やはり、まず自分から満たしていくとしよう

がっつり昭和生まれで、高校生の時に平成が始まったくらいの年代なものなので、私が十代のころは、良妻賢母とか、妻が家を守るとか、そういう言葉や常識が疑問視されることもなく、普通に使われていた時代だった。

だからそのころの女性にとっては、自分の時間や楽しみを犠牲にして、家族を世話する、家族のために尽くす…という感覚はそんなに珍しいものではなかったと思う。むしろそれができてこそ、一人前のお母さんみたいな。

私の母も、とりあえずはそういう感じだったので(本当は昼寝好きな力の抜けたところもある人なのだが、やることはやっていた)自然と私もそうであろうとしていた。

…いや、そうであろうとしても、あまり上手くできなかったけれど、本来はやるべきなんだという意識は常にあって、でも思うほどにはできないので、いつもうっすらとした後ろめたさがあるのだ。

だから昨今の、まず自分を甘やかしてとか、自分を大事にしてあげて、みたいな言葉を聞くと、そうしたいのは山々だし理屈はわかるけど、でもねえ…みたいな感じだったのだ。


このコロナの休校や夫の在宅ワークが終わり、しかし私は仕事をいったん辞めており、ぽっかりと時間が空いた。前よりぼんやりと考える時間が増え、自分と向き合うことができるようになったとき、ふと思った。

別に、ちゃんとやらないといけないってことも、ないんじゃないの?

もちろん最低限の家事育児(ざっとの掃除、洗濯、買い物、食事の用意、息子の面倒)はするとしても…。そんなに、理想みたいにできないってことにフォーカスして、私は大したことない主婦だなあと思わなくてもいいんじゃない?

幸か不幸か夫は仕事が忙しくて、家の中の細かいことはさほど気にしないし、食事は出せば大体何でも食べてくれる人だし(茄子以外は)。有難いことに。

なので、時間が余ったから自分の時間…ではなく、前向きに、優先的に自分時間で好きなこと、自由なことをすることにしてみた。本や漫画を読んだり、アマゾンプライムで好きなアニメや海外ドラマを観たり、こうして思いつくままに文章を書いてみたり。

やりたいことをやってみて、自分を満たして、忘れかけていた自分自身を思い出そうとしている。






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