(全3話)『推しのタオル』 第1話
■あらすじ
息子と2人で暮らす松田絵里(39)は7人組男性アイドルグループ・7LⅮKの大ファン。暴力的だった元夫と別れ、保育士の仕事をしながら息子の颯太(10)を育て、推し活を楽しむ日々を送っている。
望月あかり(31)は、夫の祐一(33)と共に絵里の近所に住んでいる。あかりは夫からⅮⅤを受けており、自宅アパートからは度々大きな物音、怒鳴り声が聞こえる。
絵里は、あかりのアパートに大好きな7LⅮKのライブタオルが干されていることに気づき、住んでいる人のことが気になり出す。
あかりは絵里や友人を頼り、シェルターへ避難することに成功する。そして、実家で資格の勉強をしながら自立を目指すことを決心する。
■登場人物
松田絵里(39)……シングルマザー、保育士
松田颯太(10)……絵里の息子
望月あかり(31)……絵里の家の近所に住む専業主婦
望月祐一(33)……あかりの夫
7LⅮK(20代)……7人組の男性アイドルグループ
加藤千佳(40)……杉の子保育園に子どもを通わせる保護者
加藤航大(5)……千佳の息子
田村博(43)……千佳の元夫
木本進(44)……絵里の元夫
吉岡美登里(59)……杉の子保育園の園長
宮田光代(72)……近所の住人
美咲(31)……あかりの友人
桃香(31)……あかりの友人
松田修(69)……絵里の父
松田路子(65)……絵里の母
北川悦子(60)……あかりの母
保育士/保育園に通う親子/通行人/小学生/祐一の同僚/弁護士
■第1話
〇絵里の自宅(築40年の古い一軒家)
〇同・居間~台所
ⅮⅤⅮをプレイヤーに入れる手。
リモコンで音量を上げる手。
画面には男性アイドルグループ・7LⅮKの歌う姿。
画面に向かってペンライトを振る松田絵里(39)の後ろ姿。
絵里は歌を口ずさんでいる。
冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注ぐ絵里の息子・颯太(10)。
颯太「また7LⅮK?」
ⅮⅤⅮに夢中の絵里、颯太の質問が聞こえていない。
颯太「(さきほどより大きな声で)ま・た!」
絵里「え?」
絵里、ようやく振り向く。
颯太「(呆れて)また7LⅮK? 好きだねぇ」
絵里「好きだよぉ。一緒にどう?」
絵里、颯太にペンライトを差し出す。
颯太、受け取らない。
颯太「年考えればいいのに。上にいるから」
絵里「はーい」
絵里、再び画面に向かってペンライトを振る。
颯太は階段を上がり自室へ。
〇望月の自宅・外観(新しいアパート)
望月の自宅アパートは、絵里の自宅の斜め向かいにある。
ガシャンと皿の割れる音。飛び散った皿の破片。
荒れた居間。
床にへたり込む望月あかり(31)。
仁王立ちで泣いているあかりの夫・望月祐一(33)。
祐一「俺が、俺が、どんだけ……」
祐一、テーブルの上のリモコンを床に投げつける。
祐一「我慢してると思ってんだよ」
祐一は泣きながら怒鳴っている。
あかり、祐一を刺激しないよう下を向いている。
祐一「何とか言えよ」
激高する祐一、地団駄を踏む。
祐一が落ち着くのをひたすら待つあかり。
〇絵里の自宅・居間
暗いテレビ画面。ライブⅮⅤⅮが終わったところ。
絵里「はー最高だった」
ドンと大きな物音。
絵里「ん? 地震?」
絵里、部屋を見渡すも家具や室内灯の紐は揺れていない。
絵里、窓を開ける。
望月の自宅。
絵里「……? あそこから?」
颯太(声)「お母さん、あのさー」
絵里「何? 今行くー」
絵里、窓を閉める。
〇同・玄関(朝)
颯太、ランドセルを背負い、靴を履く。
絵里「いってらっしゃい」
颯太「いってきます」
