「聖闘士星矢」世代が観たらこうなった。「鬼滅の刃」に思う令和のヒーロー像
※2020年11月8日作成記事を一部改訂したものです
<以下、一部ネタバレを含みます>
コロナ禍でなんとなく息詰まった日々に突如わき上がった「鬼滅の刃」ブーム。
でもそれはこのご時世だからこそ、なるべくしてなったことなのだと劇場版「鬼滅の刃」を鑑賞して改め実感した。
「鬼滅の刃」自体は2年前くらいから存在は知っていたものの、40代のおひとり様的に、「バトル物なんでしょ?戦ってどんどん死んでく姿を見るなんて耐えられない、泣いちゃう‼」と思って敢えて目をそらしていた。
それがつい先日、小学校1年生の姪っ子にお正月ぶりに会ったら、開口一番「「鬼滅の刃」って知ってる?」と聞かれ、ちゃんと自分の意思をもって喋る姿にビックリ。
お正月の時はまだフニャついてて幼児だなぁと認識していた姪っ子の著しい成長ぶりに感動しつつ質問理由を聞いてみたら、どうやらクラスみんなでハマっており、映画をいつ観たかいつ観るかクラスメイトのみならず親御さん同士でラインでやりあっているらしい。
そうなる程に一般大衆を巻き込み、かつ観た人々が口をそろえて「良かった!泣ける!」と絶賛している姿に俄然興味が湧いた。
ということで、一応録画しておいたフジテレビで放送されたTV版を観てみたみたら…
「あ、これ日本人ならみんな好きなやつだ、泣ける!」
と、御多分に漏れず一人さめざめと泣きながら休日の午後を費やして「鬼滅の刃」の概要を履修。
そして翌週の休日、がんばって早起きして立川でカジュアルランチを楽しんでから、立川シネマ・シティー・ツーの極音上映を鑑賞。
その2時間後、滂沱の涙で心身枯れ晴らした我が身にしばし茫然としたのだった。
「鬼滅の刃」すごい、「週刊少年ジャンプ」すごい!
そもそも40代の私にとって小学生時代は「週刊少年ジャンプ」を原作とするアニメが人生の楽しみの大半を占めていた。
「キン肉マン」に始まり「キャプテン翼」「北斗の拳」「聖闘士星矢」のアニメを観ていたら気が付いたら小学生時代が終わってた…ってくらい。
そして生きるために大切なことはすべて「週刊少年ジャンプ」が教えてくれた…と言っても過言ではないくらい、ジャンプが掲げる「友情・努力・勝利」を心の真ん中に構えてこの30年近くを乗り切ってきたように思う。
(ただその弊害で心が少年になりすぎて、「生きることは己と闘うこと!」と求道者精神が強すぎて恋愛力が培われずいまだおひとり様ではあるが…)
そんな40代世代が「鬼滅の刃」を観てまず思ったのが「あ、これ『聖闘士星矢』の和製版だ」。
鬼滅ファンの皆さん、ごめんなんさい。
でも40代のニワカファンの素直な感想ということでご容赦を。
小学生時代に「聖闘士星矢」が好きすぎて、それから三十数年、心に小宇宙を燃やして生きるを信念に昭和、平成、令和の3時代を生き抜いてきたのだから仕方ない。
むしろ「聖闘士星矢」は昭和のバトル漫画の金字塔の1つで、「友情・努力・勝利」を過剰なくらいに熱く描いた名作なのだ。なので「鬼滅の刃」に「聖闘士星矢」スピリッツを感じるということは、「鬼滅の刃」が「週刊少年ジャンプ」の正統かつ王道な後継者である証でもあるのではないだろうか。
ということで、正当な後継者ならではの類似ポイントとしては
・舞台は現実世界+ファンタジー要素を融合させたエキゾチックな世界:
ギリシャを聖地に女神(アテナ)を中心に組成された聖闘士たちが人々を守る世界→大正時代をベースに人を食う「鬼」がはびこり、人々を守るために鬼殺隊が結成されている世界
