大切な人のためにお金を使う喜び
『与えよ、さらば与えられん』
いつだったか、ふと目にしたこの言葉がいまも私の心に刻まれている。
これまでも自分なりに意識してきたことではあったけど、最近は特に「誰かのためにお金を使うこと」を強く意識している。例のパンデミックの影響もあると思う。相手が私のことをどう思っているのかは置いておくとして、私が大切に思っている人たちに対しては、時間もお金も惜しまず使いたいという意識が今年になって強くなった。
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私はかれこれ5~6年ぐらい、行きつけのお店に通っている。このご時世でも常連さんたちが来てくれるようで満席になることも珍しくない。そのおかげで、ものすごく苦しいというわけではないらしいけど、それでも、私たち常連にとって、『帰れる場所』が同じところにあるかどうかは、生きる目的のひとつと言えるほどの意味を持つ。だからこそ、この大切な場所が少しでも長く残り続けられるように支えたい。その気持ちと共に、いまも時折顔を出しに行っている。
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ある職場で仲良くしていた女の子は、「〇〇さん、そのTシャツってどこで買ったんですか? ずっと気になってたんですよ~」と熱心に聞いてきてくれた。"このゲームといえばこのキャラ!"と真っ先に浮かぶであろうキャラクターのTシャツで、そのTシャツの子ども用サイズを探しているようだった。それを聞いて、仕事の後にすぐさま探しに行った。
何店舗かはしごもした。結局、同じTシャツの子ども用サイズは見つからなかったけど、同じキャラクターの別のTシャツなら子ども用サイズを幸運にも見つけることができた。さらに、彼女が言っていたサイズと合致する最後の一枚だった。「あ、これは逃したらまずいチャンスだ」と迷わずかごに入れた。
もう少し大きいサイズも1枚だけあったので、「お子さんがもう少し大きくなったらまた着られるだろうし、これも買おうか」と思って2枚とも買った。
「気に入るかわからないけど . . . でもこれを逃したら買えるチャンスがもうなくなるかもしれないし、それで後悔するぐらいなら、見て判断してもらおう」と一抹の不安と共に持っていくと、「あああああ!!かわいいいいい!!!」と声をあげて喜んでくれた。その満面の笑顔で喜んでいる様子を見て「探しに行ってよかった」と心がじんわりと温かくなった。
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こんな具合に、「大切な誰かのためにお金を使うこと」には、自分のためにお金を使う時以上の価値が秘められているように感じるのだ。
誰かのためにお金を使うことで、"お金では買えない"かけがえのないものを得た
他にもある。私にとって馴染みのあるコンテンツのひとつといえば、ゲーム配信。ことゲーム配信(あるいはアートなどのクリエイティブ配信)においてはYouTubeではなくTwitchのほうが馴染み深い。実はおおっぴらに話したことはないけど、私は別名義でゲーム配信者としての顔も持っている。いまは休んでいるので、正確には"持っていた"かもしれない。
そのゲーム配信つながりで知り合った世界各地の配信者(ストリーマー)友達の配信は、困窮してどん底にいた頃の私にとって、数少ない楽しみといえる時間だった。そして、どこの誰とも知らない私に偏見を持つことなく、オープンな姿勢でコミュニケーションを取ってくれた。私が立ち寄るたびに少しずつ仲も深まっていって、いつからか私の配信にも遊びにきてくれるようになっただけでなく、サブスクライブしてくれたことさえあった。
サブスクライブ (Subscribe)
ゲーム配信サイト『Twitch』で配信者をサポートする方法のひとつ。月額600円を支払うことで、『広告が再生されない』『配信者のチャンネルスタンプをチャット(コメント)で使える』『サブスクライバーバッジが名前の横に表示される』などの特典が得られる。サブスクとも呼ぶ。
「お金を使ってもらう必要はまったくないし、来てくれるだけでありがたい」と言ってもらえていたとはいっても、長いこと私は与えてもらうだけでなにも返せないでいることをいつも申し訳なく思っていた。