玄関の扉が閉まる。
絵里「さ、私も仕事に行きますか」
絵里、保育園で着るエプロンをリュックに入れ、家を出る。
斜め向かいにある望月の自宅アパートを見る絵里。
望月の部屋のベランダ。袋いっぱいに入ったアルコールの缶。
〇杉の子保育園・年長の教室(朝)
エプロン姿の絵里、他の保育士たち。
数組の保護者が子どもを連れて登園する。
絵里「(元気に)おはよう」
保護者「おはようございます」
子ども「えりせんせい、おはよう」
加藤千佳(40)、息子の航大(5)を連れて登園。
絵里「お! 航大くん、おはよう」
航大「(下を向いて)おはよう」
航大には笑顔がない。
千佳「(笑顔で)おはようございます」
千佳、航大とは対照的に笑顔。
絵里「加藤さん、何かいいことあったんですか?」
千佳、周囲に人がいないことを確認し、
千佳「(声を潜めて)松田先生、少しお時間ありますか?」
絵里「……。はい。少々お待ちください」
絵里、航大を入室させ、他の保育士に託す。
〇同・面談室(朝)
千佳と対面で座る絵里と園長の吉岡美登里(59)。
千佳「実は……、離婚が成立しまして……」
絵里「離婚……」
千佳「(満面の笑みで)やっとです」
千佳はわざと明るく振る舞っている。
絵里「……。え?」
千佳「やっとあのモラハラ男と別れたんですよ! はー、長かった。私、頑張りました」
絵里「モ、モラハラ?」
千佳「はい。もう、酷かったんですよ。航大の見ていないところで馬鹿女だの、飯が不味いだのって」
絵里「そんなことに……」
千佳「暴力もたまにあって、いっっっつも見えないところに上手にあざをつくるの。でも、」
絵里「――」
吉岡「――」
千佳「でも、それももう終わり。よく頑張った」
千佳、笑っているが目には薄っすら涙がうかんでいる。
千佳「それで園長先生、万が一、元夫が航大を迎えに来たら、絶対に渡さないでください。あいつのことだから、友だちを使ってくるかも。とにかく私以外に航大を引き渡さないでください」
吉岡「もちろんです。この件は全職員で共有して航大くんのこと、それからお母さんのことも必ず守ります」
千佳「ありがとうございます」
千佳、頭を下げる。
絵里「また何か心配なことがありましたら、いつでも仰ってください」
千佳、一礼し面談室から去る。
千佳の姿が見えなくなったところで、
吉岡「航大くんのお父さん、にこやかで優しそうだったけどねぇ。分かンないもんね」
絵里「――」
下世話な吉岡。吉岡の発言に嫌悪感を抱く絵里。
吉岡「加藤さんのことは、お昼寝の時の会議で共有しますから」
吉岡、面談室から出る。
絵里、誰もいない面談室を見つめ、小さくため息をつく。
〇同・更衣室(夕)
絵里、退勤するところ。
保育士①「松田先生、お疲れ様です」
絵里「お疲れ様です」
〇同・外(夕)
絵里、退勤して保育園を出たところ。
絵里「あ、そうだ」
絵里、立ち止まってスマートフォンを見る。
絵里「(切実に)お願い、お願い、お願い」
メールを開く。
メール画面は「【チケット】抽選結果のご案内」の文字。
ゆっくり画面をスクロールする絵里の指。
画面には「チケットをご用意いたしました」の文字。
絵里「(歓喜)きゃあああー。会える! 会える!」
絵里、走り出す。
すれ違う人は絵里の姿を不思議そうに見る。
絵里「ついに、7LⅮKに会えるのね!」
下り坂を全力疾走する絵里の姿。
〇絵里の自宅・外(夕)
絵里、鍵を開ける。
〇同・玄関~居間(夕)
絵里は急いで靴を脱ぎ、居間へ向かう。
颯太、居間で宿題をしている。
颯太「あ、おかえ――」
絵里「(かぶせて)会える! ついに会えるのよ!」
颯太「え?」
