七々子

幸せとは参加すること

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最近の記事

私の身体を生きる

「私の身体を生きる」島本理央さんが書かれていたので読みました。 私が「私」の身体について書くなら、どういう切り口なのかなってちょっと考えた。性について書いている書き手の方が多かったけど、わたしなら…健康からみた体、容姿という〈からだ〉、性的なカラダ…どれが一番わたしのからだなんだろう。。 私はそんなに体の強くない両親から生まれ、その両親よりもさらに弱い体だった。お医者さんから歩くことができないままかもしれないと言われたり、中耳炎になったり、喘息もちだったり。ずっとずっと病

    • 自分を客観的に視るということ

      職場の信頼する人に人生相談をしたら「占い、わたしの分のを譲ってあげるからいかない?~の館とは違うホンモノだよ」と言われ藁にもすがる思いのわたしと、おもしろそうじゃないかというわたしがいたので予約をゆずってもらった。 その先生に生年月日と名前を事前に伝えて四柱推命シートを書いてもらい、それを初対面のときに渡される。それを読んでからスタート。 そのシートに書いていたものを一部掲載。 「不器用なところもあるが、きっちりものにしていく。努力家。すべての物事に争うことが嫌いで円満

      • 存在することは、変化すること

        学校の先生という職業は本当にブラックなのか、という記事でひとりの先生が書かれている言葉がとてもすてきだったので書かせて頂きます。 ーーー引用ーーーー 「私は、アンリ・ベルクソンの『存在することは変化すること』という言葉が好きです。どんな人間もみんな大なり小なりの差はあっても、変化を続けていると私は思います。だから、昨年、行動に問題があると言われていた子も、学習に問題があると言われていた子も、みんな、言われた時期から変化をしていると思うんです。 もちろん、よくない状態へと

        • プチルサンチマンと言説の自律

          恋における最初の願望…時間をとめたい ⇒他者への所有願望がない恋はない 所有…開かれた結びつき←尊敬の念 運命のにないあい 訪問支援にむかないひと ・自分のしていることの正しさを疑えないひと ・物事を前向きにしか考えられない人 △経験者。人は抜け出したばかりのあやまちに最も厳しい ⇒自己否定の未消化(=言語化されていない):言葉にする=対象化 アイデンティティ:自己が自己に語りきかせる物語 言説で「言葉は表面的、言葉にできないもののほうが不安」とあるがそれ

          交換の呪縛と錯角

          <交換の呪縛と錯覚> 2つの交換の混同―交換からなぜ不均衡や権力が生じるか。 交換が連帯を生む条件は?→不均衡の忘却 「お前のためにどれだけのことをしてやったか」 社会的交換の関係を維持するためには何が必要か? 恋の始まり=情熱(非経済的) 関係維持成立;コストの忘却 →できなければ恋の終わり 恋の成り立ち=気持ちの受け取り≠返礼じゃない 最大の裏切ろは受け取らないこと <闇>をめぐる人間と文化 愛は闇をもってくる(こともある) →恋は闇が絶対ある 「闇の中から闇を

          交換の呪縛と錯角

          お腹すいたあ、と言える女性はなぜモテるのか

          Twitterに「お腹すいたあ、と言える女性はモテる」とつぶやきがあった。リプ欄になぜですか?とかわかる、とかあってつぶやき主の答えは「なぜだかわかんないけど自分の周りのモテる女性はお腹すいたと言う」。 他の人の答えは「お腹すいた」⇒「じゃあごはんでもいく?」と流れを作ったあげれる人だから、とあってなるほどなと思った。 ちなみに私の答えは【自分をさらけ出すことができる人】だから。 お腹すいた、と言うことは無防備というか心を許していないとなかなか言えない人が多いのではない

          お腹すいたあ、と言える女性はなぜモテるのか

          人との場所との関係性ーこだわりととらわれによる形成

          <場所>は人間に先立って存在するものではなく、人間の関与を通して形成されるものである。 「この街にずっと住み続けるだろう。だからこの街と関わっていきたい」と「この街からはいつか離れるだろう。でもこの街と関わっていきたい」という2つの文章がある。どちらの文章にも「だから」「でも」という接続詞がある。「だから」と「でも」では愛着に対する質が違う。 「だから」の方には住み続けるから関わっていくという選択肢の限定からうまれる仕方なし感がある。「でも」にはこの街から離れるけれどもこの街

          人との場所との関係性ーこだわりととらわれによる形成

          〈故郷〉を語る―語りの場と〈故郷〉の誕生

          私を語るとき…私の存在が危機にあるとき 家族〃   …家族が崩れる方向に向かっているとき 自由…あらゆる規範から解放されたもの 「自由に生きたらいいよ」=「自由に生きねば」→規範 〈人の移動と近代〉 出郷…自分の意志でふるさとを出ること。自発的、明確な意思 離郷…自分の意志と関係なくふるさとを離れること。ドラマになりやすい(例:砂の器) この中間がこの講義で大切 出郷…①push項目:貧困(多子社会。長子相続性)    ②pull項目:就業機会、都市の魅力(大正期以降

          〈故郷〉を語る―語りの場と〈故郷〉の誕生

          地域という言葉にこめられたイメージ(表象)

