ディズニープリンセスの真の呪いと秘められた魅力について想いを馳せる休日
※2020年11月22日作成記事を一部改訂したものです
ひとりで生きる術の一つとして、家事を誰もやってくれないなら自分でやるしかなく、それなら休日の午前中をシンデレラモードで家事に徹しよう…という名付けて「午前12時のシンデレラ作戦」を実行したことで、シンデレラってもしかしてスーパー主婦⁉という気づきを得た訳だが、その新たな視点を得たことで、今までなんとなく苦手で敬遠していたディズニー作品のヒロインたちに、もしかしたら実は気づかなかった秘めた魅力が本当はあったのでは?…と思い立ち、3連休の中日、外出する気分も失せ家でまったりのんびりしていた午後、ディズニーのプリンセスたちに想いを馳せてみた。
ディズニーの公式サイトによると、ディズニーには「ディズニープリンセス」なる8人のプリンセスがいるそうな。
白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫(眠れる森の美女)、アリエル(リトル・マーメイド)、ベル(美女と野獣)、ジャスミン(アラジンと魔法のランプ)、ラプンツェル、モアナ(モアナと伝説の海)。
以前はポカホンタスやムーランも入っていたような気もするが、公式サイトには載ってない。やっぱりプリンセスという地位を先天的にせよ後天的にせよ得ていないからだろうか…だとしたらシビア。
8人のプリンセスの顔ぶれを見ると人種も種族も以外とバリエーションに富んでいて、ディズニーの多様性のアイコンにもなっているように思える。
商売上、「ディズニープリンセス」というブランド化することで昔の作品のプリンセスたちにスポットライトを再び当てることで実写化のチャンスも高める作戦(のように見える)
さてここで、初代のアニメ化された時期とディズニーブランドとして実写化された時期を改めて確認してみよう。
1:「白雪姫」…アニメ(1937年)、実写(無し)
2:「シンデレラ」…アニメ(1950年)、実写(2015年)
3:「オーロラ姫」…アニメ(1959年)、実写「マレフィセント」(2014年)
4:「アリエル」…アニメ(1989年)、実写(製作発表されたが公開日は未定? 2022年以降?)
5:「ベル」…アニメ(1991年)、実写(2017年)
6:「ジャスミン」…アニメ(1992年)、実写(2019年)
7:「ラプンツェル」…CGアニメ(2010年)、実写(製作発表されたが公開日は未定? 2022年以降?)
8:「モアナ」…CGアニメ(2016年)、実写(未定)
「白雪姫」って戦前だった事がまず一番の驚き!
なるほど、第2次世界大戦突入前の勢いあるアメリカのオラオラ俺様男性主義が蔓延っている時代に生み出された白雪姫は、そりゃ確かに庇護欲そそる可憐で従順な美少女だよなぁと納得。
しかもディズニー人気をぶち上げた貢献者の一人とあっては、下手な改変はご法度。現代風に改変するのもかなり難しいだろう。きっと彼女は伝家の宝刀として、ディズニーの会社経営が破綻の危機を迎えない限り、超深層のお姫様として実写は難しいかもしれない。
他のプリンセスたちというと、シンデレラとオーロラ姫は今の70代女性が初めて触れた長編アニメの可能性がある。いわば気持ちも若くお金にも余裕がある祖母世代のプリンセス。
アリエル、ベル、ジャスミンは30代後半~40代女性が若いころにデートムービーとして楽しんだ映画のヒロインで、実写化されたのはそんな女性たちが母になっているかおひとり様としてライフスタイルを確立しようと己の生き方を問いかける時期にあたる。かつ、昔は彼氏と行ったけど、今は娘と一緒に実写映画を見に行ける頃合いという絶妙さ。
そして2010年代からはCG長編アニメーション技術の発達とともに生み出された2010年代のプリンセスとなるラプンツェルとモアナ。ラプンツェルは美少女顔で金髪の超長髪という可憐さで正統派プリンセスの外見なのでまぁ分からなくもないけれど、モアナはこのプリンセスたちの中ではちょっと異色な印象がある。それでも「ディズニープリンセス」というブランド下に置くことで他プリンセスと同等の立場よ!と見せつけ、モアナもプリセンス扱いしなきゃいけないようなプレッシャーを感じさせるのがすごい。
なんて商業的なプリンセスブランド! でもブランド化ってそういうものだよね。いっそその清々しさが逆に好感度UP(笑)
まぁ、そんなプリセンスたちの商業上のバックボーンを読み解いたところで、いうなればディズニープリンセスを養っているのは年金生活ながらも余裕があって孫には甘い祖母世代と、昔のノスタルジーにちょっと甘酸っぱい思い出を塗して、娘たちにもキラキラライフを送って欲しいと思う一家の財布を握る30~40代のママたちや、お金は全部自分のためもしくは可愛い姪っ子や推しに使っちゃえ!と言うおひとり様女子なのだと改めて実感。