絵里「7LⅮKよ! ライブが当たったの!」
絵里、鼻歌を歌いながら踊り出す。
颯太「ちょ、落ち着きなよ。まず手を洗ったら?」
絵里、少し冷静になり、手を洗いに行く。戻ってくるなりすぐさま、
絵里「というわけで、ついに推しと会えるのよ」
颯太「どういうわけ? 何がなんだか」
絵里「7LⅮKのライブが当たったの!」
颯太「……それ、『会う』って言うの?」
絵里「ファンの間では、ライブに行くこと、配信ライブをリアタイすることを『会う』って言うの」
颯太「リア? え?」
絵里「リ・ア・タ・イ! リアルタイムで見ること。颯太って若者らしくないんだから」
颯太「悪かったね。で、いつなの?」
絵里「10月20日。悪いけどその日は――」
颯太「お。ちょうどいいじゃん」
絵里「ちょうどいい?」
颯太「だってホラ」
颯太、プリントを絵里に渡す。
絵里「宿泊学習」
颯太「そ」
絵里「やったー! これって運命?」
颯太「(呆れて)息子とアイドル、どっちが大切なんだか」
絵里「(満面の笑みで)どっちもよ」
颯太、照れているものの、絵里に悟られまいとしている。
望月の自宅アパートから男性の怒鳴り声。
祐一(声)「てめぇは――」
絵里の顔がこわばる。
颯太「どうしたの?」
絵里、小さく震える。
颯太「え? 何? 大丈夫?」
絵里は颯太の問いかけに答えることができない。
颯太、慌てて7LⅮKのⅮⅤⅮを再生する。
画面から聞こえる明るい音楽。
絵里「はー生き返った。颯太、ありがとう」
颯太「うん。でも、どうしたの?」
絵里「ちょっと嫌なこと……昔のこと思い出しちゃって」
絵里、少し窓を開け、恐る恐る望月のアパートを見る。
絵里「(怪訝そうに)またあそこ?」
アパートの窓際に男性の人影。
絵里、急いで窓を閉める。
〇同・居間(朝)
朝ごはんを食べている颯太。
絵里は仕事へ向かうところ。
絵里「じゃあ、早番だから。いってくるね」
颯太、口を動かしながら、
颯太「ふぁい(はい)」
絵里、玄関へ行く。
絵里(声)「ちゃんと鍵かけてから出てねー」
ドアの閉まる音。
〇杉の子保育園・事務室(朝)
事務室の掃除をしている絵里。
電話の音。
絵里「(明るく)はい。杉の子保育園です」
電話の主は千佳の元夫・田村博(43)。
田村(声)「あのー、お尋ねしたいんですが」
絵里「はい?」
田村(声)「そちらに加藤航大が通ってますよね?」
絵里の顔がこわばる。
田村(声)「大体いつも何時頃、千佳、いや、お母さんが迎えに行っていますか? あ、いや、私は航大の父でして――」
絵里「……」
田村(声)「もしもし?」
絵里「(震えつつも気丈に)申し訳ございませんが、そういったことには一切お答えできません」
田村(声)、威圧的なため息をつく。
田村(声)「ああそうかよ。こっちは父親なのによ」
電話がガシャン!と切れる。
受話器を見つめる絵里。身体が震えている。
絵里「な、な――(なんなの)」
事務室の扉が開き、吉岡が入室する。
吉岡「おはよう」
受話器を持ったまま立ちつくす絵里。
吉岡「松田先生? どうしたの?」
絵里「園長先生、実は――」
事務室の椅子に座る絵里と吉岡。
吉岡「――そう。そんなことが」
絵里、大きく三度頷く。
吉岡「朝から大変だったわね。この件は早速朝の打ち合わせで周知しましょう。航大くんは松田先生のクラスだったわよね? 航大くんのことも、それからお母さんのことも注意して見ててあげて」
絵里「(力強く)はい」
絵里、事務室から出る。
吉岡、何も言わず絵里の後ろ姿を見つめる。
〇同・園庭
鬼ごっこをする絵里と子どもたち。
砂場で遊ぶ子どもたち。その中に航大の姿。
〇同・更衣室(夕)
