創作覚書_ゾーエーⅠ
僕の表現では、どうやらいつも"いない存在"について考えてしまうらしい。
でも前からそうだったというわけではおそらくない。
たぶん、自分で自分の作品を演出をするようになって、あらゆる事柄に線を引いてサイズを決定しなければならなくなった時に意識し始めたんだと思う。見える存在と見えなくなってしまう存在(視覚的にという意味ではなく認識として)、外側と内側。
作品作りに際して、そのやり方、劇世界の設定が方法論として決定してしまえば迷わなくなるのかもしれないけれど(それはそれで寂しいが)