卒業アルバムの始末
ようやくようやくようやく卒業アルバムの始末をつけることができたので、起こった出来事というか考えたことを記録しておきます。
『卒業アルバムをどうしたらいいか』を私も迷い、いっぱい検索したので、何かの情報になればと思います。
実家に放置していた卒業アルバムが自宅へ・・・
一昨年色々あって、実家に置きっぱなしだったものを引き取らなくてはならなくなりました。とはいっても私のものはほとんどなかったのですが、唯一あったのが卒業アルバム。
ということで引き取ってきました。いらないけど。
いらないんだけれど、なんとなく捨てられない厄介なものです。
多分多くの人が独立等の引っ越しの際、実家に置き去りにするのではないかと思います。そしていずれ引き取らねばならなくなるのです。
前提として、私は学校大嫌い派でしたので、卒業アルバムを見てテンションが上がることはありません。
卒業アルバムは通った学校分存在はしていますが、どれも1回も見たことありませんでした。開いたこともありません。確か5万円くらい出して買ったやつもあるのに。
もしかしたら親などは見ていたのかもしれませんが、私自身は一度も開いたことすらありません。むしろ見るのが嫌なものでした。
一応中を確認してみる
引き取るにあたって初めて開いてみました。一応。
自分の写真を見るの好きではないしむしろ嫌いだし、どうせ醜い姿が写っているだけだし、と思って見ることはなかったのですが、まぁ捨てる前には一度くらい、という感じです。
結果、予想よりは嫌だとは思いませんでした。これはちょっと驚きの発見でした。
自分の記憶の中ほど自分はひどくないな、自分のことをとても醜いと思っていたけれど、周りとそんなに差はないな、と思うことができました。
学生時代の嫌な記憶は、私の中でちゃんと過去の出来事として昇華しているのだと感じます。
嬉しい記憶が蘇ることはないものの、だからと言って嫌な記憶がすごく蘇ってくるってほどでもありません。
卒業アルバムを確認することでものすごーーく嫌な記憶が、「まぁこんなもんか、悪く記憶しすぎていたな」に書き変わったくらいでしょうか。
ちょっとだけ記憶を上方修正してくれたので、まぁ一応見てよかったかなと思います。
ということで卒業アルバムの役目は終わりました。
ここで「保存しておこう」とはならなかったので、私にとっては本当に必要ないのだと感じます。
いらないけれど処分しづらいものをどうするか
で、役目を終えたこれをどうするか。
ほんのりと実家の押し入れの臭いがするし、速やかになんとかしたい。
検索したところ、普通の雑誌のように廃品回収に出す人もいれば、可燃ごみとして捨ててしまう人もいるし、専門の業者に頼むという手もある、などなど、案外皆さん迷っているし、それでいて案外適当に捨てているようなので、私も適当に捨てるかと思いつつ、
多くの方達と同じように、私も『なんとなく』処分できずにいました。
表面的な理由としてはめんどくさいからなのですが、私の場合、多分最大の理由は「積極的に開きたくない、触りたくない」だったんだと思います。
捨てたら後悔するとも聞くしとか、個人情報の塊だから慎重に扱わないといけないしとか、表面的な理由を色々考えていたものの、単に学生時代のものなんて、見たくないし、触りたくないし、関わりたくないし、思い出したくないから、だったのではなかろうかと思います。
そんなもの大事にとっておいてもいいことなんてないと分かりつつ、なんとなく思いきれず、とはいえしまったら二度と取り出さない気がしたので部屋の隅っこに置いているという状態が数ヶ月続きました。
ここでしまわなかったのが一つのポイントだとは思います。どこかにしまって見えなくなったら、処分までにはもっと時間がかかったように思います。
処分しやすくするための情報を集める
なんとなしなきゃと思いつつ、決定的に邪魔というわけでもないので放置され続けていたのですが、気にはなっているので折に触れては「卒業アルバム 処分」とかで検索をしていました。検索するだけで終わるんだけど。
検索中に出てきて心に残ったのが「自分が死んだ時、それ人に見られたいか」で、絶対やだなと思いました。
さらには「未来のラッキーと目の前にあるもの(私にとっては卒業アルバム)どっちが大事なのか」で、未来のラッキーの方が大事だよなと思いました。このアルバムを捨てたらますます運が良くなると言われたら、捨てない理由なんてないんです。
潜在的に触りたくも見たくもなくて、死んだ時誰かに見られるのも嫌で、これがあることで運の良さにもマイナスの影響があるわけで、もう捨てるしかありません。
やりやすそうなところから取り掛かる
