(全3話)『推しのタオル』 第3話
〇同・居間(夕)
絵里、あかりにコーヒーを出す。
あかり、お辞儀をする。
絵里「何があったの?」
あかり、遠慮がちに颯太を見る。
絵里「颯太、悪いんだけど、2階で宿題してきてくれる?」
颯太「(しぶしぶ)分かった」
颯太の階段を上がる足音。
あかり「もう、限界で……」
あかり、顔を上げて、
あかり「私、離婚したい。それで……」
涙で言葉が出てこないあかり。
絵里、あかりの背中をさする。
絵里「とりあえず、ご飯食べましょっか」
絵里、居間から出る。
絵里(声)「颯太ー! ご飯にしよっか」
〇同・居間~台所(夜)
食卓にはご飯、生姜焼きとキャベツの千切り。
台所でしじみの味噌汁をよそう絵里。
絵里、味噌汁を運びながら、
絵里「さあ! 食べよ、食べよ。あかりさん、遠慮なくね」
颯太「お母さん、あのさ」
絵里「ん?」
颯太「(小声で)この人、誰?」
絵里「あー、ごめん。そうだった。紹介するね。お母さんの友だちのあかりさん」
あかり「はじめまして」
颯太、あかりに会釈する。
絵里「実はこのあかりさん、何を隠そう7LⅮKのファンなのよ」
颯太「そうなの? ファン友ってこと?」
絵里「そういうこと!」
颯太、あかりに対して、
颯太「気をつけた方がいいよ。この人、7LⅮKのこととなると長~いから」
絵里「『この人』って何よ。お母さんでしょ、お・か・あ・さ・ん」
あかり、声を出して笑う。
嬉しそうな絵里。
しじみの味噌汁を飲むあかり。
あかり「美味しい」
絵里「でしょ? 朝、砂抜きしておいたの」
あかり「砂」
絵里「そうそう。塩水につけて、砂を抜かないとジャリジャリして(食べられないの)」
〇同・絵里の寝室(夜)
二つ並んだ布団に入る絵里とあかり。
あかり「(小さく)美味しかった」
絵里「え?」
あかり「しじみの味噌汁」
絵里「そ? ありがと」
あかり「しじみみたいに、私の腹の中に溜まっているもの、ああやって出せたらいいのに」
あかり、自分の腹の上に手を置く。
絵里「……」
絵里「……私もね、ずっと昔、夫から暴力を受けてたの」
あかり「え……」
絵里「颯太が2歳頃かな。颯太が寝ると、いつも夫の暴言とか暴力が始まって……。いつも『世間知らずの私が悪いんだ』って思ってた」
あかり、静かに頷く。
絵里「でも違った。私は悪くないんだって気づいて、今日のあかりさんみたいに荷物を持って颯太を抱えて、実家に避難したの。それで、自立しなきゃ、手に職つけなきゃって保育士の資格、取ったの」
〇(回想)絵里の実家・玄関
絵里が颯太を連れて突然帰ってきたことに驚く母・路子(65)。
路子「絵里、どうしたの? 急に」
後ろから父・修(69)の声と足音。
修(声)「おーい、誰か来たのか」
修、絵里を見て、
修「絵里! それに颯太も。どうしたんだ?」
絵里、袖をまくって青アザを両親に見せる。
絵里「もう限界だから。別れるから」
突然のことに驚く両親。
路子「と、とにかくお上がンなさい。おじいちゃん、颯太をお願い」
修「あ、うん」
〇(回想)絵里の実家・茶の間
お茶を出す路子。
路子「何があったの」
下を向いている絵里。
路子「そのアザ、まさか進さんに?」
絵里、頷く。
路子「なんてこと」
路子、絵里を抱きしめる。
隣の部屋からは、修が颯太と遊ぶ声。
路子「別れなさい。颯太のことだって何だって協力するから」
絵里、涙を流しながら路子を抱き返す。
(回想終わり)
〇絵里の自宅・絵里の寝室(夜)
絵里「私もたっっっくさん助けられて生きてきたの。だから、少しでもあかりさんの力になれてよかった。ありがとう。私を頼ってくれて」
あかり「そんな、お礼を言うのは――」
絵里「さ! 寝よ、寝よ」
あかり「おやすみなさい」
あかり、絵里に背を向けて寝る姿勢になる。
絵里、薄く目を開ける。
〇同・絵里の寝室(朝)
時計の針は5時を少し過ぎたところ。
絵里が起きる。
隣には綺麗に畳まれた寝具。
