酢豚礼賛。
中華屋さんに行くのが、好きだ。
夏の暑い日に、ふらりと入った中華屋で思うさまビールを煽り、焼き立ての餃子にかぶりつくなんてのは、実に堪らない。あるいは、思い切り山椒の効いた麻婆豆腐で心地よい汗を流すのも一興であろう。
寒い時期なら、焼売や小籠包などの蒸し物や、あつあつの餡掛けがたまらない、おこげなんかでほっこりするも良し。
そして呑んだ帰りにすする、締めの湯麵の優しさと言ったらどうであろう。
干焼蝦仁、青椒肉絲、回鍋肉、八宝菜、木須肉。
思いつくだけでもこんな具合で、とにかく中華屋の「おしながき」には綺羅星の如く美味しそうなものが並ぶ。
だが、そんな「おしながき」の中には、誰もが知っている料理のはずなのに、さほど注目を浴びないメニューというか、「ついでにこれも頼んどくか」といった形でオーダーされるメニューというものも存在するのではないか。渋いバイプレイヤー的存在と言うべきか。
例えば、皮蛋豆腐。あるいは春巻などはその代表ではなかろうか。
仲間で中華を食べに行き、
「まずは、春巻だな。ついでに焼き餃子も行っとく?」
という会話は、あまり無いのではないか。
そしておそらく、逆の「ついでに春巻」は、大いに有り得るのだ。
私はここに、四番打者になれる者となれない者の境界を見る思いがする。
余談が長くなった。
酢豚のことである。
こうした中華の、バイプレイヤー的メニューの重鎮こそ、酢豚だろうと私は思う。
「酢豚」という料理の面妖さは、そもそもこの料理をどんなTPOに合わせて食べれば良いか、ということが明確になっていないところにあるような気がする。
もちろん、酢豚は白飯に合わせても、お酒に合わせてもそれなりに美味しい。いや、かなり美味しい。
しかし、焼き餃子のようにビールという鉄板の組み合わせや、麻婆豆腐のように、もう白飯の上にかけちゃって食べようというような、問答無用にテンションを上げるような破壊的な説得力があるわけでもない。
青椒肉絲やレバニラ炒めのように、スープ麺の上に乗って、別のメニューとして昇華されるような、そんな器用な芸当が出来るわけでもない。
「不器用ですから…」
かつての日本を代表する名俳優のような、そんな酢豚の呟きが聴こえるようではないか。
加えて、酢豚と言えば、あのパイナップルである。
酢豚に入っているパイナップルの存在を認めるか認めないかの議論は、もはや神学論争の域であると言えようが、主菜でありながら、果実を内包して自ら主菜であることを拒否しているかのような不条理さも、酢豚という料理の面妖さに拍車をかけていると言えるだろう。
だが、私はそんな酢豚が大好きだったりする。
メニューの片隅の暗がりで、ひっそりとオーダーを待つ、酢豚。
私はそこに、下積みで苦労しているのにヒット曲に恵まれないヴォーカリストや、ひたすらベンチでその時が来るのを待っている、代打要員となった往年のパワー・ヒッターと同じ匂いを感じるのである。
世の中には、もっと評価されてよいもの、脚光を浴びてよいものがあるはずだ。
だから、この記事では私が今までに食べた酢豚について、少しだけではあるけれど、皆さんにご紹介してみたいと思う。
「信濃路」(鶯谷)の「酢豚」
鶯谷の24時間営業の居酒屋、信濃路がたまに提供している酢豚。
ごろごろとした豚角、にんじん、じゃがいも。さしづめ「粗にして野だが卑ではない」といったところだが、これが地味に旨い。
大皿から小皿に取り分け、やや乱暴にチンして出される件の酢豚は、皿まで熱々なのだが、それもまたここの酢豚の「味」である。
中国茶房8(赤坂)の「広東パイナップル酢豚」
酢豚の「豚肉」は大体が角切り肉を使うのが定石だが、中華茶房8の酢豚は、おそらくはロース肉だろうか、大ぶりにスライスした豚肉を使っており、とても食べごたえのある一品。
こういう仕立ての酢豚は珍しいのではないか。
野菜類は少なめで、ここまで来ると「豚肉の甘酢あんかけ」といった風情だが、ドライなビールが進むこと間違いなしである。
「故郷味」(御徒町)の「パイナップル入り酢豚」
スタンダードな味付けの酢豚。タイトルどおり、パイナップル多めである。このお店のメニューは比較的辛めの味付けの料理がメインで、そこがたまらないのだが、そうした料理の合間に、この酢豚のパイナップルは良い「箸休め」となる。酢豚が箸休めとは豪胆な話だが、辛い料理の間に挟む酢豚がこんなに食を加速させるものだとは知らなんだ。
慈恵医大葛飾医療センターの、ある日の入院食
今年の初頭に、うっかり上腕骨を骨折してしまい、手術のため入院した折の食事。病院食にも、酢豚はしっかり登場する。
病床は、必ずしも美味しく食事ができるとは言い難い環境ではあるのだが、この日の酢豚は、久しぶりの「肉」メニューということもあって、私にとっては「値千金の逆転ホームラン」であった。
病院スタッフの皆さん、ごちそうさまでした。
栄養指導のおかげで、今では血糖値もすっかり正常です。
「第一亭」(横浜・日ノ出町)の「酢豚」
横浜の第一亭といえば「孤独のグルメ」で取り上げられたことで、全国的に知られるお店になったのだけれど、わざわざ第一亭で「酢豚」をオーダーする人はそんなにいないようだ。この酢豚を頼んだ時も、「ちょっと時間かかるからね、ごめんねー」って店員さんに言われたのを思い出す。
ビール片手に、かの有名な「チート炒め」の美味しさを再認識していたら、提供された「酢豚」。
この豚肉の迫力たるや、どうだろう。こんなに豚肉を美味しく食べさせる料理が、他にあったろうか。
脇を固める、シャキシャキのピーマン、玉ねぎ。ほんのり甘い人参。
「酢豚」としての理想形が、ここにある。
番外・「プレ酢豚」
「居酒屋関所」(鶯谷)の「豚竜田揚げ」
「プレ酢豚」というのは私の造語である。つまり、酢豚を作る過程での、豚肉の素揚げが終わった段階のもの、とでも言おうか。はっきり言えば、アレだけでも十分旨いものだ。かつての少年の日に、夕食に酢豚を作っている母の傍らで、「素揚げした豚肉」をつまみ食いしたことがあるのだが、とても美味しかった記憶がある。
鶯谷の名店、関所ではごくたまに「豚竜田揚げ」をおすすめで出してくれるのだが、これはまさに「プレ酢豚」の味わいそのものである。
余談だが、最近はコストの兼ね合いもあるのか、「酢鶏」などというメニューも幅を利かせているようだが、この料理における真打ちはやはり「豚肉」だろう。
「プレ酢豚」を食べてみると、「酢豚」の味わいの屋台骨を支えているのは、決して「甘酢あん」ではなく、豚肉そのものの味であることを、きっとご理解いただけるだろう。
* * *
本記事を読んでくださっている皆さんも、ご存知の中華屋さん、あるいはご近所の「町中華」のお店などで、もしメニューに「酢豚」があったなら、その時のお腹の空き具合と相談の上で、よかったら「酢豚」をオーダーしてみてもらえたら、と思う。
保証はできないが、きっと名バイプレイヤーたる「酢豚」は、久しぶりの檜舞台に武者震いしながら、あなたの舌とお腹を満足させてくれるだろう。「酢豚ウォッチャー」としての、切なる願いである(笑)
(了)