総合的に考えて捨てる一択なのに、ちゃちゃっと取りかかれない理由は結局は「写真だから扱いがめんどくさい」だったので、まずは小学校の卒業文集の部分から捨てることにしました。
小学校の卒業アルバムは、立派な装丁の中に卒業アルバムと卒業文集が一緒になっていて、紙が薄い文集の方なら簡単に捨てられるだろうと思い、まずはそこから取り掛かることにしたのです。
ということでやる気が満ちていたある日、唐突に作業を開始しました。
こういうタイミングを逃すとまた先送りになるので、理由は不明ですがやろう!と思った瞬間に開始しました。
(もしかしたら、どうしてやる気になったのかが知りたいと思われるかもしれませんが、私自身なんで急にやる気が出たのかはわかりませんし、なぜ急に実行したかもわかりません。今ならできそうと思ったタイミングを逃さなかったとしか言いようがないのです。)
やり始めたらなんてことなかった
と、気合を入れて始めたのですが、本の本体と硬い表紙をカッターで切り離した途端、なんかもう全部どうでも良くなって、結局写真の部分も含めて全部破ってゴミ袋に入れることができました。
この感じを分析するに、「しっかりとした形のものを捨てる」ことに抵抗を感じていたのだと思われます。
確かに壊れていないものとか形が元のままのものを捨てるのはとても苦手です。破れた服は簡単に捨てられるけれど、サイズが合わないとかで服自体に問題がない時は捨てられない感じです。紙袋を取っておいてしまう心理とも近いかもしれません。
とりあえずまずは一部だけ片付けようと思って始めたのですが、本が「私の認識する本」じゃなくなった途端、全部どうでも良くなったのではないかと考えられます。そもそも内容はどうでもよかったわけですしね。
これは案外簡単に処分できそうだと思い、続けて他の卒業アルバムにも取り掛かりました。
(多分)過去が完全に過去になる瞬間
で、ある卒業アルバムの後ろの方のページに寄せ書きのページを見つけたんです。
書いてもらった記憶はないし、それどころか存在すら覚えていないページ。
ちなみに、他の誰かのページに書いた覚えもありません。
でも先生に書いてもらいに行ったり、友達と書き合ったりしたんだろうな〜と思えるようなページです。
こんなのあったんだーと思いつつ読んでみたところ、ふと「あ、これは取っておく必要はなし、むしろさっさと手放していいな」って思ったんです。
ストンと腑に落ちる感じです。
かなしいとか切ないとかそんなタイプの気持ちなんだけど、そんなネガティブな感じではない感覚で、でも決していい気分ではない複雑な感情が湧いて、「ちゃっちゃと処分しよう!」とより強く思いました。
なぜそんなことを感じたのか。
よくはわからないのですが、学生時代の周りに合わせようとしながら全然できなくて、でも一所懸命擬態しようとしていた当時の私が、もうこんなものにしがみつかなくてもいいって思ったのかなと思うことにしました。
卒業アルバムの処分については、一定数「捨てて後悔した」という体験談もあったので、これも処分を躊躇する一つの理由だったのですが、私は捨てて後悔することはないだろうなぁと思いました。
そう思ってよく考えると、もし持ち続けていたとして、今後誰かに卒業アルバムを見せてと言われても見せないでしょうし、必要になったところでそもそも見せたくないんです。
数ヶ月ぐだぐだしていたとは思えないほど、ちゃっちゃと作業は進み、大した時間もかからずにアルバムをバラバラにする作業は終わりました。
あんなに見るのも嫌だったのに、そして今後も誰にも見せないであろうとか思っていたのに、自分の部分だけ残しておこうと思えるほどの余裕も生まれました。
物理のターン
精神的な抵抗を乗り越えてたら、あとはもうどこからどう見ても捨てるしかない紙の破片たちの処分です。
で、ハードルとなるのが「個人情報の塊」であること。なので、出来る限り粉砕します。
全部のアルバムをバラバラにしたのち、取っておく部分だけをほんの少し残して、その他の部分は漂白剤と水を入れた洗面器にぶっ込んでしばらく放置。
漂白剤で写真が消えると聞いたのですが、いつまで待っても消えはしなかったので、仕方なく水に濡れて柔らかくなった紙をさらに細かくちぎっていきます。
量がある程度あるので途中でだんだんめんどくさくなり、写真が全部見えなくなるほどちゃんとはやりませんでしたが、ある程度細かくしたのち白いビニール袋に入れ(一応外からは見えないような感じにして)、可燃ごみにしました。
ちなみに、手動のシュレッダーを使おうかとも思ったのですが、写真であるため紙が分厚く絶対途中で疲れて挫折すると思ったので、最初から水でふやかす方法を取りました。
電動のシュレッダーがあるなら、ちゃちゃっと片付くかもしれません。
