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ただ「書く」ということ。

こんにちは、こんばんは。

前回は25歳になったばかりの自分がほくほくした感じで前向きな文章を書き連ねていましたね。
たった4ヶ月前のことなのに既にもうなつかしいのはなぜ?

特に、書きたいことはないんです。
それでもなんで今こうしてパソコンをカタカタしているかっていうと(全然関係ないんだけどさ、私が使ってるこのMac Book、もう8年選手らしい、すごくない?大学生の頃は卒論とかプレミアでの動画編集とかでしょっちゅう酷使してはアチチ…ってなってたけど、直近3年間はほぼ触ってないもんな)、この本を読んだから。

どうにかこうにか、生きのびることができるらしい。
事務があれば。

「書きたいことがなくても書く」って書いてあった。
それを続けるんだと。

私はこの本を読んで、そもそも夢を描ける人っていいなと思ったのだ。
夢があれば、それを10年後の現実として捉えて、何をするかを事務にしていけば、それでいい、という内容だったんだけれども。

私も10年後の現実と称して夢を描いてみたが、未来の夫と子供(もしくは犬)と川の字で寝ること、ご飯食べた後にいちごとかりんごとか食べて団欒すること、たまに子供を寝かしつけた後に晩酌すること、くらいしか思いつかなかった。まだまだ解像度が低い。
でも、そういえばこのnoteとかを書いて友達に読んでもらったり、私の文章や言葉を褒めてくれたり、私が何かを言語化することで理解してくれる人がいたりすると、すんごく嬉しかったな〜ってことを思い出して、それならば「書く」ことくらいは続けてみようと思った。ので、こんなにまとまりが無い感じの文章を恥ずかしげもなく書いているのだ。

「内装がステキな家で、家族みんなでいちごとかたべたい。」

最近、3年ほど勤めていたところから結構大きな異動をして、精神的にかなり参っていた。というか、参っている自分にさらに参ることで、参りを加速させていた。参りのゲシュタルト崩壊。

これといった大きなきっかけや強すぎるパワーハラスメントは無いのだけれど、いろんなことを気にしすぎては気持ち悪くなり、ある日仕事に向かう電車の中で大泣きしていた。それもなんでなのか分からなかった。もう帰ろうかと思った。結局無理矢理出勤していたのだけれど、それからしょっちゅうトイレで立てなくなって、毎日1回は個室で泣いていた。

いつもはごくたまに泣くことがあっても、泣き止めば結構スッキリするしコロッと切り替えられたりもする、かなり機嫌をとりやすい人間なのに、どうしてもそれができなかった。

昨日は本当に本当に酷くて、15分くらい篭ってしまっていた。15時にこの状態じゃあ、いつものように20時、21時までは働けないな、と思い、大泣きしながら家に帰った。どうしても会社に行くのが怖くなってしまって、今日は休んでしまった。
きちんとした体調不良以外で当日に休むなんて、初めてだった。

体調が悪いといった時に帰りなよと言ってくれた先輩が、「俺も体調悪くなって休みたい、俺は男でずっと健康だから、女は恋愛でも仕事でも有利でいいな〜」って言ってたことに本当にびっくりしてしまった。特に真に受けて食らっているわけでもないんだけれど、今自分が辛いのって、周り人たちのの言うこと、やること、なすことからの小さなフラストレーションの連続から来ているんだろうな、と思った。

そんなこんなで、一日暇になった(?)私は、ちょうど前々日に信頼している人からこの面白そうな本を借りたことを思い出して、読んでみた。
そしたら、今自分ができることと未来の現実の両方を捉えて、一つ一つ実現できるように組み立てていけばいい、と書いてあったので、なんだか気が楽になった。


多分この著者が書きたいことと若干ずれてはいるのだけれど、今の私は「会社に行く」ことができないわけで、じゃあ「会社に行く」ことができた時点でそれは達成されるじゃないか。私は今社内で意味のわからないポジションにいて、毎日無理をしていて、取り繕って、自分が未熟100%なのにも関わらず人に物を教えて、それが苦しくて苦しくてどうしようもなかったけど、私はもう会社に行けない人間になってしまったんだから、あとは会社に行きさえすれば大丈夫になるんだな、となんとなく思った。
いい意味で自分への期待値を下げられた。会社に行けさえすればあとはどうなったっていい。

ちなみに著者が書いた別の本も気になって、読んでみた。1日に2冊本を読むのは久しぶりで気持ちがよかったね。

読みたい!と思った瞬間に読み始められるからKindleってやめられない。

著者は長年躁鬱を患っていて、じゃあそれに対して奥さんはどうしていたのか?が中心に書かれていた。私はこの本を読んで、著者の考えることやうつの時に思ってしまうことも、奥さんのスタンスも、どっちもわかるし、どっちもやってる時あるなあと思った。
私は躁鬱とかそういうことに対しての難しいことってよくわからないし、私がそうじゃないとは言い切れない(というか誰に対しても言い切れない)と思っているのだけれど、奥さんのいう「躁の時のあなたもうつの時のあなたもどっちも同じくしてあなた」という意見が、私がいつも思っていることとぴったりはまっていて、なんかちょっと嬉しくなった。世の中はなんでも二分しようとするけど、それに対してすごく違和感を覚えていたので。
でも同時に、自分自身に対してはそういうグレーゾーンをあたためるような接し方ができていないな、と感じた。なんでも最近は、人に対してできることが、自分自身に対してはできていなかった。

この間、「自分に甘い」と「自分に優しい」は違う、って言われた。そうなんだよなあ。

ちゃんと「自分に優しく」できる人間になりたいな。
なれるかな、なれないな、と思ってしまうけど、それも自分に優しくするという夢の解像度を高めて、未来の現実と捉えて、そのために取れる行動をとっていけばいいのだよね。

こんな感じでちょっとずつ、生きやすくなっていけるといいな〜。

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