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呪術廻戦最新261話 五条悟ファンの感想

呪術廻戦最新話を読んで、とても受け止められない気持ちである。
色々なアニメを見てきたが、五条悟程1人のキャラクターにハマりこんだのは初めてで、ショックというよりも感情の置きどころが分からない。

もう本人の復活がないというのがほぼ確定してしまったこと、乙骨の優しさと相当な覚悟の結果とはいえ羂索の術式で死体を操られていることはまずショックだ。乙骨が入った五条悟だと顔つき分かる描き分け、確かにすごいけれど、常に余裕の笑みを浮かべる先生がまた見たかった。

でも多分本当に感情の置きどころが分からなくなっているのは、空港回から続く悟の独白部分だと思う。賛否が分かれるけれど、私は空港のシーンも受けとめられていなかった。生死を彷徨う中で、高校生の「五条悟」に人格的には寄った会話だったのだとなんとか思うようにしていた。

それが今回の最新話で、あれは確かに大人の「五条悟」の本音でもあったことがダメ押しされた。
生徒を花に捉えるのは、傲慢とかではなく「守るべき者」という意味もあると思うが、隣に立って一緒に戦ってほしいと思っているのは、新宿での別れから傑一人だけだったんだなと。

「五条悟」と「五条先生」は別の人格だという説もあったと思うが、私は「五条悟→五条先生」に、傑が離反した苦しさや生前の傑の言葉を悟なりに考えてなんとか飲み込んで、ある意味成長したと考えていた。

懐玉玉折では、口の悪さや無敵感のようなものが大人になってからよりも全面に出ていたが、それでも「五条悟」が元々本質的に善だったことは端々から分かると思う。理子ちゃんの黒井さんに対する気持ちを汲んで取引現場に連れて行くことにするなど、本気で言っている人の話は聞く性格だった。
それは先生になってからも同じで、小学生の恵が「津美紀が幸せになる道を選びたい」というようなニュアンスを伝えたときも、悠仁を理屈抜きで「助けたい」と言ったときもすぐに行動に移していた。
そういう素直に人の言う事を受け止める性格と、強さを自負して実行する力があるところが好きだし、高校から大人にかけて、一見全く違う人格に見えても一貫性があると思っていた。

が、空港回と最新話を素直に読み取ると、「五条先生」は「五条悟」が無理してつくりあげていたキャラクターだったということになると思う。あのヘラヘラした雰囲気は、意図的だというのは分かっていたけれど、それは「最強の自分が生徒に近い存在になるため」だと思っていた。高校時代、覚醒をきっかけに強さを磨いて突出したことによって傑が離れていってしまったから、周りを引き離しすぎないようにそういうキャラを演じていたのかなと。
「もう誰も一人にしない」というセリフは自分に近い実力の仲間を育てて、自分も生徒たちも1人にならないようにという意味だと思っていた。 「俺1人が強くても駄目らしいよ」という気づきから教育を選んだのだと。

でも、最新話でその解釈が違ったことが分かってしまった。悟は自分が突出したことによって傑を引き離してしまったという認識ではなく、「傑に置いていかれた」と思っていた。傑は呪術界のことを本気で考えた結果、人間を捨てる覚悟で離反を選んだが、高校生のあの時点で、自分はそこまでの考えや覚悟がなかったという点で「置いていかれた」と感じたのかなと思う。
「君にならできるだろう、悟」という言葉をそのまま受け止めて、人間を捨てる位の覚悟で強くならないと傑には追いつけない、となってしまったのかもしれない。

傑と新宿で別れた時から、最強になって傑の後を追うことは決まってしまっていて、「誰も一人にしないこと」の中に悟自身はいれていなかった。「五条先生」のキャラは生徒たちと近い存在でいるためではなく、寧ろ自分は最強として一人で傑の後を追う、という本心を隠して一線を引いておくためだった。それがファンとしては悲しい。「俺が救えるのは他人に救われる準備があるやつだけだ」と言いながら、自分は救われる気はなかった。

悟が牽引してきた呪術界で、悠仁や乙骨はたしかに一緒に戦う仲間をつくれた訳だから、先生としての目標は達成できたのかもしれない。でも、悟自身は仲間の輪に入るつもりはなかったのが、なんでそうなってしまうのかという怒りというかやるせなさを感じる。