それからしばらく経って世界に瞬く間に拡がった、例のパンデミックの脅威。海外では日本とは比べ物にならない規模で苦しんでいる人たちがいる。しかも、海外は日本以上に取り締まりが厳しく、息苦しい生活を送っている人も多いに違いない。そんな苦しい状況ではあるけど、少しでも笑顔になってもらえるように、「今度は私の番だ」と心ばかりのサポートを贈ることにした。
そう、これまで滅多にサブスクライブできなかった私が、サブスクライブ回りをすることにしたのだ。
どんな反応を見せてくれるかなと楽しみにしながら配信を開く。
いつもなら、配信を開いたらあいさつのコメントをチャット欄に書くけど、今回はサプライズとして、いきなりサブスクライブしてビックリさせてやろうといたずら心が働いた。
ある女性配信者は、「〇〇がサブスクライブしました!」というアラート(配信画面上に出てくる通知)に気付くと、「Oh my god!〇〇!」と驚いた顔で口にした。その後に、再サブスクライブした際に書けるコメントを配信ソフトが読み上げた。
「サプラーイズ! おはようそしてお久しぶりです!(サブスクライバースタンプ) 元気そうで安心しましたよん (サブスクライバースタンプ) いつも配信ありがとう!」
※実際は英語で書いています。
このコメントの読み上げが終わると、『満面の笑み』という表現がピッタリ当てはまるぐらい顔をくしゃっとさせて、両手を口に当てながら「OH MY GOD. That's so sweet of you! Thank you so so much for the sub!! (もう、なんて優しいの!サブスク本当にありがとう!!)」と喜んでくれた。
まさに、プライスレスなリアクションだった。
この笑顔とリアクションを見た瞬間に、私も笑顔になったと同時に「あぁ、サブスクライブしてよかった」と心の底から感じることができた。
結果として、私がサブスクライブ回りに行った配信者全員がとても喜んでくれた。付き合いもそれなりに長いだけに、久しぶりに顔を出したことも相まって、いつも以上に喜んでくれたようだった。私も配信者の側を経験しているから、配信者側の苦労も喜びもよくわかる。だからこそ、気持ちを汲み取るようにしているし、できる限りその人の配信に貢献したいとも思っている。
利他の精神で、相手のためにお金を使うことで、私もお金では買えない価値を得た。大切な誰かのためにお金を使うことは、こんなにも幸せな気持ちで満たされることだったのかと、じんわりと心が温まる感覚がどこか懐かしい気持ちを呼び覚ましてくれた。
いつどうなるかわからないからこそ、普段会えない人に会いにいってきた
そして今日。2年ぐらい前まで私を担当してくれていた美容師さんに会いに行ってきた。
その美容師さんは、ご結婚をきっかけに、私の最寄り駅から電車で1時間ぐらいかかる場所に引っ越して、新たな土地でお店を立ち上げた。それからその美容師さんには会う事ができずにいたけど、ウイルスの脅威が拡がっていることと、対面での商売が苦境に立たされていることを受けて、会いにいけるうちに会いにいきたいと、片道1時間かけて行くことを決めた。
奇しくも、その場所は私が小さい頃に数年住んでいたことのある場所だった。大人になってからの再訪もかねて、小旅行のような気持ちで行ってきた。はっきりとは覚えていないけど、「あぁ、そういえばこんな感じだったかな」と、車窓からの景色がどこか懐かしく感じられた。
駅に降り立つと、「さあ着いた . . . どんな反応が待ってるんだろう。」と、久しぶりに会う不安もありながら、どこかワクワクした気持ちと共にお店へと近付いていった。
私も人間で、聖人ではないので、見返りをまったく期待していないといえば嘘になる。強いて言うなら、相手が喜んでいる姿を見たい。驚いている様子。顔をくしゃっとさせて喜んでいる様子。そういう様子を見ると私も自然と笑顔になるし、行動に起こしてよかったなと、日々生きていくなかで渇いていくオアシスがまた少し水で満たされる感覚が蘇る。
美容院のドアに近付くにつれて足が重くなる。しばらく会っていない人と会う時はいつも直前になって足取りが重くなる。
でも、今日は好奇心が勝ってドアの前までゆるやかに足が進む。ドアの前に立って顔を前に向けると . . .
