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                       高星七子
 
 そのギャラリーまでの道は遠かった。
T駅から地下鉄を乗り継いで新宿まで行き、そこからK王線でH町まで。さすがのネイティブ都民でも普段使わない駅、特に地下鉄の駅はわかりにくい。あっちの階段をおり、こっちへ曲がりとやっとついた駅から目的のH町はたったの一駅なのだ。

 知らない町までスマホの案内を頼りに行ったのは、珍しいギャラリー兼カフェで好きな画家の個展があると知らせがあったからだ。
 仮にB氏としておこう。彼女はマンガ家であり画家でもある。たまたま覗いた表参道の個展で作品を知ることになり、今ではB氏の在廊の時は話をするようになった。

 案内の葉書にはいつもの表参道や日本橋のギャラリーではなく渋谷方面の住宅街の住所があった。店のサイトを見てみると、運が良ければ19世紀末風の衣装がやたらと似合うお客が来るという。レースとフリルに包まれた人形のように美しい女性。コスプレではなくそれを普段着として生活している人物で職業は不明、だそうだ。

(ちょっと楽しそうじゃないか)

 自分でも物好きなことだとは思う。知らない町の妖しいギャラリーに猛暑の中行こうとする。まあ、仕方ない。幼い頃から妖しいものが好きなのだから。

 H町の駅を出ると、ものすごい熱と陽光が降り注いでいる。7月に入ったばかりなのに陽炎が立つほどの暑さだ。
この圧のある光。地球の大気の膜は大丈夫だろうか?

 変に実感のある滅びの予感のまま、熱い大気を泳いで訪ねたギャラリー兼カフェは奇妙な立地の三角地帯にあった。
中に入ると、空調の冷気の中で店主が珈琲を立てている。
「いらっしゃいませ。B先生のお客様で?」
「ええ、そうなんです」
 店主はひと通り展示の案内をするとカウンターの奥に消えた。
「どうぞ、ごゆっくり」

 古いレースのカーテン、おそらくレプリカだろう電気椅子の革の拘束ベルトが擦り切れている。芸が細かい。空調の効いた店内がまた、外界を遮断して別の次元へと転換したように感じさせる。
 店主の立てる珈琲が現実の人間の手によるもので、それを飲めば帰って来られるような気がしてくる。

 B氏の絵は相変わらず繊細な筆致と幻想的な示唆に満ちて
現代の預言を絵にしているようだった。荒い目の紙に水彩インクの発色が美しい。

なるほど、この店を選んだ意味がわかるような気がした。
無機質なギャラリーよりはこの、すでに廃刊になって久しい雑誌が山と積まれ床板の鳴る空間の方が「似合って」いる。

「なにか飲み物をお持ちしますか」

絵を見ていると、店主が声をかけてきた。

「じゃあ、アイスコーヒーをお願いします」

アイスコーヒーを待つ間、テーブルにあった芳名帳に名前を書く。思いついて名刺を芳名帳に挟んだ。新しくサロンをオープンしたのを知らせておこうと思ったのだ。

アイスコーヒーを持ってきた店主が名刺を見た。興味があるらしい。

「よろしかったら」

『占星術師 七海玲士』の名刺を店主に渡すと、しげしげと眺め遠慮がちに言った。

「あの、占星術で探し物はできるのですか」

「できますよ。失せ物ですか?」

「ええ、でもそれがいつ作られたのか、日にちや時間まではわかりません。占星術というのは時間や場所のデータが必要なのでしょう?」

「物の誕生日はわからないのが普通ですよ」

笑って答えると、店主は悲しそうに目を瞬いた。

「じゃあどうすれば……」

「誕生日が分からなくても、質問が生まれた時間で占う方法がありましてね。本気で探すと決められたら、ここにあるアドレスに連絡をください。質問を受け取って占う側が理解、占うことを決めた時にホロスコープを作ります」

 店主は占い師の言うことに納得したのかどうか。悩みながらカウンターへ戻ったが、おそらく連絡が来るだろう。あの悲しそうな顔は余程のことだ。

アイスコーヒーは氷で香りが飛んでいるかと思えばそうではなく、甘いモカの香りがする。

(現実よ、帰ってきたぞ)

店には1時間半ほどいただろうか。その間、人形と見紛うフリルとレースの天使は現れなかった。残念ではあったが、そんなものに出会ったらアイスコーヒーくらいでは現実に帰って来れないかもしれない。

店を出て角を曲がると、すっかり店の外観は見えなくなった。家々と植栽の木に隠れてしまうのだろう。
それほどに小さな店なのに、奇妙に人間がすっぽりおさまってしまう空間があるように感じられた。

(今戻ったら店が見つからない、なんてことはないよな)

あの店主は何を失くしたのだろう。
あまり物騒なものでないといいけれど。


終わり

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