洗濯くん その5 思い上がる(思いあがられず)

ジャストDO IT やるだけだ。
それだけのことに洗濯くんは尻込みしていた。
自分にこの壁を越えられるのか。
不安は壁よりも高く聳える。
どうせダメならその時はその時なりに考えればいい。それよりもできるかどうかを試すことの方がこの場合は重要だ。そう思って自分の身をこの場に投じたのではなかったのか。頭ではそう理解していながらも、自分にとっての理解と理想がてれこになる。追いつかない。記憶に遡る。そこには自分はいない。どこかの風景。見たこともない草っ原。視点は高くなり鳥になったかのよう。

仕方がないので洗濯くんは考えることを放棄した。これは積極的放棄、と呼べるもので投げやりになったのではなく希望的観測を元にしたポジティブシンキングである。
そうして洗濯くんは台所に立ち焼きそばを作り始めた。料理は人の考えを断ち切ってくれる。動作に集中し、味を吟味し、タイミングを図る。そうこうしている間に頭を埋め尽くしていた事象に対して距離を取ることができるので洗濯くんは料理が好きだった。

足の下に何かが落ちていることに気がつく。拾い上げてみるとそれは人参だった。人参。いつの間に落ちていたのか。
おーい人参。君は切られて悲しいか、嬉しいか。
君は食べられたいか、食べられたくないのか。
洗濯くんはひとり暮らしなので時に物や天気や壁に向かって話をする。
それもまた、洗濯くんのリフレッシュ方法の一つ。

そんな時、天から、いや天井裏から声が降ってきた。

君によく似た存在が君の知らない街で道を歩いているぞ。
その街は山の麓にあり、街全体が緩やかな斜面に立っており、小さな起伏もそこここにある。なだらかな曲面に合わせるようにして、道も緩やかに変化していくことが多い。だから、道の先が遠くまで見渡せることはほとんどないく、道はどこかでカーブして尻すぼみに見えなくなっていく。そしてその道の向こうから来るバスやトラックや車、自転車や徒歩の人の姿は紙芝居師がページをゆっくりとめくるように少しづつその姿が見えるようになる。その光景が心地よくて、道の先を眺めているだけでも時間が流れていく。
その街で飲まれている飲み物が、旬のフルーツを混ぜ合わせてクラッシュさせたものを少しの期間だけ発酵させ気泡が発生したくらいのものを砂糖を溶かしたホットミルクに混ぜて飲むミドリと呼ばれる飲み物で、道ゆく人も手にそれをもって街歩きしている。ミドリは最初癖があるので飲めない人も多いが、大抵の場合一度飲んだ後にもう一度飲むと、その酸味よりもほのかな甘味に取り憑かれてすこぶる美味しく飲めるようになる。
だから君によく似た存在も、そのミドリが大好きだ。

僕もミドリが飲みたいと思った。
洗濯くんはダイニングに座りながらベランダの向こうの暮れゆく夕陽を眺めていた。
あの夕日は明日また登ってくる。

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