その美容師さんは受付で待ってくれていた。
しかも、前に見た時より若返っているのではないかと目を疑った。
美容師さんも私の姿を確認すると、瞳孔を開きながら明るい表情を見せた。
「あ!やっぱり〇〇さんでしたか!!」
ドアを開けると鈴を鳴らしたような明るい声が私を出迎えてくれた。
「お久しぶりです」
それに対して私は、久しぶりに会えたことが嬉しくて、いつになく腹部から低く響く声を出した。
そこからは、積もる話をお互いに交えながら、前に通っていた時とほぼ同じ雰囲気で時間が進んでいった。「どうしてまた急に来てくださったんですか?」と訊かれた時には、『ずっと顔を出しに行けなかったから、落ち着いたこのタイミングで行ってみようと思い立ったこと』と、先に書いたように、このパンデミックの影響で心境に変化があったことを伝えた。
頻繁には来られないかもしれないけど、大切に思っている人たちのためにお金を使いたい。なにかしらの形で少しでも力になりたい。そのことをそのまま伝えると、美容師さんは目元をくしゃっとさせて喜んでくれた。
お互いの考え方や価値観が共鳴しているのか、前に感じていた居心地の良さは相変わらずで、しかも美容師さんがいまも元気で過ごしていることを自分の目で確かめることができた。それだけで足を運んでよかったと思える時間だった。
そして、帰り際に、いままで聞いたなかで一番力強いと感じた「ありがとうございました」という言葉を聞いた。
私もそれに続いて、「ありがとうございました」と口にした。
それは、なにに対しての「ありがとうございました」だったんだろうか。
時間を取ってくれたことに対してだろうか。
それとも、生きて会えたことに対してだろうか。
でも私は確かに美容師さんに対してそう感じていた。
「そろそろお別れの時間だよ」とエレベーターが開くと、名残惜しさを足元に重さとして感じながらも私は乗り込んだ。
「頻繁には来られないかもしれないけど、また来ます!それまでお元気で!」
社交辞令でもなんでもなく、私は心の底からそう思って、限られた数秒のなかで考えられる精いっぱいの言葉を伝えた。
私が「また」という言葉を使う時は、本当にそう思っている時だけ。
それが伝わるといいなと思いながら、私は閉じ始めるエレベーターのなかから手を振った。美容師さんもにこやかに手を振ってくれた。
エレベーターを出た時の私の気持ちは、とても晴れやかだった。
◇
片道1時間もかけて、そして、交通費をかけてまで美容院に行くことは、一見、無駄遣いのように見えるかもしれない。効率至上主義の人からしてみたら「バカじゃないの」と思うことだろう。
でも私は思う。自分にとって大切な人をサポートするために使うお金は決して無駄にはならないと。人間関係をより深めるために使うお金と、大切な関係をこれからも続けていくために使うお金は、心が温まる、幸せな気持ちをもたらしてくれる。そう考えると、欲しいものをただ買うよりもよっぽど生きたお金の使い方ではないだろうか。
奢ってもらって当たり前と思っていたり、クレクレ言ってくる人間は態度に出るし、そんな人に使う価値などまったくといっていいほどない。そんな人たちに対しても惜しまず振舞えと言うほど、私はお人好しではない。
でも、大切な誰かのために時間とお金を使うことは、自分のためにお金を使う時以上の価値をもたらしてくれる。
それこそが、本来『幸せ』と呼ばれるものなのかもしれない。
そして、私が誰かのために使ったお金が、その人の生活を支える力になる。そこからさらにその人がお金を使うと、別の誰かのもとへと流れて、別の誰かを支える力になっていく。
それが何度も"姿を変え形を変え"を繰り返しながら、私のもとに還ってくる。
こうして見えない力で支え合いながら、世の中は成り立っているんだろうな。
私は、帰りの電車のなかから移り行く景色を見ながら、そんなことを考えていた。
noteにも『サポート』という投げ銭の機能がある。少額から行えるそうだから、今後、私の琴線に触れる文章に出会ったら、心ばかりの「ありがとう」を届けるようにしてみようと思う。
※2020/08/09 追記
今回の記事を投稿した翌日に、はじめてのサポートをいただきました。ありがとうございます!
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