絵里(声)「お先失礼しまーす」
〇望月の自宅の数メートル前(夕)
歩いている絵里。
絵里「あ」
望月の自宅アパートのベランダ。タオルが干してある。
絵里「(嫌そうに)あそこか……」
足早に通り過ぎようとする絵里。タオルが目に入る。
絵里「え? これって」
タオルには7LⅮKのロゴ。
絵里「(嬉しそうに)え! 7LⅮK初のドームツアーのタオルじゃない。えー、行ったのかな。いいなぁ」
部屋からあかりの手が伸びて、タオルを素早く取る。
少しだけ見えるあかりの顔。暗い表情。
勢いよく窓を閉めるあかり。
絵里「何よ、感じ悪いわね」
アパートから皿の割れる音。
あかり(声)「もう止めて、止めてください」
絵里、恐怖で走り出す。
〇絵里の自宅・玄関(夕)
息をきらせて帰宅した絵里。急いで鍵を閉め、チェーンをかける。
絵里、靴も脱がずにその場に座り込む。
〇(回想)絵里の元夫の自宅・居間
壁に投げつけられるテレビのリモコン。
激高している絵里の元夫・木本進(44)。
進により正座させられている絵里。
絵里「すみませんでした」
進「何もできないから、俺がこうして教えてやってんだろうが」
絵里「はい」
進「じゃあ何で言った通りにできねぇんだよ」
絵里「すみません」
進「『申し訳ございません』だろうが」
絵里「申し訳ございません」
物が散らばった床。
正座して下を向く絵里。
(回想終わり)
〇絵里の自宅・玄関(夕)
恐怖で絵里の息が荒い。
ピンポン。インターフォンの音。
絵里、恐る恐るドアアイを覗く。
近所に住む宮田光代(72)の姿。
絵里は安堵し、ドアを開ける。
絵里「はい。あ、こんにちは」
宮田「松田さん、ゴミ当番のことなんだけどさぁ」
いきなり用件を話し出す光代。箒と塵取りを持っている。
絵里「当番ですか?」
宮田「そ。あそこの一階に住んでる人」
宮田、望月のアパートを指さす。
宮田「いつ行っても誰も出ないから、清掃当番が回せないのよ。室内から声は聞こえるンだけどね。居留守使ってンのよ。居・留・守。ゴミ捨ててるくせに」
宮田、憤っている。
絵里「はぁ」
宮田「松田さん、悪いんだけど、夜にでもあの家に回してくれない? 年寄りは早く寝ちゃうのよ」
絵里「……分かりました」
宮田「そ? よろしくね」
光代、絵里に箒と塵取を渡して去る。
厄介ごとを絵里に押し付けすことができ、清々としている。
絵里、望月のアパートを見てから扉を閉める。
ドアに寄りかかり、ため息をつく。
〇同・居間(夜)
時計の針が7時をさしている。
食卓にはご飯、お味噌汁、コロッケ、サラダ。
絵里と颯太、晩御飯を食べている。
絵里、急に思い出して、
絵里「あ」
颯太「どうしたの?」
絵里「ゴミ当番の箒と塵取り回さないと」
颯太「え? 今?」
絵里「そう。向かいのアパートの人なんだけど、昼間は出てこないんだって。だから夜に回してって」
絵里、急いで食べて食器を片付ける。
絵里「ごめん。ちょっと出てくるわ」
颯太「(食べながら)ふぁい」
絵里「すぐだから」
〇望月の自宅・外
インターフォンを鳴らす絵里。
誰も返事をしない。
もう一度インターフォンを鳴らす絵里。
やはり誰も返事をしない。
絵里「やっぱ駄目か」
再度インターフォンを鳴らす絵里。
絵里、帰ろうとする。
室内から物音。
絵里「?」
ドアが小さく開く。
あかり「……はい」
出てきたのはあかり。髪がボサボサで下を向いている。
絵里「――」
あかり「あの、何か?」
絵里「あ、ああ。あの……掃除当番。この町内でゴミ収集所を順番で清掃してるの。次が、その、えっと」
絵里、表札であかりの苗字を確認しようとするも表札が出ていない。
あかり「望月です」
