創作覚書_あがたの森公園-Ⅰ
僕たちの劇団が拠点としている公園。
“公園を拠点としている”というところにいささか違和感がなくはないけれども、いわゆる建築物としての劇場も、その運営が行政、もしくは民間(営利/非営利)であったとしても一定の公共性が担保されており、そういった意味では劇場とはどの運営であっても、公共施設である(べきである)と言える。
それでいくと、劇団が公園を拠点としていてもおかしいことではない。事実、これまで公有地を劇場(何かが起こり得る場)として確保しておくことへのアクションが行われていた経緯があるし、その文脈を僕たちが意識して踏襲しているわけではないけれども、その系譜に引っかかり続けていることは一定の意義があるとも思っている。
ただ、本当の意味でその系譜に乗っかり続けるとしたら、それが有効な場所は松本市の中にも他にある。使用条件に制約はあるけれども、市街地の真ん中にある公園や空き地。その場所を使えるように交渉し続けることが、本当の意味での抵抗になりうるかもしれない。
でも僕たちはそれをしていない。
あがたの森公園はそことは少し離れた市街地のどん詰まりのところにあり、そこを劇団の拠点としている。
それはつまり、純粋な意味での抵抗だけを求めているわけではなく、また違った意味での場のあり方、そしてそこに居る方法を考えている、と言える。
“人が人前で何かをやってみせる”というただそれだけの行為が、これまで様々な様式を生み(美意識)、技術を生み(舞台機構)、業界を生み(エコシステム)、常識を生んでいった(文化)。それが土地ごとにまだらに展開されながら往還し止揚し続けている。
その長い長い歴史を紐解くことも面白いとして、その一方で、肌感覚として今ここで、本当に“いいもの”(芸術として優れているもの、運営が健康的なもの)がどこにあるのかを考えたい。
それは必ずしも”劇場”だけにあるわけではない。(もちろん“劇場”にもあるにはある。)
そう考えた時に、僕たちの劇団が始めた活動の初手として、健全だと感じ、尚且つそのことを基調として忘れたくないと思えることがある。それは非常にシンプルで、あがたの森公園が劇団の稽古場からほど近かったこと(車で5分)、そして、その場所だったら劇団員それぞれが平日仕事を終えた後でも夜7時には集まれて、夜8時から30分間の作品なら上演できると判断できたこと。この2点。
だから劇団は当初、夜8時からの30分間の作品の上演を活動の基本としていた。料金は投げ銭制。
これは一見して、いわゆる演劇業界から見ると、しょぼい。
けれどもどうだろう、それで健全に創作活動が継続できるのなら、それで全然満足だと思えた。
その感覚は今も変わらない。
今はテント公演まで活動を拡大し、流石にテント劇場で夜20時から30分間の作品の上演はしょぼすぎて労力に見合わないのでその線を取ることはできないが、地理的条件と生活バランスとの条件を合わせて創作を行うことは、苦しいようでいてそのこと自体がクリエイティブだし、“いいもの”であると思っている。
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