そうなると、そんな彼女たちの今の嗜好に合わせる必要があり、改めて2010年代の長編CGアニメーションや昨今の実写化にあたって、昔のヒロイン像を21世紀の現代に改変せざるを得ない。
いわば、ディズニープリンセスの昨今の作品における描かれ方は、21世紀の女性像を反映しているものでなければならないのだな…ということが分かった。
ということで、ディズニープリンセスたちは、半世紀から四半世紀前の戦後直後から高度経済成長期の男尊女卑な文化で生み出された身でありながら、多様性と自立を歌う21世紀、日本にとっては令和な時代にギアチェンジせざるを得ず、そこには生まれた時の呪いと、改変したことによって見出される新たな魅力が実に複雑に絡み合っているように思う。
アニメ化も実写化もすでにされた以下のヒロインたちから、その呪いと魅力を考えてみたい。
「シンデレラ」…アニメ(1950年)、実写(2015年)
「ベル」…アニメ(1991年)、実写(2017年)
「ジャスミン」…アニメ(1992年)、実写(2019年)
※「オーロラ姫」の実写映画「マレフィセント」(2014年)は、オーロラ姫が主役ではなく魔女が主人公になったので今回は割愛。アラフォー女子の悲哀という視点で観る「マレフィセント」も興味深いが、彼女の切なさについてはまたの機会に考えたい。
■「シンデレラ」…アニメ(1950年)、実写(2015年)
シンデレラといえば意地悪な継母と義理の姉たちにこき使われ、本来はお嬢様なのに使用人のごとき日々を強いられながらも屈折せず健気…というプリンセス。魔法使いも手助けしたくなる可憐さもあり、ドレスアップした姿はお城のパーティで今日イチの美しさ!と王子に一目ぼれされちゃうくらいの美人でもある。
個人的には辛い日々をただひたすら耐える姿がやけに受け身に思えて、王子に一目ぼれされたのも外見の美しさだけだし、美人は得だよね~とやっかみ半分の気持ちもあってあまり好きではなかった。
だが昨日改めてシンデレラのスーパー主婦能力を再認識したことで、彼女が本当に守りたかったのは自分が生まれた屋敷だったんだなと気づいた。
実写版では幼少時の幸福な日々が冒頭でしっかり描かれていて、シンデレラにとっては屋敷の維持は亡くなった両親の思い出の維持であり、愛した日々を守る行為でもあったのだ。だから家を出ることをせず、ひたすら屋敷を守ることに尽力したのだ。そのためには自身はフカフカのベッドでなく暖炉前の灰の上でも耐えて見せるという、その根性がまずスゴイ。一見受け身に見えながら、実は誰よりも根性があって、しかも自分にとって大切な物を守り切る強さと、大好きな父親が一度は見染めた継母を排除しない包容力まであるんだからすごすぎる。
こんなすごいシンデレラと結婚できた王子こそ一番のラッキーマン。シンデレラが自身が生まれた屋敷だけでなく、そんな自分が生まれた国そのものも守りたいと心から思ったら、たぶんきっとそのスーパー主婦能力を発揮して王子を立てつつも様々な改革を行う有能な事務官として国を栄えさせるんじゃなかろうか。そんなポテンシャルすら垣間見せるシンデレラには、今後も自分にとって大切なものを正しく清く守って欲しい。
そんな彼女にとっての呪いとは何だったのか。それは、極端に美化された幼少時の幻想という呪縛だったのかもしれない。
王子との結婚で幼少時の幻想という呪縛が詰まった屋敷を出ることで、美しい思い出はそのままに、お城での新しい生活でスーパー主婦ぶりを発揮できれば彼女の人生は幸せになるだろう。
どうか城での生活を充実させ、新しい幻想の世界で生き抜いて欲しい。幻想が打ち破れ守る気持ちを鬱屈させてしまったら、城の大広間の窓の桟のホコリを見咎めて小言を言うような小姑だったりお局になってしまう可能性を秘めたシンデレラは危うい存在でもあるのだ。
どうか彼女には自分自身に魔法をかけ続けることで幸せいて欲しいと、祈るばかりである。
■「ベル」…アニメ(1991年)、実写(2017年)
ベルは町の商人の娘だが、後に野獣に姿を変えられた王子と結婚することでプリンセスという身分を手に入れる。
でもベルにとってはプリンセスという称号よりも、本当の自分を好きになってくれた野獣と一緒になれたことが最大の幸せだと思う。
実写版では冒頭、インテリすぎて村では浮きまくっていたベルの姿がけっこう長尺使って描かれていた。ベル自身は自分の知識欲と探求心に邁進していただけなのだが、女性で、しかも田舎の小娘という立場が、女は結婚して旦那を支え家事(農業含む)に勤しむのがフツーとされる村の風習にはまったくもって馴染まない存在で、異端児扱いされていた。
