ぞっとするような存在感を放っていた。
 このパルテノン神殿は正確には「Parthenpn of Books(本のパルテノン)」と言い、アルゼンチン人のアーティスト、マルタ・ミヌヒン(Marta Minujin)の作品で、10万冊の本で制作されている。
 「禁書のパルテノン」が作られるのはこれが初めてではない。マルタ・ミヌヒンはアルゼンチンの軍政が崩壊した1983年に、軍によって禁書に指定されていた二万以上の本を用いて、首都ブエノスアイレスに禁書のパルテノンを建設した。3週間の展示のあとでそれらの本のうち約12000冊は一般市民に配布され、約8000冊は公共図書館へと寄贈された。奪われ迫害されていた知や表現を市民に還元することこそ民主主義である、ということである。禁書のパルテノンは、民主主義の象徴であったのだ。
 ブエノスアイレスのパルテノン同様に、カッセルのパルテノンも閉幕間近には解体され、配布されることになっていた。私が行ったのは閉幕の直前、配布が始まり、パルテノンには連日長蛇の列ができ、すでにパルテノンの半分以上が鉄骨だけになっているときであった。

 この禁書の配布を狙って予定を立てたわけではなかった。幸先の悪いスタートだったと書いたが、実は予定からしてグダグダだった。この文章も、ググった知識を元にドクメンタ情報を書き込んでいるが、そもそもこの芸術祭のことを知ったのが四月、ドイツに渡ってからのことであった。たまたまFBで流れてきた記事を見て、アテネ・カッセルのドクメンタ、ベネチアのビエンナーレ、ミュンスターの彫刻プロジェクトの存在を知った。そのとき私はベルリンにいた。ベルリンの、Wi-Fiがたびたび繋がらなくなる学生寮の一室でその記事を読み、それきりになっていた。カッセルでのドクメンタ開始まで2ヶ月弱、それまでに旅行ができるほどドイツ語が上達しているかもわからず、そもそもドイツにとどまっているかもわからなかった。そしてそれきり忘れてしまっていた。
 ドクメンタのことを思い出したのは、閉幕間近の9月に入ってからである。
そのころ、ドイツにいることを伝えた知人からの返信メールに、ドクメンタのことが書かれていた。このメールを受け取ったのが9月2日。閉幕が9月17日。しまった、と思った。心は引かれた。しかし、さすがに今から予定を立てて向かうのか難しいだろうと思い、諦めかけていた。
 ところが、である。あるFBの記事が目に飛び込んできた。同じ学校の人たちが、ドクメンタに行ってきたというのである。衝撃をうけた。「なんで誘ってくれなかったし!!」と、たいして親しかったわけでもないのにもんどりうって嘆いた。同じ学校の人たちというのは、私が南ドイツの学校に入る以前からできていたグループであり、私が誘われなかったのは別におかしくもなんともない、のだが。
旅先でとられた一枚の写真。ドイツ語で書かれた短い文。とても楽しかった、もっといたかった、と書かれている。
 これは、行かないと後悔するかもしれない。そう、強く強く思ってしまった。
 実はカッセルは、ヴィルヘルムスヘーエ城公園の超巨大噴水が有名なのだが、ネットの記事でドクメンタのことを読んだだけの私は、まだそのことを知らない。この噴水というのが毎日放水しているわけではなく、週2回だけ水が放流されるというもので、その曜日というのが水・日、および祝日となっている。先ほど書いたが、私がカッセルに行ったのは金・土の一泊2日である。予定がもはやずらせない状況になってから「なんでもっと早く情報収集しなかったん自分・・・」と頭を抱えながら、それでも、「計画はぐだぐだだったけど、ぎりぎりに行くことで配本されてる禁書をゲットできるかもしれないし!結果オーライ!」と自分を慰め、「そもそもの目的はドクメンタであって噴水ではなかったし」と自分に言い聞かせ、閉幕目前の金曜のホテルを予約した。

 まあ結局半分以上データふっとばしてとんでもない後悔に見舞われることになるのだが、それはまだ先の話である。(つらい)

禁書のパルテノンについてまで書くつもりだったのだが、(主に自分の嘆きが長すぎて)長文になってしまいそうだったので、パルテノンについてのまじめな考察は次の話で。


①はこちら→ https://note.mu/nanami_s/n/nc7febcbfcae2

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