89歳の母親にようやく言わせた言葉
Kindle出版を達成してから1か月。
家族の誰からも祝福の言葉がもらえない日々が続き、私は悶々としていました。
「私はこんなに頑張ったのに、どうして?」その思いがどうしても消えず、ついに母に手紙を書くことにしました。
手紙には正直な気持ちを書きました。
「どれだけあなたたちにとって私はダメな存在だったのですか?」
ずっと心の中にあった寂しさと不満をぶつけるように書きました。
母親からの電話:言い訳から始まる会話
手紙を読んだ母からすぐに電話がかかってきました。電話の向こうから聞こえたのは、開口一番の言い訳でした。
「お父さんの体調が悪かったから、それどころじゃなかったのよ。」
私は瞬時に心が冷えるのを感じました。いつもこうだ。私はいつも、何か「もっと大事なこと」の後回しにされる。それを思い切って言葉にしました。
「子どもの頃から、私はいつも何かより優先順位が低かった。」
すると母はこう言いました。
「だって、あんたは何でも一人でできて、大丈夫な子だったから。」
その瞬間、長年押し殺してきた感情が溢れました。
「いや、私はずっと大丈夫じゃなかった!」
そう言い放ち、電話を切りました。もう我慢したくない、私の本当の気持ちを無視されるのは嫌だ。
メールのやり取り:母の愛情と私の思いのすれ違い
その後、母からメールが届きました。
「心ではいつも思っているよ!」
それを読んで、また胸の中がざわざわしました。私は心で思われているだけでは足りなかった。何十年もそうだったから。
だから、こう返信しました。
「私は言葉がほしい。」
するとまた電話がかかってきました。
再びの電話:すれ違う愛情
電話の母はこう言いました。
「お前を自慢に思っているのよ。あの本だって、人に見せて自慢したの。」
でも私はそれが求めていたものではなかった。自慢してほしいのではなく、ただ一言、自分の努力を認めてほしかった。だから訴えました。
「人に自慢するんじゃなくて、ただ一言、『がんばったね』って言ってほしかっただけ。」
電話越しの沈黙が痛かった。
でも、ついにその一言が出てきました。
「がんばったね。」
60年かけて求め続けた一言
その瞬間、胸がぎゅっと締めつけられ、長い間求めていたものがようやく手に入った感覚がありました。
89歳の母から60年近くかけてようやくもらえた「がんばったね」という言葉。
あの一言が、私にとってどれほど重みのあるものだったか、ようやく母も感じ取ったのではないかと思います。
今の気持ち:自分を大切にするという決意
母も辛い人生を歩んできたことはわかっています。でも、それはそれ、私は私の人生を生きてきたのです。
そして、死ぬ前に自分の本当の気持ちを母に伝えられ、受け取ってもらえたことには、もう思い残すことはありません。
「優しくない」と言われるかもしれない。でも、私はこれからも私自身を大切にして生きていこうと思います。
誰よりも、私が私を認めてあげるべきだから。
二冊目の出版に向けて
ここ数日、なぜかやる気が出なかった理由が
ようやくわかり、それが解消されてスッキリしました。
もう誰かにほめてもらうために書くのではなく、わたしがわたしのために書く。
そして誰か一人でも多くの人に、何かを伝えることができるのなら、それはさらに、励みとなると思うのです。