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山田さんは山田さんなのか
日本人、いや、世界中の人々はおそらく、
自己紹介して、と言われると、
「私、A子と申します。」
「株式会社○○のB郎です。」
などと答えるだろう。
至極当然の会話である。
しかし私はいつも、何で???と疑問に思ってしまう。
仮に私の名前が「山田太郎」だったとする。
すると当然挨拶の際は、「山田太郎と申します。」と言うことになるだろう。
しかし、「私」は「山田太郎」なのだろうか。
当然社会生活を営むにあたり、自分の名前を「私」として名乗ることは
当たり前のことであるから、私も致し方なく「山田太郎です。」と答えているが、
内心では吐き気のような何かにいつも襲われている。
「私」、つまり精神、つまり自己は、(←キルケゴールみたい)
「私」そのものなのであって、
「山田太郎」ではない。
私の吐き気の正体は、
「私」としか言いようのない絶対的な「私」に対して
「私」の外側から無理やり「山田太郎」を貼り付けている、
そしてそれによって絶対である「私」が見事に包み隠されていることである。
「山田太郎」は見事に「私」を包み込み、
それによって私は酷く呼吸がしづらくなり、
酸欠になりながらも吐き気に襲われている、
そんな気分である。
新たな出会いも多いこの季節。
吐き気をぐっと我慢しながらも、
「山田太郎です。」とスムーズに言える、
そんな人間になりたいような、
でも、このままでいいような。
変人の戯言です。
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