・闘志を燃やすための作法:「小宇宙」→「呼吸法」
・戦いにおいてキャラクターを象徴するツール:
その者にしか着こなせない「聖衣」と必殺技→その者にしか扱えない「刀」と必殺技
・主人公はド新人:
最下位クラスのブロンズ聖闘士→鬼殺隊に入隊したばかりで最下位
・ある特定の組織に入るために異常ともいえる過酷な修練に励む:
幼少時から拉致同然でギリシャに送り込まれ数年間の修行→思春期の貴重な時間に2年間、過酷で孤独な修行生活
・成長を見守るよく出来た師匠がいて実はその師匠にも重い過去あり:
女聖闘士の魔鈴さん→「育手」鱗滝左近次
・同世代の仲間と友情を育み少しずつ成長する:
主人公の星矢と共に戦うブロンズ聖闘士の4人の仲間→主人公の炭治郎と出会い仲間となる善逸や伊之介
・主人公の最初のモチベーションが家族のため:
行方不明の姉を探すため地獄ような修行の日々を耐え見事ブロンズ聖闘士の資格を得る星矢→鬼にさせられてしまった妹を救うため気の遠くなるような孤独な修行にも耐え抜き鬼殺隊に合格する炭治郎
・人智を超えた強さを誇る先輩たち:
黄金聖闘士→鬼殺隊の「柱」の面々
・実は慢性的な人材不足で超強い先輩たちも実はめっちゃ若い:
黄金聖闘士は10代後半~20代前半→柱の面々も10代~20代
・慢性的な人材不足のため、最下位から上位に這い上がるチャンスが実はある:
ブロンズ聖闘士だが時々、黄金聖衣を拝借して有望な将来性を見出され期待をかけられる→即実戦投入され戦いの中で新たな力に目覚めて技を習得したり、オーナー的存在に価値を見出される
…などなど
うんうん、これぞジャンプ法則だね!…という要素がギュギュッと詰まっている。
だからこそ、初見でもすごく分かりやすく見やすい。
お作法はこの数十年受け継がれた「週刊少年ジャンプ」の正統派方程式に則っているから、初心者でも全然ついていける。
そしてその上で、和製=日本人の心情にフィットする情緒によって丁寧に紡がれるストーリー、そして今だからこその美麗な絵柄や映像演出で隙無く構築されている上に、この令和の時代だからこその時代性が違和感なく作品の血肉となっているところに「鬼滅の刃」のすごさがある。
■煉獄杏寿郎にみる「偉大なる先輩像」と本当の覚悟
さてそんな俄かファンなので、実はアニメで動く煉獄さんを見るのは劇場版が初めてだった。
40代の女性から見た煉獄さんの第一ははっきりって最悪だった。
まずカッ開いた目が怖い。
瞳孔開いちゃってんじゃない?ってな瞳の揺るがなさと、瞬きしてる?ドライアイにならない?と心配させる表情の動かなさが、はっきり言って超怖い。
頭は超良く恰幅も良いが愛国主義に傾倒しすぎて所かまわず愛国論と軍歌をかましていた高校時代のクラスメイトを30年ぶりくらいにフラッシュバックさせたくらいの嫌悪感。
しかも汽車の中で駅弁を食べる際に「うまい!」を大声で連発する空気の読めない感じとか、和牛弁当という当時にしてもそれけっこう高額だよね?というお弁当を十数個食べちゃうところに金銭感覚大丈夫?と思わずツッコミいれたくなる(あのお弁当代は経費扱いなんだろうか…)。
絶対お付き合いしたくない人NO1だわぁ…と正直思ってしまった。
でもその辺は主人公の炭治郎や善逸が早々に「変な人」と素直なツッコミを入れてくれたので、寧ろ一気に主人公側の視点で同調することができ、だからこそ、炭治郎視点で煉獄杏寿郎を捉えることでクライマックスの煉獄さんのすごさに劇場版2時間をかけて気づき尊敬するまでに至ることができたのだ。
