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その仮面が護るもの


その女性はセレブか。変質者か。


ある都市部での話。

私は所用である街に来ていた。

街行く人々の格好は、夏を感じる涼しげな服装に変わり、風が吹いた時の涼しさにアクセントを加えてくれる。


そんなことを思いながら歩いていると、少し遠くのシャネルのブランドショップから店員さんと、腕にシャネルの袋を提げた女性が出てきた。


しかし、ただの女性ではないことがすぐにわかった。


まず、店員さんが時間をかけて懇切丁寧なお見送りをしていること。店員さんが何回か頭をペコッと下げるのに合わせて件の女性もゆっくりと頭を下げる。顔は見えない。

入店してすぐに後ろからつきまとわれるようなブランドショップで買い物をしたくないタイプなこともあって、あいにく街中に堂々と構えている正規店での買い物の経験はない。そもそも、おいそれと手をつけられるような値段のものは置いていない場所だ。


「扱っているものが高級品なわけだし、こういう懇切丁寧なお見送りがついてくるのもあり得る話か」


自分を納得させるように心の中で言い聞かせたその時だ。彼女が入り口に背を向けて歩き出すと同時に、片手に持っていた冊子で顔の下半分を隠しだしたのだ。

その様子を見て、私は怪訝な表情を浮かべた。同時に、彼女に向けていた視線を少し強くした。


「なんだろう。気になるな . . .」


斜め後方。少し離れたところを歩いていた私は、駅に着くまでのわずかな間、前から来る通行人にも気を配りつつ、少し前を歩く彼女にも時折目を向けた。


ここで件の女性の特徴を書いてみる。


背中あたりまで伸びている、日に焼けて乾燥した茶髪。
白いふくらはぎをのぞかせる花柄のタイトスカート。
白のピンヒール。
少し大きい丸型のサングラス。
そして、今やエチケットとなったマスク。


サングラスとマスク。


. . . 


サングラスとマスクだ。


このご時世でなければ変質者と思われかねない出で立ち。今でこそマスクの違和感はいくらかやわらいだとはいえ、それでも人目を引くには十分すぎる組み合わせだ。


これだけでもかなり目立つのに、彼女は口元を手に持った冊子で覆い隠しながら歩いている。


そして、あるところで、彼女はわざわざ建物に向き合いながら薄いピンクの日傘を差し、また顔の下半分を冊子で隠しながら歩き出した。

すると今度は、日傘を目のあたりまで下げて顔の上半分まで隠しはじめたのだ。ここまでくると正面からも横からも顔を見ることはできないだろう。


ここまでする人はさすがに今まで見たことがない。明らかに過剰だ。


なにかを警戒している . . . ?

まさか、有名な人?


お忍びで来ているのだろうか。
外出しているところを見られたらまずいのだろうか。


歩き方を見ると、一歩一歩、綺麗にゆっくりと歩みを進めている。音を立てない、上品な歩き方だ。歩き方には内面が出る。「ゴッゴッ」と引きずるような、品のない音を立てて街を歩く女性との格の違いを、嫌味のない歩き方で示している。この所作を見て、これまでの特徴から、有名人の関係者またはセレブ説が私の中に浮かび上がった。


そして、駅が近付いてきたところで私はついに彼女を追い越した。結局、鉄壁の仮面で覆われている彼女の素顔を拝むことは叶わなかった。

私は駅に、そして彼女は百貨店へ、それぞれ歩を進めていった。


彼女はいったい、何者だったのだろうか。


駅まで歩いている間、物珍しさと興味本位で声をかけてみるのはどうかと遊び心が顔をのぞかせたが、少し考えて、やめておいた。


過剰なまでに対策を徹底していたということは、やはりお忍びで来ていたか、よほど人と関わり合いになりたくなかったのだろうと思う。仮に有名人であったとしてもひとりの人間。プライベートな時間を邪魔されたくないのは有名人も同じはず。

ということであれば、私が声を掛けなかった選択もまた、ひとつの優しさとなるだろうか。


あの仮面はいったい、どんな素顔を護っていたんだろう。


道端で見かけた、名前も顔も知らない誰かのことを、駅のホームで遠くを見つめるように考えていた。




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