絵里「あれ?」
〇同・居間~台所(朝)
絵里が居間に入るとあかりが座っている。
絵里「おはよう。早いね」
あかり「おはようございます」
絵里「トースト、食べる?」
あかり、首を横に振る。
あかり「助けてくださって本当にありがとうございました。私、これから――」
絵里「これから?」
あかり、力強く、
あかり「ⅮⅤ相談に行ってきます。」
絵里「うん。それがいい。そのままシェルターに避難できるといいね」
あかり「昨日助けてもらえなかったら、どうなっていたか……」
絵里、時計を見て、
絵里「まだ出るには早いでしょ。何かお腹に入れないと。あ! しじみの味噌汁があるよ。昨日の残りだけど」
あかり「……ありがとうございます。頂きます」
食卓にはしじみのお味噌汁と絵里のトースト。
あかり、お味噌汁を飲む。
あかり「あったまる」
絵里「でしょ? これから闘うんだから、何かお腹に入れないとね。あ、トーストも焼こうか? 味噌汁には合わないかな」
あかり「やっぱり頂きます!」
トースターの音。きつね色に焼けた食パン。
颯太(声)「おはよー」
眠そうな颯太が居間に入ってくる。
あかり「おはようございます」
絵里「おはよう! 颯太、トーストにはバター? ジャム?」
颯太「えーと……ジャム」
絵里「オッケー」
颯太、食卓を見て、
颯太「トーストにお味噌汁? なんか変な組み合わせだね」
あかりと絵里、プッと吹き出し、声を出して笑う。
〇同・玄関(朝)
あかりを見送る絵里と颯太。
キャリーケースを持ったあかり。
隣には友人の桃香。
あかり「お世話になりました」
あかり、深くお辞儀をする。
絵里「大丈夫?」
あかり「はい。桃香に車で送ってもらって、見つからないように相談してきます」
事情を把握していない颯太。不思議そうな顔。
颯太「ん? 見つからないように?」
桃香「あかりのこと、本当にありがとうございました」
桃香もお辞儀をする。
絵里「いいの。私たちは7LⅮKのファン友だし。友だちを助けるのは当然だから」
あかり、再び頭を深く下げる。
絵里「気をつけてね」
あかり「はい」
玄関の扉を開け、あかりと桃香が去る。
扉が閉まる。
車が出発する音。
颯太「ねぇ、どういうこと? 何かあったの?」
絵里「颯太がもう少し大きく――。いや、颯太だって当事者だもんね。ちゃんと話すよ」
颯太「うん」
対等に扱われたことが嬉しい颯太。
絵里と颯太、居間へ向かう。2人の後ろ姿。
〇スーパーマーケット・お惣菜売り場(夕)
商品を選んでいる絵里。
航大(声)「あ! えりせんせい」
絵里、振り向く。
航大と千佳の姿。
絵里「あ、航大くん! こんにちは」
千佳「こんにちは」
絵里に手を振る航大。笑顔の千佳。
〇スーパーマーケット・レジ(夕)
会計を済ませ、店を出る絵里。
スマートフォンからの通知音。
絵里、メッセージを開く。
あかり(声)「これから避難することとなりました。しばらく連絡はできそうにありませんが、生活を立て直したら必ず連絡します。本当にありがとうございました」
絵里、画面を閉じ顔を上げる。微笑む。
美しい夕焼けが周りの家々をオレンジ色に照らしている。
〇望月の自宅周辺・外(夜)
千鳥足の祐一。
祐一「あかりぃ、あかりぃ」
祐一のスマートフォンが落ちる。
画面には何度もあかりに電話をかけた痕跡。祐一からの「どこ行った」「どういうことだ」「電話に出ろ」というメッセージ。
〇ⅮⅤシェルター(夜)
個室に2つのベッド。1つの掛け布団が盛り上がっている。
あかりの安心しきった寝顔。
〇千佳と航大が住むアパート・居間(夜)
笑顔で夕飯を食べる千佳と航大。
〇絵里の家・居間(夜)
7LⅮKのライブⅮⅤⅮを見る絵里と颯太。
絵里、颯太にペンライトを渡す。
颯太、照れながら受け取り、ペンライトをぎこちなく振る。
夜空には月と星。
〇道(朝)
ランドセルを背負い、小学校へ向かう颯太。仕事に向かう絵里と並んで歩いている。