(彼の初登場シーンにはそういう演出テクニックが詰まっていたのかもしれない)
まあそんな訳で、第一印象は「私はお前が嫌いだ」…だった。
しかも鬼殺隊のトップクラス「柱」の一人の煉獄さん。強さは折り紙付きなのはもちろん、言動がすごく正論といういが正義の塊って感じで、それもまた苦手なタイプ。
彼の喋りに「あ、こいつアイオロス?もしくはアイオリア?」と聖闘士星矢世代の私は思ってしまい、一層、苦手になってしまった。
小学生時代からなんつーかこう、正論と正義を振りかざして、しかも中心的人物という陽キャラというかカースト上位の強すぎて弱者のナイーブな心の弱さに思い至らないような奴が超絶苦手だった。
なので冒頭20分はまったくテンションが上がらず。むしろ苦手な彼と映画の最後まで付き合わなきゃならないことに苦痛すら覚えるしまつ。
映画館という密室が途中乗車の許されないノンストップの汽車に重なり憂鬱になりつつも、炭治郎や善逸、伊之助の、意外とドライで辛辣なツッコミに溜飲を下げていたのだった。
それが「あれ?」と思ったのは、中盤で煉獄さんの無意識層が構見えるシーン。
垣間見えた彼の過去と無意識層のまさに煉獄な様相に、彼がただの正義を振りかざすだけの奴ではないのでは?と俄然興味が湧き始めた。
そしてクライマックスのあの雄姿である。
最初の「お前が嫌いだ」な気持ちは彼の振り下ろす炎の刃で見事に斬られ浄化され、上映後は「煉獄さんサイコー!カッコ良い!」となっていた。
無限列車は主人公の炭治郎たちと共に煉獄杏寿郎に出会い、そして感銘を受け、あらためて人として鬼を倒す「鬼殺隊」の心構えを学びなおす旅だったのだなと実感したのだった。
それ故の辛さもまたあるのだが、煉獄杏寿郎と出会った意義がこの映画にすべて込められていて、確かに何度も足を運びたくなる魅力が詰まったとても贅沢な2時間だった。
■竈門炭治郎という令和の新ヒーロが魅せる偉大なる慈愛と赦しの精神
無駄に熱い男というのが小学生から苦手な私は、昭和の熱血主人公が実のところ苦手だった。
正直、「聖闘士星矢」の主人公の星矢のことも実のところそんなに好きではない。不屈の精神とどんな困難にあっても仲間を思い立ち上がる勇気に人として尊敬はするけど、異性としては付き合いたくないタイプ(小~中学生時はユニセックスなアンドロメダ瞬くんが好きだった)。
なのでその後、平成を席捲したジャンプの人気主人公の悟空やルフィも苦手だったので実は「ドラゴンボール」や「ワンピース」をちゃんと漫画を読んだことがない。「北斗の拳」のケンシロウは寡黙で不器用な実直さが憧れのアニキ!って感じで好きだったので漫画もちゃんと読んだ(笑)
そんな訳で「週刊少年ジャンプ」作品は好きだが熱血主人公は苦手な私から見ると、「鬼滅の刃」の主人公の竈門炭治郎は全く違ったタイプの新しい主人公像でまず驚いた。
もちろん炭治郎も熱い部分を持っているけど、まず使う技が水系ってところで熱さがあんまり無い。むしろ涼し気ですらある。しかも見た目もカワイらしい容貌で、17才というのに思春期の男子感が薄く、どちらかというとユニセックスなのだ。
14才という一番多感な年に彼にとって一番の悲劇を体験し過酷な日々に身を投じてしまったせいかもしれない。
でも仲間の善逸は同じような状況でもヒロインの禰豆子LOVE!だったりとある種全うな高校生男子感があるし、動物に育てられた野生児の伊之介も無意識層では10代男子の性を抱えていたので、やっぱりパーソナリティの違いなのかなと思う。