絵里「あ、そうそう、次が望月さんの番なの」
絵里、あかりに箒と塵取りを渡す。
あかり「(小さく)分かりました」
絵里「あ、じゃあ、よろ――」
絵里が話し終える前にあかりは扉を閉める。
絵里、短くため息。
〇ゴミ収集所・外(朝)
颯太、ランドセルを背負い歩いている。
絵里が後ろから、
絵里「颯太! これ、水筒!」
絵里、水筒を持って颯太を追いかける。
颯太「あ」
絵里「あーよかった。ギリギリセーフ」
颯太、水筒を受け取る。
絵里「(元気に)いってらっしゃい」
颯太「(恥ずかしそうに)いってきます」
家に戻ろうとする絵里。
あかりが箒で散らばったゴミを集めている。
絵里「あ」
あかり、絵里に会釈する。
大きく凹んだ塵取り。
あかりの袖から見える青あざ。
絵里、固まる。
あかり、絵里の視線を感じて、
あかり「あの、何か?」
絵里「あ、いや何でも……」
絵里、家へ戻ろうとゴミ収集所を去る。
途中で立ち止まり、ゴミ収集所へ戻る。
絵里「あの」
あかり「はい?」
絵里「あの、その、何ていうか……。ⅮⅤとか受けてませんか?」
あかり「え……」
絵里「勘違いだったら、ごめんなさい。たまにホラ、大きな音とか聞こえてて、あと、その塵取り凹んでるし、その腕のあざだって。もしかして、暴力、受けてませんか?」
あかり、固まる。
あかり「あ、あの、今日の清掃は終わりましたので」
あかり、箒と塵取りを手に持って、
あかり「失礼します」
あかり、足早に去り、家に入る。
ゴミ収集所に絵里が一人で立っている。
絵里、きまりが悪そうに頭を掻く。
〇望月の自宅・内(朝)
あかり、息をきらしている。
あかり、スマートフォンで「ⅮⅤ」と検索。
あかり「(呟く)違うよね? 違うよね?」
〇カフェ・内
席にはあかり、あかりの友人・美咲(31)と桃香(31)の姿。
笑顔の美咲と桃香。
美咲「久しぶりじゃ~ん」
桃香「ホント、ホント」
あかり「なかなか都合つけられなくてごめんね。仕事はどう?」
美咲「もう大変。人手が足りなくて残業ばっかり」
桃香「看護師さんって大変よねぇ」
美咲「桃香んとこは?」
桃香「うちも大変だよぉ。ホラ、外国からのお客さんが戻ってきてるから、もうバタバタ!」
あかり「ホテルだもんね。大変そうだよね」
美咲「そういうあかりはどうなの? 新婚生活、楽しい?」
美咲と桃香、笑顔。
あかり、たじろく。
あかり「あ、うん」
美咲「旦那さん、大企業だもんね。羨ましい」
桃香「大企業勤務で優しくて、イケメンで――」
美咲「いいなー」
あかり「そう、かな?」
美咲「そうよ」
あかり、コーヒーを飲む。
カップを持つ手が美咲と桃香に気づかれない程小さく震える。
あかり「あ、あのさ」
桃香「ん?」
あかり「結婚前はすごく優しかったんだけど、結婚後に豹変する人ってどう思う?」
桃香「え? それって、旦那さんのこと?」
あかり「いやいやいや……。祐一じゃなくて、友だち。近所の友だちの話」
美咲「豹変って? どう変わったの?」
あかり「家事を全くしなかったり、いつも『馬鹿』とか『飯が不味い』と言われたり。あと……お皿を投げつけられたり、物を壊されたり、かな」
美咲「はぁ!? あり得なくない?」
桃香「それは間違いなくⅮⅤだね」
美咲「友だちに言ってあげた方がいいよ。『別れな』って」
あかり「(小さく)別れ……」
美咲「え? 何て?」
あかり「あ、ううん。言っとく」
あかり、心ここにあらずな様子でケーキにフォークを入れる。
〇カフェ・外
美咲、手を振りながら、
美咲「じゃあ、またね! また会おうね」
桃香「うん!」
あかり「また連絡する」
美咲「あかり、今度会う時は新しい家族がいるんじゃない?」