村の中では若手NO1として人気の男はベルの見た目だけを気に入り、しつこく嫁にしようとする。知性のかけらもない俺様男なんてマジ無理、とベルが思うのはもっともなのだが、周囲の村人たちはそんなベルを理解できず、むしろなんで結婚しないの?良い話じゃない、と村人全員がお節介のお見合い婆みたいな状況は、ベルにとっては地獄だったのではないだろうか。
それでも愛する父親のため家を出ることをせずガマンしていたのが、ベルの弱さでもあり情の深さでもある。
実は彼女にかけられた呪いは、捨てられない家族と実家だったのだ。
そんな彼女の呪いは、父親の迂闊な行動という思わぬ形で破られる。
野獣の城の薔薇を無断で手折って怒りを買った父親の代わりに、野獣の城での生活を強いられることになったベル。でも正直なところ、村での生活よりも衣食住整っていて、しかも巨大書庫のある城での生活はベルにとってまさに夢のような素敵な日々。父親がうっかり薔薇を手折った時点で、彼女の呪いは解かれ幸せの第一歩となる道が開けたのだ。しかも「大切な父親の身代わり」という体の良い言い訳もついてなのだから、ベルにとっては最高の条件のように思える。
王子に助けられてといったヒロイン性が全くないのが面白い。
そんな訳でベルにとっては野獣の城生活は充実した日々で、それ故に心にも余裕があったからこそ、野獣の心の内を思いやることもできたのではないだろうか。
しかも野獣は元々呪いをかけられたのは自身の傲慢さが招いたものだったが、野獣化した期間が長すぎて自省する時間がかなり十分あったものだから精神的に謙虚になり、かつ巨大書庫の書物を読むくらいしか時間潰しの娯楽がなかったこと功を奏して教養と知性を身に着けられたおかげで、野獣は知性派ベルと話が合う身の丈にレベルアップできたのだから、むしろラッキーだったのは野獣ではなかろうか。
ベルが面食いでは無かったのが、野獣にとってまず最大のラッキーポイント。
そして結果として、外面ではなく心の内面を見極める知性と優しさをもったベルの偉大な愛で野獣は呪いを解くことができるのだ。
あれ?もしかして「美女と野獣」の真のヒロインはベルではなく野獣⁉
確かに内向的で受け身で自分に降りかかった悲劇を嘆き悲しむだけで特に何もしていない野獣は一昔前のヒロイン像が重なる。
となると、ベルはすべてに受け身で後ろ向きな野獣に真っすぐ向き合い、野獣の真の魅力を引き出してくれたまさに王子様! 野獣ってば良かったね☆
ちなみに個人的にはアニメ版「美女と野獣」を観た時に、呪いが解けて人間に戻った彼の姿を観た瞬間、映画館内であったにも関わらず「これじゃない」と呟いてしまった過去がある。
なよっちくて軽薄そうにも見える王子の姿よりも、大柄で厳つい野獣のほうが個人的に好みだった。
だがまぁ、つい外見で判断してしまう未熟な私に比べれば、ベルは見た目ではなくちゃんと内面を見極める真のヒーローなので、野獣が王子様になってもちゃんと外見に惑わされず今後も末永く向き合ってくれるだろう。
ヒロインポジションの元野獣の王子は、そんな優しいベルに対して調子に乗りすぎてベルを失望させるという過ちを犯さないよう切に祈るばかりである。
ちなみに余談だが、実写版のベルを演じたのは、インテリで女性の地位向上に邁進するリアル・ハーマイオニーのようなエマ・ワトソンだが、当初、彼女には「シンデレラ」のオファーがあったらしい。だが彼女的には「私がやるべき役はこれじゃない」と断ったのだとか。改めてシンデレラとベルの両者を検証してみると、確かにエマ・ワトソンにはシンデラは演じきれないだろう。強さのベクトルが違う。もし彼女がシンデレラを演じていたら、王子に出会わずして早々に屋敷維持のための改革と継母との縁切りをしかねない(笑)
■「ジャスミン」…アニメ(1992年)、実写(2019年)
アニメ映画「アラジンと魔法のランプ」を実は上映当時、私は観なかった。
何故なら大量に投下されるCMスポットのアラジンとジャスミンのリア充全開なラブストーリー予告が、長らく中二病患っていた当時の私にはまったく刺さらなかったのだ。
という訳でアニメ版を見たのは実写公開記念でTV放送された時…ということで昨年の話だったりもする。
TV放送ということで、映画館のように全集中!ではなく晩酌しながら気楽に見れたのが良かったのかもしれない。映画としては思いのほか面白かった。まず音楽が良かったし、砂漠の王国の描かれ方が好みだったし、アラジンが意外といい奴だったので好感度UPだった。それでもやっぱりそこで描かれるヒロインのジャスミンは添え物感満載のわき役感が強くて苦手だった。
とはいえ、映画自体は面白かったので実写もきっと映像はかなり素晴らしいに違いないと、実写版は映画館に足を運んで全集中モードで観たらめっちゃ良かった!
