土手の中心で愛を叫ぶ〜♪( ´θ`)ノ あれっ、どこかで聞いたようなフレーズなんですけど笑。
私は、東京の江戸川区の土手近くに住んでいる。
10月1日の早朝、
土手に続く階段を、
トントン、トントンと登っていく私。
登り切ると、ちょっと息切れしていたが、
土手の上に立つと、
パァーーーーーっと視界が広がる。
時間は午前6時。
そして、大きく息を吸い込む。
ふぁ〜あ😮💨
すると、夏の終わりを感じ、
初秋の匂いが胸いっぱいに広がる。
風に揺れる草🍃
新たに今日という日が始まった新鮮な空気。
そうそう、私の大好きな場所は、
こんな感じだった✨
しばし、その感覚を味わった私は、
一応、周りに人がいないことを確認して…
大きな声で
「ただいま〜帰ってきたよ〜👋」
と土手全体に向かって叫んだ。
何言ってんの?
って思われるかもしれないけど、
本当にそんな気持ちだったのだ(^^;;
東京の空は狭い。
だから、田舎育ちの私には、
とても息苦しく感じる時がある。
特に…
苦しい時、
悲しい時、
寂しさを感じる時など。
そういった感情を慰めてくれるのは、
私の場合、いつも、偉大な自然の力なのだ。
だから、自宅のそばに土手があることは、
とても助けになってきた。
今はもうなくてはならない大切な場所。
離婚してこの地に越してきた当時も、
ひとりで多くの時間をこの土手で過ごした。
母が亡くなった時も、自分も死にたいような気持ちになり苦しい時も、この土手で過ごした。
「死にたい」なんて、
大ゲサに思われるかもしれないが、
母を自殺という形で亡くした私は、
なかなか母の死を受け止めることが
できなかった。
亡くなった母と会話をしながら、
時には泣きながら、
時には温かな懐かしい気持ちで、
この土手を何度も歩いた。
土手から見える空は
とても広い。
この土手から見える夕日に母を想い、
夜空の星を見ながら
母の存在を感じて癒された。
広く大きな空が、どんな時もそこに存在して
私を包み込んでくれることで、
私の気持ちは徐々に静かで平和になっていく。
そして、
土手からの帰りは、自転車をめいっぱい
漕いで!漕いで!
坂道をサーッと降りていく。
あの様子を見た人は、絶対に、
「危ないからやめなさい!」って
言うだろうけど…💦
風を切って坂道を下るのは
「か・い・か〜ん」😆
偉大なる土手様は、こんなヤンチャな私のことでさえ、きっと微笑ましく見守ってくれているに違いない♪
と、勝手に思っている。
そんな私が、父の死から裁判が始まって終わるまで、土手への足が遠のいていた。
何故だか分からないけど、足が向かず、
土手の側をバイクや車で通ることはあっても
土手で時間を過ごすことはしなくなっていた。
裁判に追われ、
仕事に追われ、
日常に追われ、
本当の本当に大変な事態になると
「自然」
と繋がる余裕もなくなるんだなぁと思う。
ちょっと詩人的に表現するなら
こうやって、雑事に追われながら、
人は
自分にとって大切な何かや、
大切な場所を忘れていくのかも
しれない。
でも、私は、この10月1日、
自分にとって大切な場所に戻ってきた!!!
離婚して、母が自殺して、父が亡くなって、
会社を畳んで、裁判が終わって、職場での色々があって仕事を辞めて、この10年間以上にも及ぶ大変だった時間、
私の心身にはものすごい毒素が
溜まりに溜まっていた☠️
全てから解放された私だったのに、
去年は、死を感じるほどの体調不良になり、
そのことを機に心身を休めることに専念し、
毒素が抜け切った今、
嘘のように元気になってきた。
こんなに心身共にゆっくりしたのは、
十数年ぶりで、土手に行く心の余裕ができて
足が向いたのだろう♪
だから冒頭のように
「ただいま〜帰ってきたよ〜👋」
という言葉が出てきたのだ。
そして
「変わらずここで待っててくれて
ありがとう〜 大好きだよ〜♡」って
土手の中心で愛を叫んだ
わ・た・し(≧∀≦)
世界の中心じゃないけど、
土手の中心で愛を叫ぶのも、
オツなものだね笑。