あかり「どう……かな? またね」
あかり、ひきつった笑顔で手を振る。
桃香、あかりを心配そうに見る。
桃香「あかり、電車?」
あかり「そうだよ」
桃香「乗っていきなよ。話すこともあるし」
あかり「話すこと?」
〇カフェ・駐車場
桃香の車に乗り込むあかり。
桃香「あかりの家って新しくできたスーパーの近くだよね?」
あかり「うん」
桃香、エンジンをかける。車が動き出す。
〇車内
桃香「さっきの話」
あかり「さっきの?」
桃香「ⅮⅤの」
あかり「(たじろいで)ああ、うん」
車が赤信号で止まる。
桃香「あかり、ⅮⅤを受けてるんじゃないの?」
あかり「え?」
青信号になり、車が動き出す。
桃香「もしそうなら言ってよ」
あかり「いやいやいや、私じゃないよ。祐一さんとはラブラブだよ~」
桃香「そう? ならいいけど」
あかり「この間も映画デートしてきたし。毎日楽しいよ~」
桃香「……」
あかり「あ、あそこのスーパーで降ろして」
桃香「分かった」
〇スーパー・駐車場
あかり「今日はありがとう」
桃香「こちらこそ。ねぇ、あかり、何か――」
あかり「(遮るように)あ、今日はサラダ油の特売日だ! 早く行かなきゃ! じゃあね、桃香。ありがとう」
あかり、桃香に手を振って店内に入る。
桃香、あかりの後ろ姿を見つめる。
〇望月の自宅・居間(夕)
あかり、スマートフォンで電話をかける。
電話の音。
〇あかりの実家・台所(夕)
キャベツを切っているあかりの母・北川悦子(60)の後ろ姿。
スマートフォンの着信音が鳴る。
悦子「あ、電話」
悦子、タオルで手を拭き、電話を取る。
悦子「(明るく)ああ、あかり。久しぶり」
〇望月の自宅・居間(夕)
あかり「あ、お母さん。久しぶり。元気?」
悦子(声)「元気よぉ。それより、電話くれるなんて珍しいじゃない。何かあった?」
あかり「あ、うん。祐一のことなんだけど――」
〇あかりの実家・台所(夕)
悦子「あぁ、祐一さん! この間、私に美味しい焼き菓子を送ってくれたの。なんでも近所にウィーン菓子の専門店があるんだって? 美味しかったぁ。パート先の人にも少しお裾分けしたの」
〇望月の自宅・居間(夕)
驚くあかり。
あかり「え、祐一が?」
悦子(声)「そうよぉ。ヤダ、知らなかったの? お父さんが亡くなってから、気を遣って色々送ってくれるのよぉ。あんなに優しくて良い人いないわ」
あかり、顔がこわばる。
あかり「そ、そうだよね。また何か送るよ。何か欲しい物ある?」
悦子(声)「無理しなくていいの。あ、それで用件は何だっけ?」
あかり「あ、いや……。焼き菓子届いたかなって。その確認」
悦子(声)「そうだったの。連絡しなくてごめんねぇ」
あかり「いいよ。じゃあ、またね」
悦子(声)「はぁい。たまには祐一さんと遊びにおいで」
あかり、電話を切る。
〇あかりの実家・台所(夕)
悦子、スマートフォンを置き、再びキャベツを切る。
キャベツを切りながら鼻歌をうたう悦子。
〇望月の自宅・台所(夜)
晩御飯を作っているあかり。
扉が開く。
あかり「おかえ――」
祐一「(かぶぜて)何だ、主人が帰ってきたのに、飯もできてねぇのかよ」
あかり「だって、あなた、いつもはもっと遅いから」
祐一「(激高して)言い訳すんな! 何様だ」
祐一、目が据わっている。
あかり「ごめんなさい、ごめんなさい」
咄嗟に頭を両手で覆うあかり。
祐一、一転して笑顔。
祐一「分かればいいんだよ。分かれば。可愛い、可愛い俺のあーちゃん」
祐一、あかりを抱きしめる。幸せそうに微笑んでいる。
悦子(声)「あんなに優しくて良い人いないわ」
あかり、恐怖で顔が引きつっている。
(続く)
第2話↓