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たくさんのことを学んだはず。3月11日
次男が家に帰ってくるとすぐに
「ママ知ってる?大地震があった日なんだよ今日は。集合するところを決めておこう」
と言ってきました。
去年もこの話をしているのだけれど覚えていないのですねきっと。
また今年も家族で話します。
今日は3月11日です。
2011年の当時のことを思い出しました。
時間は何時だったかな…と私がいうと
長男が「14時46分だよ」と教えてくれました。
恵比寿の小さな雑居ビルの中にあるネイルサロンの中にいた私は(ネイリスト時代)
大きな揺れに慌ててスタッフとお客様と外に出ました。
もちろんお客様のネイルは途中のまま。
道路が波打ってて、亀裂が入り、あちこちから声が聞こえて。
いつもクールな同僚が涙を流していて打ちのめされていて、思わず腕を掴んだ。
お店に戻り、ぐちゃぐちゃな店内のままなんとかネイルを終わらせて
見送ったお客様が、なんとそのあとパン屋さんでパンを買って届けてくれて。
またいつ余震がくるかわからないのに、「あなたたちご飯は食べたの?」「これみんなで食べて、気をつけて帰るのよ」と。
あーなんて素敵な人なんだろう。
余震に怯えながらも予約の時間になったらそれでもお客様は来たりして(びっくりした)
なんとか勤務を終わらせ、電車が動かないので、何時間もかけて帰っている最中、コンビニの中ではケンカが起きたり、物の取り合いで見たくない場面をたくさん見て、もうすでに心はズタズタ。
しかもその当時、私は今の旦那さんと同棲をしていて、住んでいるアパートはオンボロ築50年、洗濯機は外にある〇〇荘。
「絶対にないじゃん、家」と思いながらただただ歩きました。
旦那さんは8時間かけて家に帰ってから、何度も電話が途切れながら迎えにきてくれていました。
あの当時、結婚するカップルとっても多かった。私の周りだけでしょうか?
支え合い、寄り添い乗り越えて、大変な時期を一緒に頑張ったから、でしょうか。
必死な顔でこちらに手を振ってくれた時、とても頼もしかったです。
そして、家はなぜか倒れていなかったのです。最強のオンボロ荘ですよ。
オンボロ荘に一緒に住んでいなかったらきっと結婚していないって私も旦那さんもそう言います。オンボロ荘に住んでいた時の思い出はまた別の機会に書きたいです。
私は何時に地震が起きたのか忘れていたけど、お兄ちゃんは覚えていて、次男はどこに集合するかなど具体的に決めようって(毎年話しているのだけど)。
こうやって忘れないように続いていくんだなって思いました。
子供たちに伝えたいことは
今は幸せに暮らせているけど、いつでも災害があるってことと
あとは助け合って支えあって生きていくこと。
自分さえ良ければいいでは、全てが崩れてしまう。
たくさんのことを学んだはず。
もう一度私も思いを馳せて考えてみます。
あれから子供を二人産んで、こうして子供とこんな話をするって思ってもなかったけど
できる限り自分の体験を子供に伝えてどう感じるか話をしようと思います。
nanako