炭治郎はとてもニュートラルな存在だと思う。
そして扱う技のように水のようなしなやかさがある。
男でも女でもなく性の境界線を決壊させ一個人としての魅力を打ち出すそのキャラ性が、まさに今の時代性のように思う。
だからこそ、男女関係なく魅了されるのかもしれない。
しかも炭治郎のすごいところは、彼の精神性が闘争心ではなく慈愛と赦しを根源としているところだ。
まるでウユニ塩湖のような絶景を無意識層に抱く炭治郎は、憎っくき敵である鬼にさえも慈愛を見せる。そして消滅する鬼の最後のいまわの時に、復讐の怨念を見せるではなく、全てを飲み込み浄化するとてつもない包容力を見せるのだ。
闘志は屈服させることができるかもしれないが、慈愛は組み伏せない。むしろ飲み込まれてしまう。
こいつガンジーの生まれ変わりか⁉
今年のノーベル平和賞は竈門炭治郎がもらうべきだろ!
と思わせる平和への祈りが満ちている。
闘いを通して成長する姿を見せる「週刊少年ジャンプ」方程式において、闘いの中で彼が魅せる一番の成長所は、不屈の闘志ではなく赦しの精神だというのが実に新しい。
そして令和というこの時代、本当の勝者というのは、闘って相手を屈することではなく、闘いというコミュニケーションを通じて相手を理解し許す度量の大きい者なのではないだろうか。
武力ではなく慈愛の権化である竈門炭治郎。
ある意味、恐ろしい子…!である。
何故なら、今までの流儀となる力の正義が通じないのだ。
これは、圧倒的な力の強さで鬼たちを統べる最大の敵・鬼無辻無惨にとっては、実に厄介でいまいましい存在だろう。
だからこそきっと最後は心の勝負になるのかなと思ったり。
男女差別という昭和から平成にかけてのジェンダー論が、さまざまな性を受容する多様性を求められるようになり、それ故に、性別ではなく個々人の個としての優劣も逆に際立ち、アイデンティティーを崩壊させる危険性をもはらむ令和の時代。
だからこそ、誰よりも実は一番の心の強さと途方もない慈愛と赦しの包容力を持つ竈門炭治郎に、私たちは感銘を受け魅了されるのではないだろうか。
まさに今だからこそ生まれた新ヒーロー像なのだと思う。
……ということで、昭和の時代から脈々と受け継がれた「週刊少年ジャンプ」の正統派路線でありつつも、令和の今だからこそ必要なニュートラルな主人公が活躍する「鬼滅の刃」が人気となるのは必然なのだ。
そしてこのコロナ禍となった2020年。舞台背景が私たちに郷愁を呼び起こさせる日本の原風景的な大正ロマンに彩られ、「鬼」という理不尽な存在と、そしていつ自分が食われるかもしくはそっち側になってしまうかもしれないという恐怖が、今のコロナという目に見えない恐怖にも重なる。
そんな日々の中で、男女の恋愛ではなく家族愛という誰しもが心の根っこに持っているだろう愛をまっすぐ無垢な形のまま最高質の状態で魅せてくれたのが「鬼滅の刃」なのだと思う。
だからこそ私たちはただ純粋に楽しみ、その無垢さを真っすぐに受容することで、このコロナ禍で積もり積もった心の澱を浄化すれば良いのではないだろうか。
しかもこのご時勢、映画館で滂沱の涙を流して顔がデロデロになってもマスクで隠してくれるというメリットもあったりするのだ。
悔しいかな、この2週間足らずのニワカにすらこんなに語らせてしまう「鬼滅の刃」はやはりスゴイ。
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