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難聴を経験したわたしが考える「補聴器とイヤホン似てるよね」について。

冬が本格的にやって来た。モコモコ上着を着てても全然暖かく感じない。耳元も手も全てが、凍えるように寒い。

耳当てをどこにしまったかな? 一年に一度しか使わないから収納場所を忘れてしまったな。
時間があるときにでもクローゼットを見てみよう。

と、ここまで書いて思うことがあった。
「そういえば、補聴器とワイヤレスイヤホンって似てない?」と。

この前偶然にも「最近補聴器を使い始めてさぁ」という人と食事をする機会があった。

会話の手段は手話ではなく口話だから、話をするときに「ここが難しい」とかはないんだけど、
その人と最初会ったとき思うことがあった。

「あれ? お店に入ったのにイヤホン取らないのは何でかな?」「何か理由があるのかな?」と。

何年か前に放送されていたドラマ「silent」で
目黒蓮さんが演じた聾者「ソウ」も同じ誤解を受けていた。

警備員さんに
「イヤホンつけながらの自転車運転は危ないよ」と。

本人からしたら「聞こえを補助するための道具なのに
娯楽として誤解されて、「たまったもんじゃない!」
となるのはわかるし、反論もしたいだろう。

最近は補聴器もおしゃれなものが多いと聞く。
だから余計に「イヤホンなんて…」と誤って解釈する人が増えるんだろう。

わたしも一時期は突発性難聴を経験して、
「補聴器つけないとダメかな?」くらいに
片耳が何にも音を拾わなくなった時があった。

「やば…もうこれから先耳だけで音を拾うとか
みんなと会話するとかが叶わなくなるのかな」。

なかなか抜け出せないことが不思議でしょうがなかったし、難聴になる原因がわからないことにも「なんで?」と焦り始めてもいた。

noteには残してないけど…

片耳だけでこれから生活できるかな?
不安しかなかった。

“今、残っている聴力をすべて
失ってしまったら”

でも、どこかその「聞こえない」ことを
楽観的に捉えてる自分もいたし

「補聴器つけることで音が聞こえるようになるなら大丈夫かな。」でも、内心は全然大丈夫じゃなかった。

どこか無理矢理にでも
楽観的に捉え直すことで気持ちを前向きにさせてたことがあった。

今は、とうに健聴に戻っていて
風の音やヒーターの音
細かなことまで音が拾える。

だけど
“聾”の人や“難聴”の人にとって手放せない
補聴器は
健聴の人にとってのイヤホンと同じー
そんなふうに思われたら。

外の世界に出ていくことが怖くなるかもしれない。
人と会話するのもままならなくなるかも。

聾の人や難聴の人全てが
手話を第一言語としているわけじゃないけど
口話ができない人からしたら、手話は必須なものなのかもしれない。

だからこそ
手話ができない聴者が、聞こえに問題のある人と出会った時、最初に発する言葉は「イヤホン外してください」でなくて優しい言葉がいいな。

どこに着地するでもなく、
ただただ頭の中で繰り広げられた独り言。

#優しい社会 #聾者 #難聴者 #聞こえ方
#ワイヤレスイヤホン #今週の振り返り



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