絵里、颯太に笑顔で手を振る。
ゴミ収集所前でそれぞれの方向に向かう颯太と絵里。
髭が伸び、髪もボサボサの状態で仕事へ向かう祐一。
絵里と祐一、すれ違う。
〇会社・デスク(昼)
コンビニのお弁当を広げる祐一。
同僚「あれ、望月さん、コンビニ弁当なんて珍しいですね」
祐一「あ、ああ。ちょっと妻が体調崩しちゃってね」
同僚「そうなんですね。お大事に」
同僚が去り、祐一は深いため息。
〇望月の自宅・居間(夜)
食卓はカップ麺やアルコールの缶で散らかっている。
祐一、無言でビールを飲む。
スマートフォンからの通知音。
祐一、急いで画面を開く。
キャンペーンのお知らせ。
祐一「あかり……」
祐一、ビールを一気に飲む。
〇法テラスの相談窓口
弁護士「――では、離婚したいということでよろしいですね?」
あかり「(力強く)はい」
〇 あかりの実家・外
あかり、鍵を開けながら、
あかり「ただいま」
〇 同・玄関
悦子の足音。
悦子「(驚いて)あかり! どうしたの、突然」
靴箱の上にはあかりと祐一の結婚式の写真。
あかり、一瞬怯んで下を向く。
絵里(声)「あかりさんはあかりさん、お母さんはお母さんだからね」
あかり、悦子を真っすぐ見る。
あかり「話があって来たの」
悦子「?」
あかり、結婚式の写真を下に向ける。
なんとなく察した悦子。
悦子「ここじゃ話もできないでしょ。入って」
玄関に並んだあかりと悦子の靴。
〇クリニック・外(夜)
クリニックを見上げる祐一。拳を握り、入っていく。
〇クリニック・内(夜)
「ⅮⅤ加害者向け集団精神療法」と書かれたホワイトボード。
8名の男性加害者、2名の女性加害者が座っている。
ゆっくり入室する祐一の姿。
〇望月の自宅・居間(夜)
ソファに座る祐一。
祐一「あかり……」
祐一はビールを開けようとするが、手を止める。物で雑然としたテーブルの上を片付け始める。
〇あかりの実家・個室(夜)
机に向かい勉強するあかり。簿記3級のテキスト。
〇絵里の自宅・玄関(朝)
大きなリュックを背負っている颯太。
絵里「気をつけてね。宿泊学習、楽しんでくるのよ」
颯太「うん。お母さんもね」
颯太、意地悪そうに笑い、
颯太「7LⅮKのライブ。年考えて。はしゃぎ過ぎ注意!」
絵里「分かってるって」
颯太「いってきます」
大きく手を振る颯太。
〇ゴミ収集所・外(朝)
リュックを背負い学校に向かって歩く颯太。
収集所の掃き掃除をしている祐一。
〇杉の子保育園・更衣室(夕)
絵里「(意気揚々と)お先失礼します」
保育士①「松田先生、楽しそうね」
絵里「はいっ! 今から推しのライブなんで」
保育士①「推し? ああ、7LⅮK。いってらっしゃい」
絵里「いってきます!」
〇7LⅮKライブ会場(夜)
絵里「着いた、着いた。あ! 写真」
絵里、スマートフォンを取り出す。1件の通知。
絵里「なんだろ」
絵里、メッセージを開く。あかりからのメッセージ画面。
あかり(声)「夫と正式に離婚することが決まりました」
絵里「おお! よかったね。あ、そだ」
あかり、ライブ会場の写真を撮る。
〇あかりの実家・個室(夜)
勉強中のあかり。
スマートフォンからの通知音。
絵里(声)「おめでとう! これから楽しいこと、幸せなことがたくさん待ってるよ」
メッセージにはライブ会場の写真が添付されている。
〇7LⅮKライブ会場(夜)
絵里のスマートフォンから通知音。
絵里、メッセージ画面を開き、吹き出す。
あかり(声)「気持ちだけ一緒に参戦します」
あかりからのメッセージにはタオルの写真。
絵里、画面から顔を上げ、笑顔。電源を切る。
絵里「楽しむぞ!」
〇あかりの新居・古いアパート
快晴。
表札には「北川」と書かれている。
インターフォンを押す颯太。隣には手土産を持った絵里。
あかり(声)「はーい」
ドアが開く。笑顔のあかり。
あかり「いらっしゃい」
ベランダで7LⅮKのライブタオルが風に揺れている。
(終わり)