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政治教育について思うこと

民主主義教育とか主権者教育とかいっぱいあるけど、それらをまとめて政治教育と呼ぶことにした。違ってたらごめん。

私が政治教育に力を入れている理由は二つ。
抱えている怒りや不満を暴力や犯罪という方法ではなく、正当な方法で解決してほしいと思ったから。
そして、そのプロセスを通じて、自己有用感を持って欲しいと思ったから。

私が政治に興味を持ったのは、17歳のとき。
同世代の友人の政治や社会問題に言及している姿がかっこいいと思った。

暴力や犯罪で訴えることは、一瞬の注目を浴びる。
だけど、その問題が本質的に解決することは少ない。

正当な方法で戦うことは、険しい道であるし、難しいことではあるけど、結局それが一番の近道だと思う。
かっこいいやり方で、かつ自分の手で解決していってほしい。

みんな何かしらの不満を抱えて生きていると思う。
色々な人の問題意識とそれを解決することの積み重ねが世の中を変え、世界を変える。

正直、音楽でもお笑いでも政治でもそれらのかけ合わせでも何でもいい。
まあせっかく大人には参政権があるから、それを生かしてもらえたらと思って政治教育をしている。

そして、そのプロセスを通じて、自己有用感を持って欲しい。
よく若者の「政治的無力感」が問題視されているが、正直政治に限った話ではないと思う。
人生に対して無力感を感じている子どもが多すぎる。

政治というと大きなもののように感じるかもしれない。
だけど、それは違うと思っていて、
自分の輪郭の外からは社会で、それを他者と利害調整して少しでも変えていくこと。その積み重ねだと思う。

例えば、校則に不満があるとか、全然車がこないのに横断歩道の信号がなかなか変わらないとか、そういった不満も立派な問題意識だと思う。
そこで校則を破るとか、信号を無視するといった手段をとるのではなくて、
正式な手順で校則を変えるだとか、行政に掛け合って押しボタン式信号に変えるだとか、そういう身の回りの問題を解決することも十分政治的だと思う。

正直、政治教育と言って安易に模擬選挙をするのには賛成ではない。
政治の手法が多数決だけだと思ってほしくない。
また、多くの場合、投票前後のことを教えることはない。
立候補者に話を聞きに行く、投票した人ではない人が当選したけど、その人に想いや困りごとを伝えに行く、当選後の政治家が仕事をしているか見守る。
投票だけじゃない、市民の仕事がたくさんある。
みんなにとって生きやすい社会を目指し続けるということの重要性を、しっかりと知ってほしい。

民主主義は与えられるものではなく、市民によって機能させるもの。
機能させたい集団に素養が備わっていないと民主主義を維持することはできない。
そんな民主主義社会を構成する市民をこれからも育てていきたい。

だから私は政治教育を通して、
暴力と犯罪以外の方法で社会に訴え、変えていくことができるやり方の一つとして、政治の可能性を伝えていきたいと思っている。

自分は若者だとは思うけど、
もうそんな圧倒的な若さは持っていない。
次の世代に伝えていく役目があると思う。

10/20(日)札幌の狸小路5丁目の空き地で民主主義ユースフェスティバルをやります。
クラウドファンディングも無事に集まり、いよいよ今週末です。
誰でも無料で来れるので、ぜひ遊びに来てね。


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