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人との場所との関係性ーこだわりととらわれによる形成


<場所>は人間に先立って存在するものではなく、人間の関与を通して形成されるものである。
「この街にずっと住み続けるだろう。だからこの街と関わっていきたい」と「この街からはいつか離れるだろう。でもこの街と関わっていきたい」という2つの文章がある。どちらの文章にも「だから」「でも」という接続詞がある。「だから」と「でも」では愛着に対する質が違う。
「だから」の方には住み続けるから関わっていくという選択肢の限定からうまれる仕方なし感がある。「でも」にはこの街から離れるけれどもこの街と関わっていきたいというほかの選択肢を選ぶことのできる立場にあるけれどあえてここを選んでいるというこだわりがある。このこだわりは物理的・空間的な場所に対して生まれるものではんく、誰かとともに過ごしたり、誰かを想いながら通ったという人と<場所>との関係性から生まれる。
野口五郎の「私鉄沿線」という歌の歌詞にはある1つの街の駅の改札口、花屋、伝言板といった場所が登場する。この歌の主人公、彼にとって改札口は君という大切な人に早く来てほしい、会いたいという何かしらの感情を持ちながらいつも待った場所で、花が変わったと気づくほど思いを込めながら歩いた場所である。伝言板には君のことを自ら書いた場所で想いを直接記した場所でもある。
どの街にも改札口も花屋も伝言板も同じような場所にある。けれども彼が同じような街の同じような改札口で君を待たないだろうし、同じような花屋の前を通っても花の種類が変わったことにきづかない。同じような場所でも彼にとっての場所としてのピースではないからだ。
歌詞に「この街を越せないまま君の帰りを待ってます」とある。彼がもし何かしらの事情でこの街から離れてしまったとしてもこの街とかかわり続けるだろう。この街を心は越せないまま彼は君の帰りを待つ。
君がいなくならなければ改札口も花屋も伝言板も彼にとっての<場所>にならなかった。君を失ってあれらの<場所>が意味をおび形成された。人への思いが何もおもっていなかったただの空間だったところを<場所>に変えていく。
<場所>へのこだわりは大きくわけて2つある。1つめは野口五郎の私鉄沿線の彼のように君がいた街にこだわってしまう、とらわれと2つ目は「この街からはいつか離れるだろう、でもこの街とかかわっていきたい」という自発的にこだわっている、自由な選択の中からうまれたこだわりである。「だからこの街とかかわっていく」というのはあまりこだわりがなく自分の中の条件と一致する限られた選択肢からの決定であり、「でもこの街にかかわっていきたい」というのは選択してもしなくてもいい中で自分がこだわってあえてこの街を選択している。「私鉄沿線」の彼は君への思い、君との思いで、君という存在にこの街をこせないまま君を待ち続けている。
ある日突然花屋が空き地になっていたら「だから」の人は気づかないだろう。「でも」の人はもしかしたら気づくかもしれない。私鉄沿線の彼は空き地が花屋だったことに気づくだろう。
君がいた街に未練や慕情という感情が強く結びついている。
<場所>は人との関係性や感情、語りや唄いによってうまれる。その中でも葛藤やとらわれは人々の心に場所として強く残りがちである。強い感情があってそれから<場所>は形成される。

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