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『普通』になれない疎外感


思えば、『普通』の側にいられなかったことが私の人生では多かったなと感じる。


学校生活でも『普通』になれなくて苦労した。転勤族で、せっかくできた貴重な友達とも早々に引き離されてきた。引っ越した先ではいじめにも遭ったし、不登校の時期も何度かあった。楽しく過ごせたところほどすぐに引っ越さなければならなくて、いじめに遭うなどの嫌な思い出しかないところほど長くいなければならなかった。親をどれだけ呪ったかわからない。


社会人になってからも『普通』にはなれなかった。

「◯◯がやりたい」と早くからやりたいことを見つけられて、長く会社勤めができて、「仕事が楽しい」という言葉を口にできて。そんな人間になれていたらそれなりに満たされていたのだろうかと、そういう人を見るたびに考える。


とかく社会は『普通』でない人たちに対しての当たりがキツいと感じる。多分、理解から遠い存在に見えるからなのかもしれない。


どこかネームバリューのある会社とか、訊いてすぐに仕事の内容をイメージできるような職種とか、わかりやすい普通を求める人が多い。そういう『普通』の範疇にいたがる人が多いのかもしれないなと感じる瞬間がこれまで何度もあった。

よくわからない仕事だとわかれば、「めんどくさい」と急に苦い表情になる人がいた。

会社ガチャ。同僚ガチャ。上司ガチャ。このどれかで『凶』を引いて、運悪く短期間での退職をしなければならなかった時は「根性がない」だの「社会人なんだから我慢してしがみつけよ」だのと、昔の価値観を押し付ける説教が始まった。

病気で仕事に就けていない時期には「うわ、仕事してないとかないわ。私はこんなに頑張ってるのに。社会人になったら仕事してて当たり前でしょ」と言いたげな軽蔑の目を向けてきた。

好きでそういう状態になっているわけではないのに、こうした軽蔑の目を向けられることが何度もあった。いつからか「お仕事なにされてるんですか」という質問をされるたびに体が強張るほどの警戒心を抱くようになってしまった。


人並みに学校生活を楽しんで、人並みに会社員生活を楽しんで、ということを私もしたかったけど、『普通』に馴染める人たちほど私のような人間を排除したがっていた。「私たちの居心地の良い空間を乱さないで」とばかりに私にキツく当たったり、無視を決め込んだり、仲間外れにしたり。


表向きはそうではなさそうに見えても、雰囲気がどこかぎこちないことが感じ取れて、「あぁ、この人は本当は私とは関わりたくないんだな」ということがわかった。


普通になりたくても環境がそれを許さなくて脱落せざるを得なかったこともたびたびあった。その後も『普通』ではない状況にいることを知ったら、『普通』の人間はそれはそれで軽蔑の目を向けてくる。いったいどうしろというのか。

後から「これがやってみたい」と思えたことでも、気が付いたらもう私には門が開かれていなかった、ということもある。

「あなたには紹介できる案件がありません」と新卒の時から最近まで門前払いを何度も喰らった転職エージェントもあった。

まるで、「お前は『普通』にはなれない人間なんだよ。こっちに来るんじゃねえよ」と言われているかのようだった。


最近休止したTwitterをはじめ、SNS(英語でいうソーシャルメディア)も、オンラインでありながらも学校や組織のような社会と同じだった。


世渡りの上手い人。
クラスで人気者になるような、際立つものを持っていて、見せ方の上手い人。
人付き合いの上手い人。
割り切るのが上手い人。


そういう『普通』の側から理解される人間や羨望の対象になれる人間が成功する。普通ではなさそうな人でも、うまく付き合える人はこのいずれかの要素を持っているものだ。

表向きは好意的に見えても、裏でなにを言っているかわからない。なにを考えているかわからない。そんな人間の闇を早くから知ってしまった人は、心のどこかで疑心暗鬼にならざるを得なくなる。『いいね』は本当に『いいね』なのかと、私が訝しんで見てしまうように。

そんなことは気にせず、コミュニケーションを純粋に楽しめたらどんなに楽だろう。ノイズに鈍感になれて、積極的に情報を取りに行けたらどんなに楽だろう。


人並みに学校生活を楽しんで。

人並みに友達に囲まれた楽しい時間を過ごせて。

人並みに充実した社会人生活を送れて。

人並みに幸せな家庭で生活できて。


そんな人並みの幸せでいいのに。必ずなにかが私を阻む。

これはなにかの罰なのだろうか。清算を求められている業(カルマ)なのだろうか。


普通ではないということは、その分『普通』には出せない何かを持っているということなのかもしれない。『普通』ではない側を経験したからこそわかる気持ちもあるし、その分人の気持ちを考えられるようにもなった。


それでも、人並みの幸せとはどんなものだったのか、『普通』の人生とはどんなものだったのか、一度経験してみたかった。

いや、私から見たら人並みの幸せのようでも、本人からしたら満たされずに燻っているなにかを抱えているかもしれない。一度欲が満たされればさらに渇く。欲に終わりはないものだ。


普通になれなかったからこそ得たものもあるけど、結局はないものねだりなのだろうか。

昔の夢から目が醒めて早朝にふと考えた、そんなとりとめのない話。


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