映像美やキャストたちのハマリ具合、音楽の良さなど語りたいところは多々あれど、その中でも衝撃を受けたのがアニメとは違うジャスミンの描かれ方だった。
実写版のジャスミンは知性ある一人の人間としてきちんと描かれていたのだ!
しかも、国を統治する父親の背中を見て育ったことで、国民が幸せな国とは何かを自ずと考えるほど真の統治者としての素質するらある。そのうえめちゃ美人でセクシー。なにこれ最強か! という人物だった。
そんな彼女でも女は国の統治者になれないという決まり事の前に一人悩む姿が本当に泣ける。
生まれながらのプリンセスであるジャスミンにかけられた呪いは、国の掟という最大で強固なものだったのだ。
頭も良くて能力が高いからこそ気づいてしまった強靭な呪い。
アメリカでも実はいまだに破られない女性管理職を阻む「ガラスの天井」がここにもあった。
しかも愛する国から出て行けといわんばかりの他国の王子との縁談を強固に推し進められるもんだからたまったもんじゃない。
それでも一人の人間としての自立と国を思う気持ちを朗々と歌い上げる姿は本当にカッコ良かった。
アニメでは描かれなかったジャスミンの内面と、彼女のソロの歌が実写版ではきちんと入ったことが実写版「アラジンと魔法のランプ」の最大にして最高の改良点だったのではと思う。
女というだけで彼女の素質に気づかない父親、国王としてマジ、ポンコツだな…と内心罵りながらやきもきしていたのだが、最後の最後に王として最高の判断を下してくれた。
それがジャスミンへの王位継承権の委譲。
ということで、ジャスミンが国を統治することになれば、アラジンが王子様でなくても全くもって問題ない。寧ろ、王位継承権を持つジャスミンにとっては政治や権力に関心の高い相手だと、寝首をかかれるか乗っ取られるかの脅威でしかない訳で、その点、権力とかに興味なさそうな気の良いアラジンは夫にするにもとっても最高な相手なのだ。
魔法のランプで願いを叶えようとするアラジンと対象に、実力で願いを叶えたジャスミンは素晴らしい。
そしてまた、最後は魔法に頼らず心根の良さで最高の伴侶をゲットしたアラジンも実はすごい奴なのかもしれない。ジャスミン効果でアラジンまでもが良い男に見えてくる(笑)
改めて、21世紀の女性の悩みや望み、ありようを上手く練りこみかつ物語として破綻しない形で紡ぎあげたディズニープリンセス作品はやはり傑作であり、だからこそ大勢の人々の支持を得るのだろう。
今後、実写を控えているアリエルやラプンツェルたちがどんな女性像を打ち出してくれるのかもとても楽しみになった。
ちなみにここ数年でメガヒットをたたき出した「アナと雪の女王」がディズニープリンセスに入っていないのも面白い。
まぁアナ雪はもうそれだけで最強ブランドとして売り上げも高いので、ビジネス的にも別枠にしておいたほうが何かと都合がよいのだろうと思いつつも、やはり「アナと雪の女王」はディズニー作品においてもある意味、生まれたその時から新時代のプリンセスの気質と文脈で生み出されたプリンセスだったからなのかもしれない。
個人的にはディズニー作品の中では「アナと雪の女王」が一番好きなのだが、やっぱりそれはおひとり様街道を真っすぐ駆け進エルサのせいかもしれない(笑)
……と、長々と想いを馳せた休日の午後。
さまざまなプリンセスたちの新時代ならではの生き様に勇気をもらえたように思う。
強く、逞しく、美しく。
そんなプリンセスたちを見習って、私も私の物語のプリンセスでありヒーローになろうではないか。
そう思えるようになっただけでも、今日は有意義な休日だったかも。