特に悠仁と乙骨は「最強」としてではなく人として悟を見てくれていたと思うし、乙骨は最新話の回想で実際に「一人で怪物になろうとするのはやめてください」と伝えていたのに、「それは無理な話だ」というのは、これまで何だかんだ人と向き合ってきた五条悟と違う気がしてしまう。
この上層部を殺しにいく悟と乙骨たち2年生のシーンは、「血なまぐさい現場を教え子に見せたくない」というセリフから思いやりも感じたけれど、やっぱり一人で最強をやっていく意思は誰にも変えられないのだなと思った。

傑は確かに悟にとってすごく大事な存在だったと思う。生まれた時から命を狙われながら、それでも子供時代の回想で一人で普通に街を歩いていたことからも強さ故に「一緒に戦ってくれる」や「助けられる」という経験は全くなかったのだと思う。高校で初めて出会った対等な人間が傑で、離反までの期間が本当に楽しくて、それが「若人から青春を取り上げるなんて誰にも許されていないんだよ」という言葉にも繋がると思う。
悟は生まれつき善だったとは思うが、強すぎる力や特殊な環境にそれが潰されなかったのは傑のお陰も大きいと思う。

でも、封印を解いたり今の悟を支えているのはやっぱり生きている悠仁や乙骨たちだから、最終的には傑以外にも心を開いてほしかったなと思う。
傑が果たせなかった「全うな方法での呪術界の改革」を生徒たちと果たすという、前向きな引きずり方ではなかったことが残念だ。

シンプルには、悟の、生まれ持った力や自分で親友を殺すことになった苦しい過去にも潰されない「心の強さ」みたいなものが好きだったから、納得いかないのだと思う。
でも現実的には人として弱い部分があって当たり前で、呪術廻戦は「全部乗り越えて前を向く」みたいな王道ではないのだと思う。作中キャラの「天井」として描かれた五条悟でもそうだった。ジャンプなのに、と思ってしまうが、そもそも主人公は悠仁だから悟はその役ではないのだろう。

呪術廻戦0の「愛ほど歪んだ呪いはないよ」というセリフからも、傑に囚われて本心では前を向けないことを「歪んでいる」という認識はしていた。でもやっぱり生徒がどんなに強くなっても対等ではないという意識はぬけなくて、どうしようもなかったのかなと思う。
そして、「一人は寂しいよ」とは言いつつも、傑が居ないことへの「寂しい」であって、生徒たちとの一線引いた関係には満足していてそれが当たり前だったのかもしれない。その点は本心では仲間を強く求めていた乙骨とは元の性格が違うのかなと思う。

乙骨はりかちゃんを事故で失ったときから「人外」だったこともあって、時々垣間見える悟の本心に気がついていたのかなと思う。
乙骨については、最新話の「五条先生がいなくなったら誰かが怪物にならなくちゃ」「誰もならないなら僕がなる」というセリフも今までの性格と一貫していて納得がいく。
腸相も、ショックではあったが「弟達のために戦い、渋谷での業を背負いながらも人として生きる」という信念を貫いたまま亡くなったと思う。

悟は亡くなる最後の最後で人格がぶれたように見えたのがしんどかった。でも、明確に心の内が書かれたことはなかったから、私の解釈が違っただけだけれど、、。
でもここまでの描き方だと、生徒たちと絶対に埋まらないほどの実力差があったかというと微妙、となってしまう気がする。強さ故の孤独だけでは、こんなにも傑に囚われ続けてしまう理由が説明できない。
最後がこうなるなら、宿儺を瀕死まで追い込む位の圧倒的強さと、一人で傑を追う決意をしてしまった心情をもっと詳細に描いてほしかったとは思う。

0.1%の可能性があるとすれば、空港で傑が悟を説得してくれて考えが変わることかと思う。置いていかれたと思っていた傑が空港で待っていてくれた時点で呪いが解けて、善悪の指針である傑が何か言ってくれれば理論的にはありえると思ったり。
でも乙骨と入れ替わって元の悟の脳が死んでいるなら魂を体に戻すのは無理か。それ以前に作者がそれを描く訳がない、、。

「最強」として、過去ではなく今を生きてほしかったというのは勝手だよなあと思いつつ。
悟の弱さやこじれてるところを受け入れられないのかもしれない。でもファンは降りたくないなあ、弱いところがあったから嫌いとはなれない、、。
たかが漫画の推しキャラにそこまで、と自分でも思うけれど考えがまとまらず放心状態なので書いてみた。


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