          イメージはプラスかマイナスとどちらかの意味をもつ (例)高学歴は融通が利かない。 イメージの底をつかむ授業→個々の問題を追及するテストではない 人々の心に埋め込まれた都市とは?田舎とは? ある時代以降、場所が消えて居場所がまなざされるようになった。そのきっかけは何か。 (1)否定と不在に共通するワードはない。 否定:~ない。~ではない。 不在:~がない。 孤独という概念はつながっている者がない。 もともと人間がひとりだと考えているなら、上記の考えにはならない。 →他社

          地域という言葉にこめられたイメージ(表象)

          私というアイデンティティは長らく場所と関係があった。

          ◎修学旅行の場所を覚えていない→場所を覚えていない →しかし、まくらなげの記憶はある。 →関係性でしが場所を覚えていない 人々の心にある一定の場所がどのように作られるようになったのか。初めに場所があるのではない。 例)毎日通っていた所が空き地に。前にそこが何だったのか不明 →あなたの場所としてのピースではなかった ☆ある場所が場所として心に残るプロセス 故郷…暖かいものとして語られる 都市…冷たいものとして語られる この2つは結びついている。どちらか片方が存在するので

          私というアイデンティティは長らく場所と関係があった。

          曖昧なモノを具体化する指標

          曖昧なものをどうやって伝えよう。 歌詞なんかすごいなって思う。人のごちゃごちゃした感情をスッと万人に届けてしまうから。 卒業論文で調査をする際にフィールドワークしたものをどうやってデータ化するかが難しかった。見た風景をどうやって伝えるか。 例えばにぎわいを表すには、 シャッターの開閉・建物と建物の距離・イベントの有無(頻度)・人通り(単なる通過地点なのか、とどまっているか)・ビラ配り・客引き(無秩序ともとれる)・テナントの開閉・開店と閉店の時間・待ち合わせ・明るさ・ペ

          曖昧なモノを具体化する指標

          好きとは

          好きってなんだろう。 100人いたら100通りの答えがあると思う、私の好きは「幸も不幸も心動かされる」「こっちを見てほしい」な気がする。 ずっと好きだったあの人のことを「それは本当の好きじゃないよ」て同期に指摘されて、これが本当の好きじゃないなら世の中に本当の好きは存在しないだろうって心の中で思った経験がある。 同期はきっと私の好きを憧れだと思ったんだろうな。たしかに、憧れの気持ちもあった。でもそんな綺麗なものだけじゃない。もっとドロドロして、上下関係とか一切自分の中で

          好きとは

          年に一度好きでいてもいい日

          今日は一生分の好きを使いこんだ人の誕生日。好きになってお祝いするのは9回目 もうあの頃のようにキュンキュンとかドキドキとかしないし、というか会うことはもう一生ないだろう。そして、私もあの頃から時が動き出していろんな人と会って傷ついたり傷つけられたり、ときめいたりしている。 でもこの日は、年に一度のこの日はあの人のことを好きでいてもいい日にしようって決めた。忘れなきゃいけない、前へ進まなきゃいけないそう決心しているけどあの人の誕生日だけはいいかなって。 奥さん、お子さん、

          年に一度好きでいてもいい日

          恋愛における勝ち負け

          あなたは負けず嫌いですか? そして恋愛における勝ち負けを意識したことってありますか? 私は負けず嫌いじゃないどころかどこか諦めてるし平和主義だ。と思っている。 でも、負けず嫌いだったのかもしれない。 私が中々昔の恋を諦められないのは、その人に対して自分はこれだけしたのにそれ相応の見返りがないから負けを認めることになる、それが嫌だったのではないのかな、と。 自分が優位にたちたい、コントロールしたい。そんなの本当の恋なのかな。 負けてもいい、というか勝ち負けなんて意識

          恋愛における勝ち負け

          高校時代の私を投影している彼

          既読スルーの、最後に会ったあの日からもうすぐ5年。 「俺、嫌われてるから」 この台詞を聞いたとき、ん?と思った。 高校生のときの、私の台詞と同じだ、と。 好きって言ってほしくて、私のこと嫌いなんでしょとかそんなことを言っていた。嫌いなわけねーだろ、好きだよ、って言葉がほしくて。 だから何回も「嫌わられてますから」て言うのに違和感を感じた。その度に「なに言ってるの~」とか「好きだよ!」て。そう言った後の表情が高校生のときの先生に向ける私の顔そのものだった。 先生は、

          高校時代の私を投影している彼

          窮鼠はチーズの夢をみる-恋愛でじたばたもがくよりも

          「恋愛でじたばたもがくより、大切なことが人生にはいくらでもあるだろう」 この解釈がいまいち出来なくて、友人にきいてみた。 友人:結婚式の場面とか子どもがいる女性の描写が多いように、30歳って人生を最後まで共にする人を探したりする時期なんでしょうね。 恋愛でじたばたもがくのは10代、20代の話。うまい具合に現実を見れるようになってきて、理想に折り合いつけて結婚していく人たちが増えていくのが30代なんでしょうか。 多分大伴さんは、男女間の恋愛だったら言わなかっただろうなって

          窮鼠はチーズの夢をみる-恋愛でじたばたもがくよりも