作業を簡単にするための工程として、1、別に見られてもいい部分(建物や風景だけの写真のページなど)=そのまま捨てても問題なし、2、ある程度ちゃんと処理した方が良さそうな部分(個人の写真のページなど)=ある程度見えなくるようにする、3、しっかり処理した方が良さそうな部分(名簿みたいなところ)=シュレッダーにかける、みたいに分けておくと、若干作業が楽になるかとは思いした。
写真って捨てにくいなと思っていたのですが、「知っている人」と言う部分を取り除けば、チラシなんて写真が載っていても簡単に捨てるわけですし、そんなに神経質にならなくてもいいのかも、と個人的には思いました。
??年間実家の押し入れの奥深くに封印され、封印を解いたのちも数ヶ月放置された卒業アルバムでしたが、なんだかんだで始末をつけることができました。
先のことはわからないけど、たぶんなんとかなる
もしかしたらこの先後悔することもあるかもしれません。
でももうやっちゃったししょうがない。
一応もしかしたら後悔するかもしれないケースを考えましたが、例えば何某かの事件に巻き込まれて卒業アルバムさえあれば助かる、みたいなことになったとしたら、捨てなきゃよかったと思うかもしれませんが、そんなことが起こる可能性は、死ぬ前に卒業アルバム始末しておけばよかったと思う可能性よりだいぶ低いでしょう。
他には、急に有名になった人が実は同級生だったとかの場合、もしかしたら卒業アルバム見てみるかと思うかもしれませんが、私の性格からしてそんな理由でクローゼットの奥から卒業アルバムを出してくるとは思えないし(どう考えてもめんどくさいし、頼まれても断ると思う)、そんな程度の理由で過去を探られるなんて有名になった同級生も嬉しくないだろうし、今の部屋の中の数㎤の空間の方が大事です。
そして万が一本当にどうしても必要になったら、学校などに問い合わせればきっと取ってあるでしょうから、多分なんとかなるはずで、手元に置いておく必要はない、と今のところは確信を持てています。
というわけで、始めてしまえばなんとも簡単に終えることができました。
「後悔するかもしれない気持ちより、今の家のスペースの方が大事」だと私は思ったので、この度卒業アルバムの始末を決行しました。
なんだかんだで色々と気づきはあって、卒業アルバムを見たことで「自分は小さい頃からとても醜い」と思っていたけれどそれは違ったなぁと思い直すことができてよかったと思い、多分もう関わることもない過去の人間関係にしがみつくこともないんだと思うこともできました。
この先どう思うのかはわかりませんが、思い切って処分しようと考えて、しっかり卒業アルバムと向き合ったことは、いい経験になったと思っています。
卒業アルバムの始末・心理的部分まとめ
そもそも「卒業アルバム」の体裁で取っておく必要はなさそう。
自分の部分、友達の部分、見返したい部分のみを残すことも可能そう。
分解してしまうと案外どうでも良くなりそう。
後悔するかもしれない点は事前に想定しておくとよさそう。
見たら見たで新しい気づきはあるかもしれないから、取っておくことが悪いわけではないはず。
楽しい思い出があるなら、頻繁に見る場所に置くのもいいかもしれない。死蔵品としない方がよい。
他の人の写真とかアルバム類って処分しずらいから、できれば本人が処分した方がいいと思う。
逆に「気分的に」自分では処分しづらいなら、誰かに頼むのもいいかもしれない。(作業的にめんどくさいのは自分でなんとかしよう)
どうしても後悔しそうなら写真を撮るなどデータ化するのもいいかも。それを後で見るとは思えないけど。
卒業アルバムを処分して「後悔した」はある程度目にしたけれど、「困った」は目にした記憶がないので、多分そういうもの。
(個人の感想です)
卒業アルバムの始末・物理的部分まとめ
とりあえずは、硬くて分厚い表紙を破るとどうでも良くなりそう(他の部分がただの紙に見えてくる)。
破った後は、洗剤や漂白剤入りの水につけておくと、紙がぐちゃぐちゃになるのでそのまま丸めればほぼ識別不能になりそう。
水につけたのちに洗濯機で回すとバラバラになるらしい(自己責任で)。
全ページノリで貼ったり、ガムテープでぐるぐる巻きにして開かないようにして捨てる方法もあるらしい(一番楽な気がする)。
破ったりしながら、「燃やせたら楽なのにな〜」と思った。
シュレッダー(手動だと特に)にかけようと思うとハードルが上がる気がする。
厳密に考えすぎると作業が難しくなるので、ある程度の妥協も必要かも。
思い出に浸りながらやっても1〜2時間もあれば終わると思われる。
(個人の感想です)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?